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第73話

雪人は幸せだった。 小さな箱庭のような世界で母と二人暮らしていた。 小さな幸せはその時間までも小さく、雪人が三歳になった日に、突然終わりを告げた。 窓ガラスが真っ白に曇るほど冷え込んだ雪人三歳の誕生日前夜、母は幼い雪人にこう言った。 「明日、あなたの父親がやって来る。今とは違う生活になるけれど私は雪人、あなたを愛しているわ」 ひんやりとした手が幼子の頬を愛おしく撫で、雪人は黙って母の言葉を聞いた。 小さな子供が眠るにはいささか遅い時間、頬に一つキスを貰って雪人は布団に入った。 “明日は父親に会える” 幼い雪人にはそれがどういう事か分からなかった。 ただ、皆の言う父親という名前の大人が自分にも居る、という事実が嬉しかった。 誕生日の朝、雪人は一人で目覚めた。 窓の外は暗く、寒く静かな朝だった。 いつもは母親が雪人を起こし、一緒に朝食を摂るのが日課となっていた。 だが母親は何時になっても雪人の元へは来なかった。 待ちきれずに起き出して母を探すが家の中には雪人一人きり。 それほど広くない家の中を…何度も何度も同じ場所を探した。 …だが見つからない。 昼を過ぎた頃、父親を名乗る男が雪人を迎えに来た。 芳人だった。 芳人は着の身着のままの雪人を車に乗せて、黙って小さな箱庭の世界から連れ出した。 外の世界は雪が積もり真っ白だった。 雪は雪人の母も、幸せも、白く覆い隠して… 全てを無かった事にした。 今となって母との記憶は曖昧になってしまったが、楽しかった毎日が真逆の日々に変わってしまった事を雪人は忘れる事が出来ない。 雪人は心を病み、見かねた純の父 真人が自分の息子と一緒に育てる事にしたのだった。

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