7 / 10

付記・うたかたの結び目

或る町は、商売が盛んでとても賑やかであった。 竹とんぼ、かざぐるま……印籠、お守り袋……根付け、帯留め……通りの両脇から、皆の目をわくわくと奪う。旅籠のある宿場まで小間物屋などが並び、疲れた旅人たちの心を浮き立たせた。 「そのかんざしに目をとめるなんて、兄さんお目が高いねえ!」 ふと視界に入った、銀杏の葉を模した簪に向けてしまきが手を伸ばすと、威勢のいい店番が言う。 「……し、しまき様」 「どうした?」 なんだか恥ずかしさと居心地の悪さを覚えたざらめは、短く名を呼びながら彼の袂をぴんと引くが、当の本人は涼しい顔をしている。 「お前さんは、こういう飾りは嫌いか?」 「え? いえ、そうではなくて……」 戸惑うざらめの前髪辺りに、その蜂蜜色の飾りをゆらりとかざす。やはりざらめの髪と肌によく映える色だ。 「……大丈夫だ。変に縮こまるよりこの方がいい」 彼の言わんこと、案じていることが分からないでもない。しまきは髪に簪を当てるようにしながら、密やかに耳打つ。するとざらめも静かに頷いて、やがて自然と振る舞うようになった。 「これもいいが……朱も似合いそうだな」 「……私は、あなた様が選んだものならなんだって嬉しいですよ」 「またそういうことを言って」 簪を一つ摘まんで顔まわりにあてては台に戻し、また一つ摘まんでは顔にあて……を幾度か繰り返してから、しまきとざらめは並んで歩き出した。 本当にたくさんの店が立ち並ぶ。これではどれにしようか迷って、結局買わない客もいそうだな、と片隅で思う。 「そうだ」 しまきは思いついたように、ざらめの方を向いた。 「俺の髪紐も、見繕ってくれないかい」 「髪紐……ですか?」 「ああ、ここになら色々あるだろう? せっかくなら、お前さんが選んだものがいい」 そうして彼らは髪紐のぶら下げられた店先へ歩を寄せる。あらゆる染め色、材質、組み方……まるで虹のような紐の羅列だ。 ざらめは指先を伸ばしてそれらを見ていたが、やがて困ったように笑った。 「あの。もう少し、迷わせてください」 さすがにこれだけあれば、迷っても仕方ないだろう。なにせしまきも、ざらめに簪の一つでも贈ろうと思ったのが、結局決められなかったのだから。 そうして、まるで彼らは恋人同士のように道を行き、宿へ向かった。 平旅籠の狭い部屋をとり、濡らした手拭いで旅の疲れを落とす。 湯桶にさらした手拭いを絞るざらめが、ふと口を開いた。 「……ません」 「ん? 悪い、水の音で聞こえなかった」 かたく絞った手拭いをしまきに渡しながら、ざらめはもう一度唇を動かす。 「髪紐のことですが……私には選べません」 「そんなに迷ったか?」 「いえ……といいますか。いまは、……選びません」 ふいに落ちたざらめの視線。それは桶の中のぬるま湯を反射して、きらきらと光って見える。どこか切なげなその様子に、しまきは板張りの床を膝で歩き近付いた。 「どうか、したか……?」 「僭越ながら……あなたのお気持ちは、分かっているつもりです」 まるで手遊びでもするように、ざらめは桶に指先を触れる。水面に触れた指先から丸い輪がうまれ、ゆらゆらと踊った。 「……奥方への後ろめたさ、私への心苦しさ――それがせめぎ合って、新しい髪紐を欲してらっしゃるんでしょう?」 「ざらめ……いや、俺は…………」 そうして真っ直ぐに見上げられ、しまきは言葉に詰まる。正直なところ、図星以外のなにものでもない。確かにこの髪紐は亡き妻からの贈り物であり、悲しみを忘れないためのよすがであった。 けれどそれを、愛するざらめの前で着けていて、よいものなのだろうかと。ずっと悩んでいた。それなら、新たな紐を選んでもらえれば、外す覚悟も決まるのではないかと。 「私は……いつまでも待っています」 「……ざらめ?」 濡れたざらめの指の先が、しまきの両頬を包む。 「あなたがしがらみに囚われず、新しい髪紐を欲しいと願う、その日を」 そう微笑むざらめには、なんの毒気もなく、ただ柔らかに温かい慈愛がそこにはあった。 「なんせ、あなたとなら地獄まで参りますから。それが今生でなくても構い――」 すべてを言い終わる前に背中を強く引かれ、ざらめは前のめる。しまきに強く抱き締められて、目の前には彼の肩があった。この着物を隔てた向こうには、しまきの秘密の痛みがある……。 「ざらめ……お前さんは、ほんとうに……」 しまきの声が、波紋に溶け入るようにくぐもっていた。ざらめは彼の顔を見ないよう、肩にすり寄る。そんなざらめの後ろ髪を、しまきの武骨な手のひらが包み込んだ。 「そんなに……俺を甘やかすな」 一つ鼻を吸う音をさせてから、しまきは真っ赤に潤んだ瞳を見せて、そして小さく笑う。それは苦笑にも、自嘲にも見えた。 ざらめはしまきのうなじに手を回すと、そっと顔を引き寄せ唇を啄む。そうして自らの胸元へ、まるで子供にするように抱き締めて、まるで蜜のように甘やかすのだった。 了

ともだちにシェアしよう!