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67.拘束
「ここ…かな?」
数日前、一樹から璃玖のもとへ二年ぶりに届いた連絡は、日付と住所、そして『待っている』とだけが書かれたメールだった。
とりあえず訳を尋ねる内容を一樹に返信をしたが、一向に返信がなく、璃玖は迷った末、ある可能性を考えつつ、書かれていた日時に住所の場所に向かうことにした。
番地を頼りに指定された時間より少し早く辿り着いた先は、住宅街にある大きな一軒家で、璃玖が玄関の表札を確認すると、スタジオと書かれていた。
「なんで、スタジオに…」
璃玖はチャイムを鳴らすか迷っていると、急に玄関の扉が開かれた。
すると、家の中から出て来たのは、璃玖は会ったことのない二十歳前後で長身の男で、扉の前に立っていた璃玖と思わず目が合った。
「あれ、お客さん?」
「えっ…あ、あの…」
璃玖はなんと答えたらいいか分からず戸惑っていると、男は急に慌てだした。
「あ、やべ…。もしかして、君が神山君?」
「なんで…僕の名前…」
不審に思った璃玖は一歩後ずさると、、男はすぐに璃玖に近づき、璃玖の腕を掴んだ。
「あ、待って待って。逃げないで。驚かせてごめんって。一樹に呼ばれたんだろ?一樹なら中にいるからさ」
璃玖は久々に聞く一樹の名前に、思わず胸を弾ませてしまった。
「一樹も…中にいるんですか…?」
「いるいる。今日は、あれ、聖さんのコンサートの前祝い…だってさ。なんにも聞いてないの?」
(前祝い…。なんでそんなものに僕を…)
「すみません、僕、何も聞いていないくて…。でも、そういうことなら、僕は出直します」
もう、璃玖はいつ発情期を迎えてもおかしくない年齢のはずだが、抑制剤が効いているのか、はたまた、単純に訪れていないだけなのか、まだ発情期を経験していなかった。
しかし、いつ、自分の発情に巻き込んで誰かをヒートにしてしまうか分からないため、この家の中に大勢の人がいる可能性を知った璃玖は、ポケットの中にある特効薬一つではリスクが高いと判断し、その場を立ち去ろうとした。
「あの…離してもらえませんか?」
男に掴まれていた腕を離してもらおうと、璃玖は少し腕を捩ったが、男は璃玖の腕を掴む手に力を込めて離そうとしなかった。
「困るよー!俺、璃玖君を連れてくるように頼まれているんだから。ほら、中に入って、入って」
男は璃玖の腕を掴んだまま、玄関のドアを大きく開けると、そのまま璃玖を家の中に引っ張っりこもうとした。
「離してください!大声出しますよ」
璃玖はこのままではまずいと焦り、男の引っ張る力に抗おうと、足を踏ん張った。
「それは困っちゃうなー」
(えっ…)
璃玖は急に背後から聞こえた声に驚き、咄嗟に振り向こうとするが、振り向くより先に、後ろから伸ばされた手によって、口を覆い隠すように塞がれてしまった。
(しまった!)
「ったく。なに、戸惑ってんだか」
(…この声…)
背後から聞こえてくる声に、璃玖の記憶は瞬時に呼び起こされた。
「んーんっ!」
璃玖は塞がれた口から手を外させようと、首を何度も振って抵抗した。
「だってさー。この子、言うこと聞かないんですよ、不破さん」
(…。やっぱり…)
「久しぶりだねー、璃玖君。俺のこと覚えているかな?」
口を押さえつけられたまま、璃玖は顎を掴まれ、無理やり顔を持ち上げられる。
見上げるような形をとらされた璃玖の顔を覗きこんできたのは、間違いなく、璃玖の知っている不破、本人だった。
璃玖は背筋に冷たいものを感じ、必死に体を捻って抵抗したが、口を抑えられたまま、不破によって腰に腕を回されると、身動きがとれなくなってしまった。
「ほら、さっさとドア閉めろよ。中はもう準備、出来てるんだろ?」
「出来てますよー。車に予備のバッテリー忘れたんで取りに行こうとしたら、ちょうどこの子に会っちゃったんですよ」
不破に腰から回された腕によって璃玖は軽く持ち上げられ地面から足が離れると、そのまま家の中に連れ込まれてしまった。
玄関の扉はオートロックのようで、璃玖の背後で鍵の閉まる電子音が響いた。
「よっと。また、お姫様怒らせたんだって?本当にしょうがないねー、璃玖君は。おい、あれ持ってきて」
「あれって…。まだあったかなー。下にセットしちゃったんですよねー。えーっと」
不破に指示された男は、リビングがあると思われる部屋に何かを取りに行くと、すぐに戻ってきた。
「ありましたよー」
男が歩いてくるのと同時に金属がぶつかるような音が聞こえたと思うと、璃玖は不破によって腕を後ろで一纏めにされた。
「璃玖君、大人しくしててねー。じゃないと、せっかくの白い肌に、また傷がついちゃうよ」
不破は男が持ってきたものを受け取ると、璃玖の両手首に何かを嵌めた。
「はい、これでオッケー」
璃玖の両手首に嵌められたのはシルバーの手錠だった。
手錠を嵌められて自由を奪われた璃玖は、不破に顎を掴まれると、顔を無理やり向かさせられた。
「ふーん…。昔は可愛いだけのお子様だと思っていたけど、今はお姫様とは違う意味で綺麗になったんだね。それに、やっぱりその目、すっげー好みだわ」
「…あなたに言われても、少しも嬉しくないです」
不敵に笑いながら璃玖の目を覗き込む不破を、璃玖は思いっきり睨み返すと、不破は一瞬驚いた顔をし、すぐに吹き出すように笑いだした。
「あっはは!それは、それは。本当におもしろいね、璃玖君って」
「…。あなたがいるってことは、やっぱり伊織君、ここに…いるんですよね」
「ん?あ、もしかして、最初からお姫様が呼んだって分かっていたとか?それでノコノコここまで来たの?」
「だったら…なんだって言うんですか?」
璃玖は、一樹のアドレスから届いたメールに最初から違和感を感じていた。
それは、一樹があんな別れ方をしたにも関わらず、用件だけの短いメッセージを送ってくるとは思えなかったからだった。
「へー…。いや、本当に璃玖君っておもしろいなーって思って」
「不破さーん。俺、全然話が分からなーい。のけ者ー」
男は不破の肩に顔をのせると、不貞腐れた顔をしていた。
「ああ。お前は分かんなくていいよ。それより、忘れ物取りに行くんだろ。ついでに、飲み物買ってきて」
「えー、そんなの完全にパシリじゃないですか。だいたい、そんなこと言って、俺抜きで始めようとしているんでしょ」
「始めるわけないだろ。俺の楽しみに、お前は必要なんだから」
「あー…。それもそうっすねー。じゃあ、ちょっくら行ってきますわ」
そう言って男は玄関の扉を開け、外に出て行ってしまった。
「さてと、お姫様なら地下だよ。手が不自由だろうから、運んであげるね」
不破は璃玖を軽々と持ち上げると、右肩に担いだ。
「うわっ!」
「暴れないでねー。落ちたらきっと痛いよー」
「…」
抵抗しても無駄だと悟った璃玖は、暴れることはせず、我慢するように唇を噛み締めた。
不破は璃玖を肩に担いだまま、すぐ近くにあった地下へと続く階段を降り始めた。
「おーい、お姫様、ご指名の璃玖君、連れてきたよー」
階段を降りた先はコンクリート打ちっ放しの壁で出来た部屋で、薄暗く、聖に連れて行かれた撮影スタジオや音楽スタジオとは違い、まさに地下室といった部屋だった。
「やだ、もうバレちゃってるの?せっかく一樹じゃなくて、落胆する顔が見たかったのに」
何故かライトスタンドがいくつか置かれた部屋には、その他にパイプ椅子が二つ置かれていた。
そして、パイプ椅子の片方に座っていたのは、益々目鼻立ちがくっきりとして綺麗になっていた伊織だった。
「伊織君…」
「久々だね、神山。元気にしてた?」
椅子に座っていた伊織は立ち上がると、不破に担がれたままの璃玖に近づき、見上げるようにして璃玖に笑いかけた。
「少し見ない間に、だいぶ見れる容姿になったみたいだね」
そう言いながら、伊織は璃玖の前髪を掻き上げた。
「っということは、聖さんとはまだ、よろしくやっているってことかな?」
「前にも言ったけど、聖さんとは何も…」
璃玖が言いかけると、伊織は璃玖の掻き上げていた前髪を、捩じるようにして引っ張った。
「っつ…」
璃玖は痛みで一瞬顔をしかめるが、すぐに伊織の目を見つめた。
「何、その目。被害者ヅラしないでくれる?本当にお前は、人をイラつかせるのが上手だよね」
伊織はさらに璃玖の髪を引っ張る手に力を込めた。
「ねえ、お姫様。今はそれぐらいにして、そろそろ下ろしていい?さすがに俺も肩が疲れたよ」
「あー、それじゃあ、せっかく準備してもらったあの椅子に、座らせてもらえますか?」
「ふーん、あれにね。はいはい、了解っと」
不破は伊織が座っていた椅子の向かい側に置かれたパイプ椅子を見つけると、璃玖を運び、椅子の上にゆっくりと下ろした。
「璃玖君、そのまま大人しくしててねー」
璃玖が座らされたパイプ椅子には、事前に左右の足に手錠が嵌められていて、伊織がじっと見つめる中、璃玖は足を広げた形でそれぞれの足に手錠を嵌められ、パイプ椅子に固定されてしまった。
その間、璃玖は抵抗することなく、ただ伊織を見つめるだけだった。
「ずいぶん大人しいんだね、神山。恐くて声も出ないの?」
「あー…。璃玖君、どうやらお姫様がここにいること分かっていたみたいだよ」
「はっ…?じゃあ、最初から一樹じゃないって分かって来たってことですか?」
「そうみたいだよ」
伊織は驚いた顔で璃玖の顔を見ると、璃玖は真剣な顔で伊織に語りかけた。
「もう、こんなことはやめた方がいいと思う。伊織君がどんどん辛くなるだけだよ。それを分かって欲しくて、僕はここに来たんだ」
「だってさ。どうする、お姫様。璃玖君に諭されているよ」
不破は笑いを堪えながら、伊織の肩にポンと手を置いた。
「はー…。コイツ、まだ自分の立場が分かっていないんだね…。不破さん、ちょっとコイツと話をするので、とりあえず、上に行っていてくれますか?」
「はいはい。じゃあ、ごゆっくりー。あ、璃玖君に改心させられないようにねー」
不破は後ろ手で伊織に手を振ると、階段を上がり、地下室から出て行ってしまった。
「伊織君…」
璃玖が呼んだ伊織の名前は、静かになった地下室に響くと、伊織は黙ったままゆっくりと璃玖に近づき、パイプ椅子に座らされた璃玖の目の前に立った。
見下ろしてくる伊織の冷たい目に、思わず璃玖は息を吞むが、決して目を逸らすことなく、伊織の目をまっすぐ見つめた。
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