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第68話
雪人は佐野の執務室で勧められるままイスに座った。
見回せば雪人の見える範囲にある机には本の類が山のように積まれ、いつものように雪崩を起こしている。
論文の執筆、もしくは講義の資料を纏めている最中なのだろう。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
居眠りをしていたせいなのか室内が温かかったせいなのか、喉が乾いていてペットボトルからグラスに注がれたお茶を有難く一気に飲み干した。
「美味しいです」
「僕はお茶すらまともに煎れられないんだ」
そう言って自虐的に笑う佐野に少しだけ好感を持った。
「白鳥沢くんは勉強にとても熱心だけど、君の恋人は寂しい思いをしてるんじゃないの?」
「え…?」
まるで雪人に恋人が居るような、そんな言葉が佐野の口から出てくるとは。
雪人は面食らった。
「いえ…恋人なんて…」
雪人の目を真っ直ぐに射抜くように見つめる佐野から目を逸らす。
「恋人なんて…いないです…」
…自分はずっと好きだった人に…捨てられたんです…
胸の中で言い出せない言葉を続け、唇を噛んだ。
「どうして?こんなに魅力的なのに?」
正面にいる佐野の手がローテーブルに置かれた雪人の指に触れた。
予想外の佐野の行動に雪人は思わず手を引っ込めた。
だが佐野は引かない。
無言のまま雪人の手首をその手に捕らえていた。
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