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四、

――きゃはは! あははは! いい気味じゃないか、ざらめ! 耳の奥で、いやな笑い声がこだまする。ざらめは首元をはたと押えて目を覚ました。首の脈が激しく指先を叩く。 借りている長屋の一室、外では人々の生活音がいつもと変わらず響いている。商売人たちの売り歩く声、子供たちの遊びはしゃぐ声、女房が亭主を叱る怒鳴り声……。 ざらめは布団からずりずりと体をひきずって、鏡台を覗きこむ。白い首にうっすらとついた痕は、もう何年も消えない過去の心の傷だ。 「……あ、そうだ」 先ほどの、見知らぬ恩人にもらった竹筒と手拭いを手繰り寄せる。水はありがたくその場で飲み干したが、手拭いは使わなかった。白地に紺染めの籠目模様の、どこにでもある手拭いだ。しかしざらめにとって、久しぶりに触れた人の温かさそのものだった。 「会いたい」 ぎゅっと手拭いを握り締め、頬を寄せる。顔も名も分からぬあの人に。微かに覚えているのは、肩口をなぞる黒い毛先だけ。 「会って、お礼を……」 ふいに手拭いから、どこかでかいだことのある匂いがした。皆目見当はつかないが、優しくやわらかなそれに、胸の奥が引き絞られるような気さえする。 もう一度だけ息を吸い込んで、ざらめはその匂いを体へ取り込んだ。  ◆ ◆ ◆ やはりその日は、昼過ぎから雪が降った。ぼたんのような雪は地面を埋め尽くし、人々を屋内へと遠ざけた。夜ともなれば、空気はひどく冷え込んだ。 人が外を出歩かなければ、夜鷹の商売は成り立たない。となれば一時休業する夜鷹は増える。それに連鎖して、二八蕎麦も儲からないので、自然と屋台も畳むことになる。 「こりゃ、うちもだめだな……」 しまきは綿入れの袖口に、互い違いに手を突っ込んで暖をとりながら、白い息を吐いた。もともと客入りの少ない屋台だ。言葉を交わすような馴染みはおらず、やはり近寄る者はいない。防寒のために巻いた首の手拭いを結び直す。そうして屋台を畳もうとした刹那、ふいに雪を踏む雪下駄の音が近づいた。 「あ、もう終いですか」 「……、ああ」 しまきは少し言葉に詰まった。それは、あの夜鷹であった。男たちに蹂躙されていたのが気にかかって、思わず余計な世話を焼いてしまった青年の夜鷹だ。 「この雪夜では……商売も成り立ちませんね」 そう苦笑する夜鷹のどこか悲哀に満ちた雰囲気が、艶となって昇華する。その漆塗りのような黒髪には、籠目模様の手拭いが被されていた。……それは、まさに今朝しまきが与えた手拭いだろう。 「…………お前さんも、そのクチだろ?」 「ええ。せめて蕎麦でも食べて、暖まってから帰ろうかと……」 ――ざらめは、そのとき漂う匂いにはっとした。手拭いにしみついていたのは、蕎麦湯のほのかに甘い匂い。そして店主の首に巻き付くのは、同じく籠目の手拭い。 雪をまとう寒風が、彼らの手拭いをはらはらと揺らした。 「――……」 しまきとざらめの視線が、じっと絡まる。二人とも、ただ無言だった。しんしんと、雪の降る音が彼らを包む。 「お名前を、訊いても?」 やがて沈黙を破ったのはざらめだった。その頃にはもう、雪の冷たさは気にならなくなっていた。 「……しまき。風巻篤嶺(しまきあつみね)。お前さんは」 「ざらめと……申します」 「甘い名前だな、ずいぶんと……甘い……」 どちらともなく、彼らは身を寄せ合う。それはまるで、その冷えを温めるかのように。 ざらめの肌は雪のように白く儚く、触れたら溶けてしまいそうだ。けれどそれも自発的に熱を持って、しまきの手先に温もりを与えた。 場末の出会い茶屋。ほかの部屋もそうなのであろう、遊女や夜鷹の善がる声が薄い壁を隔てて響く。 「しまき様、さあどうぞ……」 「……おい、それは……」 敷かれた一組の布団にて、ざらめは体を伏せ、腰をあげる。 小袖の裾をまくりさらされた下帯の背面には、縦に裂け目が走っている。ちょうど二つの丘の狭間を辿るような、通常の下帯では有り得ない裂けだった。 「好奇心から、抱かれることもあります。夜鷹の男根など見たくないでしょう?」 そこから挿れろということらしい。それは確かにある意味で扇情的な様相だが、しまきはざらめの肩を掴むと軽々と表へ返した。 「……俺は、そんなことを気にしてまで、お前さんを抱こうとしない」 そうして深く口付ける。しまきの熱い舌が口内を襲った。 普通、夜鷹は客とは口吸いは交わさない。けれどざらめもまた、夢中になって舌を絡めた。先ほどまで凍えていた白い息は、熱色を帯びていく。 「ああ……しまき様、それは」 「恥ずかしいか?」 「……今更ながら、とても」 しまきの手が帯に伸びて、あっという間に解かれる。そうして体を顕にされてしまうと、ざらめは隠れるように身をよじる。客前で裸になるなど、久しぶりのことだった。すべてを晒すような気配がして、どうにも恥ずかしい。 「大丈夫だ。よくなれば忘れる」 「あっ、お待ちを……! 私がよくなるなど……んっ」 はだけた袷に手を滑らせると、小さく腫れ始めた突起に触れる。さした機能も持たぬものだが、それは摘まれているうちに芯をもった。こりこりとした感触を楽しむように、しまきは指先を弾く。 「あ、……は」 ふだんの仕事では、体には触られることがない。しまきの愛撫によってじりじりと熱が生まれ始めた。いつもなら演技で出している嬌声も、今は勝手に音となり唇をすり抜ける。 「こっちも、硬くなったな」 片手で乳頭をいじりながら股に手が触れる。ざらめの陽根は頭を持ち上げ、淫らに涎を垂らしていた。 「やめ……そんな、私だけをよくして、……どうするん、ですか……っ」 「俺が、よくないように見えるか?」 そう言ってざらめを覗き込んだのは、ぎらぎらと欲望に光る瞳。しまきの方がよほど鷹のように獰猛だ。……彼となら、どこまでも高く、空を飛べるだろうか。 つづく

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