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五、
「こんなに楽しんでるっていうのに」
「あっ……」
ぐい、と、しまきの熱が押し当てられる。その温度と感触にざらめは思わず喉を鳴らした。こんなにも他人の雄がほしいと思ったことは、春を売るようになってから初めてだった。少なからず戸惑いも生まれたが、それよりも触れ合いたい欲が溢れた。
「しま、き様……」
潤む瞳を細めて、ざらめは彼の着物に手をかける。その濃紺の衣を剥いて、髪を結わう紐を解いた。烏のような闇の毛先が、逞しい肩から鎖骨までを流れる。ざらめはそれをひどく愛おしそうに撫でた。これだ。これが、あの夜明けに見た肩の毛先だ。
「……あの、こちらは……どうなさったんですか」
顕になった左肩から二の腕にかけて、痛々しい火傷の痕が、ぶどう色をして張り付いていた。ざらめはそこに唇を寄せ、癒やすように這わせる。
軽いひきつりを感じる皮膚に、甘やかな感触が走った。
「はは……さてはお前さん、まだ余裕だな?」
「えっ? あ、まって……」
しまきは己の唇を舐めると、改めてざらめの体を組み敷く。燃えるような視線に射貫かれて、下腹からふつふつとわきあがる欲が体温を上げる。
仄暗い室内を照らす蝋燭の火が、ふわりと揺れて、白い一筋の煙と消え入った。
障子の木枠がうっすら浮かび、宵の幕が開きはじめる。夜中のうちは、茶屋に複数ある部屋からのどれからも睦声が響いていたが、それもいまは静かだ。みな寝たのか、ことを済ませて帰ったのか。知ったことではないが。
「……こんな風に抱かれたのは、夜鷹になって初めてです。屋根のある温かい部屋で……快楽を与えられて……」
布団のなかで肌と肌をぴったりと寄せ合いながら、ざらめはどこか恥ずかしそうに言う。
「それに……これも……」
頬を寄せるのは、しまきの腕。伸ばされたその片腕は、いまはざらめの頭を抱くように支えている。
「……どうして夜鷹なんだ?」
「あいにく、この生き方しか知らず。以前は……茶屋にいました。でも、逃げたんです。……殺されそうになって」
「殺され……」
――白い肌に漆黒の艶髪。憂いを帯びたざらめの表情は、見習いの頃から茶屋を訪れる客の間で話題だった。
『ちょいと井戸をのぞいてみなよ』
陰間茶屋の兄様たちに裏庭へ呼び出され、逆らうこともできずに、ざらめは恐々としながら井戸を覗く。深く暗い水底が、月のようにぽっかりと見えるだけだった。
『いまだ!』
その声と同時に、首に細い紐が巻き付いた。それはざらめの呼吸を一瞬にして奪う。からからと釣瓶の動く音がする。きっとそこに仕込んでいたのを、一気に引いたのだろうが、そんなことを考える余裕はなかった。
『う、ぐぅ……っ』
井戸の淵に腹をつけて、ばたばたと足を揺らす。もがけばもがくほど、蜘蛛の糸に張り付いた弱者のように苦しみが増した。
『あはは! いい気味だねえ、ざらめ!』
まるでただの遊びのように話す仕事上の兄たち。ごみくずでも捨てるように、紐から解放すると、けらけらと笑いながら立ち去った。
醜い、陰間同士の嫉妬。それが彼を襲ったのだ。やがてざらめは、茶屋を逃げ出した。それが思うつぼだったとしても、死ぬよりはましであろう。
「この痕か……」
しまきが首に触れると、ざらめはひくんと震えた。まるで赤い紐のように、あざがまとわりついている。
「しまき様こそ、こんな明け方まで一緒でよろしいので? 奥方が待っているのでしょう?」
「……なぜ」
思いがけぬざらめの言葉に、しまきは目を見開いた。そこにざらめの嫉妬や猜みの色はなく、ただの世間話のように穏やかだ。
「あのような髪紐を、独り者の男が選ぶとは思えません」
「まあ、な……」
控え目な色の衣をまとうしまきにしては、やや華美なつやのある髪紐。それがどこか、彼のものにしては異質を放っていた。
「今宵は、ありがとうございました……いえ、それだけでなく――」
ずっと言いたかったあの時の礼を言おうとするが、それは叶わなかった。しまきの唇が柔らかく重ねられる。啄むような口付けが名残惜しそうに二、三度繰り返す。
「……もう一度、抱かせてくれ。日が昇るまでまだ時間はある」
「あ……でも、私もう……」
「時間か?」
「いえ、そうではなく、て……その……もう、出、ないと思います……」
ざらめの声がどんどんと小さくなっていく。夜中のうちにずいぶんと精を絞り出した自覚があるのだろう。薄暗いなか、ざらめの頬と耳が色づくのが見えた。
「あなただって……」
「それは挑発か?」
「そんな、とんでもない!」
「俺はまだまだ抱き足りないくらいだ。……だが、ざらめが辛ければやめるさ」
「……ずるい人」
夜具の中からざらめの手が伸ばされると、しまきの頬に触れる。それはまた少し、熱を帯びていた。
「あなた様になら、どんなにひどくされても構わない。どうぞ、抱いてください」
「ひどくなんてするものか……いくらでも、よくしてやる」
つづく
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