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第74話

「雪は僕から母を奪ったんだ」 暗い空を見上げ、手を伸ばす。 宙を掴む指先は何に触れることなく静かな闇を指し、雪人は目を閉じ、膝から崩れた。 …温かな空気に包まれている…。 雪人は懐かしい温度を感じていた。 …幸せだった時間と とてもよく似ている…。 畳の上に敷かれた布団の中で周りを見ると机と本棚が見えた。 窓には明るい色合いのカーテンが掛けられ、雪人のすぐ側に水の入ったペットボトルが置いてある。 部屋の主はここに居ない。 雪人はそっと起き出して襖を開けた。 小さなキッチンと小さなダイニングテーブル。 大木は静かに教科書に目を落としていた。 「運んでくれたの?」 急に声を掛けても大木は驚くこと無く雪とを見遣る。 「寒空に放置できませんしね」 「ふーん」 感謝も謝罪もせず、雪人はキッチンを見回す。 簡素な設備は一人暮らしに合ったものだ。 「たいしたものはありませんが…夕飯食べますか?」 「うん」 ご飯、味噌汁、厚揚げと鶏肉の煮物、青菜のお浸し…と和風の料理がダイニングテーブルに並べられた。 勧められ、料理に箸をつけると懐かしい記憶が雪人の脳裏に浮かんだ。 …母さんと…こうして食事してたっけ… 小さなテーブルで母と二人、質素だが温かな暮らしをしていた頃を思い出していた。

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