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第2話

【犬の恋】 「また大きくなったんじゃないか? あちらの生活は楽しかっただろう」  頭上から響いてくるのは、重厚で威圧感はあるけれど、どこか優しげな(あるじ)の声。使用人や部下に命令を下すときには冷酷なのだが、血を分けた弟相手には気を張る必要もないのだろう。 「そうだね。勉強は少し大変だったけど、帰国するのが嫌になるくらい楽しかった」  それに答えた青年は、快活そうな笑顔を浮かべてこちらをチラリと見るけれど、その瞳は全く笑ってなどおらず、途端に震えてしまう体を主に悟られないように、佑は視線を下へ背けてこの場をやり過ごそうとした。 「どうした? 気分でも悪いのか?」  すると、僅かな変化に気づいた主が頭を優しく撫でてくる。  その掌へと縋ることなんてできやしないから、佑は小さく首を振った。なにせ、犬は言葉を喋らない。それは、佑のことを犬として飼うと主が言い始めた時から、徹底して教えられたルールだ。 「ところで兄さん、まだソイツ飼ってんの? 俺が留学する前だから、もう三年以上も経ってるじゃん。まさか、本気でソイツを――」 「子供が余計な詮索をするな」  弟の声を遮った主は端正な顔に苦笑を浮かべ、佑の髪を撫でる指先には僅かな力が込められた。  今、頭上で会話を繰り広げている二人は、おのおのタイプは違っているが、立派な体躯をした美丈夫だ。  兄の匠海は二十八歳で財閥系企業の跡取り。三年前には役員へと就任し、以降立ち上げた新規事業を次々と成功させている。やや切れ長の二重瞼とスッキリ通った鼻筋が、酷薄そうな印象だけれど、その口元へと笑みを浮かべれば途端に優しい表情になる。仕事の時にはきっちり後ろへ流されている黒い髪の毛は、ここ数日が休暇だったため、軽く毛先を遊ばせてあった。  そして、留学先のロンドンから帰国したばかりの弟、颯真は二十一歳になったばかりだが兄と同様優秀だ。やや赤みのかかった髪の毛は襟の辺りで切り揃えられ、爽やかな好青年という印象を放っている。目尻が僅かに下がっているせいなのか? 兄に比べると甘く優しげな造形をした面立ちは、三年前に見たときよりも精悍さを増していた。 「もう子供じゃない。兄さん、悪いことは言わない、もうそんな奴飼うの止めろよ」 「まだ学生だろう? 心配してくれているなら、安心しろ。おおかた親戚の誰かに言われたのだろうが、私はしかるべき時に結婚するし、跡継ぎも作る」 「そんなこと言ってるんじゃ……」 「もうこの話は終わりだ。そういえば、お前、向こうで彼女を作――」  途中から、二人の会話を追いかけられなくなったのは、結婚すると匠海が口に出したからに他ならない。  分かっていた事とはいえ、こうもショックを受けるとは、予想もしていなかったから佑は酷く動揺した。

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