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69.不破の計画

「撮影会?何を言って…。そんなこと、僕は頼んだ覚えは…」 「あ、やっぱりお姫様はカメラ映りもいいね」 不破はハンディカメラのレンズを向けながら、伊織に近づいて行った。 「…。今、冗談はやめてください。だいたい、神山なんて撮ってどうするんですか。それに、僕はまだ話が」 「何言っているの?お姫様」 ハンディカメラを持つ反対の手で伊織の顎を片手で掴んだ不破は、伊織の顔を自分に向かせるように軽く持ち上げた。 「ちょっと、なにする…」 「璃玖君じゃないよ。俺が撮りたいのは…お姫様に決まっているよね」 不破は伊織に向かって笑いかけると、伊織の顎から手を離し、その手で拳をつくると、伊織のみぞおちを殴った。 「っ…!!」 強烈な痛みだけでなく、呼吸が止まったような感覚に陥った伊織は、意識が朦朧とし、力が抜けたように不破に凭れ掛かった。 「伊織君!!」 璃玖が名前を呼ぶ声が遠くに聞こえるように感じながら、伊織は凭れ掛かった不破の身体から滑り落ちていくようにしてそのままコンクリートの床に崩れると、うつ伏せで気絶してしまった。 「これでしばらくは動けないね」 「伊織君っ!!」 璃玖は後ろ手に手錠で拘束されているため、床を這いつくばるようにしながら足が繋がれているパイプ椅子を引きずり、伊織に近づこうとした。 コンクリートの床と壁で出来た地下室に、金属が擦れる音を響かせつつ、璃玖は伊織に近づこうとするが、伊織の元に辿り着く前に不破が立ちはだかり、道を妨げられた。 「駄目だよー。璃玖君はゲストなんだから、ゲストらしくしていないと」 見下しながら笑いかける不破を、璃玖は顔を上げ、見上げるようにして睨みつけた。 「そんな目をしても駄目だよ。璃玖君は、あの時みたいに大人しくしていてね。じゃないと、お姫様が…今日はすごく、大変な目にあっちゃうよ」 そう言った不破は、気絶して意識のない伊織の手の甲に靴のまま足を乗せると、ゆっくりと体重をかけ始めた。 「手の骨って脆いから、このままだとすぐに折れちゃうよ」 先ほど璃玖を見下すように笑っていた表情を変えずに伊織の骨を折ろうとする不破に、璃玖は背筋に冷たいものが走る。 「ま、待ってください!僕はここから動かないです!だからっ!」 璃玖が叫ぶと、不破は満足したように伊織の手の甲から足を離した。 「よかった。やっぱり璃玖君はいい子だね。じゃあ、足の手錠は外しても大丈夫そうかな。はい、特等席も準備してあげるね」 不破は璃玖に近づくと、ポケットから鍵を取り出し、パイプ椅子の脚と璃玖の足から手錠を外した。 「あれ?これ、片方壊れちゃってるじゃん。アイツ、ショボいの準備したな」 伊織に椅子を蹴られ転んだ衝撃で、璃玖の足から外された手錠がひとつ、そのまま鍵がかからなくなってしまっていた。 「まあ、一つあればいいか」 手に持った壊れた手錠を、不破は冷たい床に横たわる伊織の近くに投げ捨てた。 そんな不破の何気ない仕草が、璃玖にはまるで壊れた手錠をゴミとして扱うのと同じように伊織を扱っているように見え、思わず胸が締め付けられた。 (伊織君…) うつ伏せで気を失ったままの伊織に、何も出来ない自分がもどかしかったが、璃玖は唇を噛み、今は我慢することしか出来なかった。 「はい、璃玖君はここに座って。逃げちゃダメだよ」 璃玖が繋がれていたパイプ椅子を、不破は座れるように元通りにした。 手錠が外されたおかげで足が自由になった璃玖だったが、手は後ろ手で手錠で繋がれたままだったため、うまく立ち上がれずにいると、見かねた不破は璃玖の体を持ち上げ、そのままパイプ椅子に座らされた。 「そのまま大人しく見学しててね。さーてと、俺も準備、準備」 不破は、部屋の端に立てかけられていた三脚を手に取り戻ってくると、璃玖のすぐ目の前に三脚を置き、さっきまで手に持っていたハンディカメラをセットした。 そして、元々伊織が座っていた、床に転がったままのもう一つのパイプ椅子を璃玖と向かい合わせるように、ハンディカメラのレンズから少し離れた場所に置いた。 「よっこいせっと」 準備が終わったのか、不破は気絶した伊織を抱きかかえると、ハンディカメラのレンズの先に置かれたパイプ椅子に伊織を座らせると、璃玖と同じように後ろ手にして手錠を嵌めた。 「これで首輪があれば最高だったのにー。残念」 力なく、パイプ椅子の背凭れに凭れ掛かるように身体を預けている伊織を、不破は爪先で伊織の白い喉を撫で上げた。 璃玖のように白い伊織の肌は、不破が爪先で辿っただけで、赤い線のような跡を首に残した。 「こんなに跡が残りやすくて…。噛んだら、一体どうなっちゃうんだろうね?」 気を失ったままの伊織に、不破は独り言のようにそっと呟いた。 「さてと、じゃあ始めますか。ほら、お姫様。そろそろ起きてよ」 伊織の顎を手で強く掴んだ不破は、そのまま伊織の顔を揺するが、伊織は目を覚まさなかった。 呆れたように溜め息をついた不破は、今度は伊織の口を無理やり開くと、数本の指を伊織の口内に差し込んだ。 「ほら、起きてよ」 不破は容赦なく伊織の喉奥に届くほど指を差し込むと、伊織は突然訪れた吐気の感覚に驚き、咳き込みながら目を覚ました。 「げほっ!げほっ!!」 「目、覚めたかな?お姫様ってほんと、お口小さいよねー。でも、だからこそ、今みたいにガンガン喉まで突きたくなるよね」 「不破…さん…どう…して…?」 まだ意識がはっきりせず身体に力の入らない伊織は、状況が掴めていない様子で、虚ろな目のまま不破の顔を見上げた。 そんな伊織の様子に、不破は満面な笑みを浮かべた。 「どうして?そんなこと、聞かないでも分かるでしょ。そんなの、お姫様が…Ωだからだよ」 「えっ…?伊織君がΩ…?」 不破の思いもよらない発言に驚いた璃玖は、思わず口に出してしまう。 「何を…言って…」 伊織は言葉を続けるのが苦しいようで、ゆっくりと首を横に振って否定した。 「嘘はいけないよ、お姫様。璃玖君も驚いたでしょ?あんなにΩを馬鹿にしていたのに、本当は自分がΩなんてね!笑っちゃうよね」 「僕は…Ωなんかじゃ…」 次第に意識がはっきりしてきた伊織はさらに首を横に振ると、不破は苛立ったように伊織の顎をまた手で掴んだ。 「ねえ、そろそろお終いにしようよ」 不破は乱暴に伊織の顎を掴みながら、伊織の目を覗き込むように顔を近づけた。 伊織の目に映る不破の目があまりに冷ややかで、思わず恐怖を感じた伊織は、不破の目を見つめたまま、言葉が出なくなってしまった。 「お姫様は、俺がお姫様にメスのΩって言ったこと覚えてる?あの時、自分じゃ気づかなかったと思うけど、微かにお姫様が顔を引き攣らせたんだよね。それでピンときた…ってわけ。ああ、この子は正真正銘のΩだって。また…会えたってね」 不破は自分の唇を濡らすように、舌で舐めた。 「何も知らないお姫様は、俺を誘惑して、俺のこと思いのままにしているって思ってたんでしょ?あー笑える!本当にΩって浅ましくて卑しい生物だよね。αの性欲処理でしかない生き物なのに。俺が騙されているフリしているなんて気づかずに!ハハッ!!璃玖君も笑えるよね?」 不破は笑いながら伊織の顎を掴みつつ、璃玖に同意を求めるように振り向いた。 すると、伊織は掴まれていた顎を首を振って振り払うと、急いでパイプ椅子から立ち上がり、上階へと続く階段付近まで走り、不破から距離をとってから振り向いた。 「あらら。もう立ち上がれるの?意外とタフだったんだね。やっぱり、足も固定しておけばよかったかなー」 「不破さん、僕にこんなことして、許されるわけ…」 怒りで声を震わせる伊織に、不破は焦ることもなく鼻で笑った。 「許される?誰に許してもらうの?Ωになにかあっても、誰も何も気になんてしないよ。可愛い璃玖君を置いて、ここから逃げるのも自由だけど、その手じゃ階段は上がれても、玄関の扉を開けられないよ。まあ、せっかくなら…俺のとっておきを見てから、どうするか決めた方が賢明だと思うけど」 伊織が逃げようとしていることを気にしていないかのように余裕を見せる不破は、三脚にセットされたハンディカメラを操作し始めた。 メモリーに残されている映像を再生しようとしているらしく、ハンディカメラの液晶画面の前に座った璃玖からは、操作している画面がよく見えた。 「まずは、これ。ほら、璃玖君。せっかくの映像がお姫様の位置からじゃ何が映っているか分からないから、教えてあげてよ」 不破が再生ボタンを押し、液晶画面に映し出されたのは、撮影されていることに気付かないまま、ホテルと思われる洗面台に向かう伊織の姿だった。 その映像には、璃玖が飲んでいる発情期抑制剤と同じ色をしたカプセルをピルケースから取り出し、飲み込む伊織の様子が一部始終残されていた。 (僕と同じ抑制剤…。じゃあ、本当に伊織君は…) 「ほら、お姫様に教えてあげなよ璃玖君」 璃玖は目の前で見た映像の内容が信じられず、思わず息を飲み込んだ。 「伊織君が…たぶん、抑制剤を…飲んでいるところが…」 「は?何を言って…!どうせ、僕が何かの薬飲んでいるとこでも撮ったんでしょ?けど、薬なんて誰でも飲むし、そんなもの、僕がΩなんていう証拠にもならないですよ」 「お姫様ならそう言うと思ったよ。じゃあ、今度はこれ。これはとっておきで、声までよく撮れているんだよ」 不破はもう一度ハンディカメラを操作すると、音量を最大にしてから、別の映像を流し始めた。 その映し出された映像に、璃玖は瞬時に顔を背け、目を瞑った。

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