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第15話

緊張した面持ちでこちらを見つめる陸奥に、俺は片頬を上げてみせた。 「若いのに風流な偽名を使うものだと思ったよ。()つの花は、雪の別名だ。しかし何のことはない、お前の出どころをそのまま名乗っていただけだったんだな」 強張った目に見つめられながら、俺はゆっくりと立ち上がった。陸奥の視線が追ってくる。ストーブの前にしゃがみ、胴にある扉を開けてひらひらと切符を振ると、起こされた風がストーブの中で燃え盛る炎を揺らした。 「ストーブは、便利だな」 肩越しに振り返ると、意図を察した陸奥が目を見開いて腰を浮かせていた。 「やめて…… ください…… 」 「俺は、お前の偽名や肩書きにはそれほど興味はないんだよ。ただ、お前の主人(あるじ)と目的を聞かぬまま、金だけもらって帰すわけにはいかないんだ」 陸奥の整った顔が、緊張して固まっている。 「着物も外套も、上等ではないが丁寧に繕われた跡がある。下男の着る使い捨ての量産品ではないな。おおかた華族の屋敷で世話になっている書生か…… 表方の使用人だろう、違うか?」 切れ長の双眸の中で、迷うように虹彩が揺れていた。 「言わないつもりなら、この紙切れはもう灰になる運命だったということかーー 」 「私は!」 俺がいよいよ切符をストーブの火に放り込もうとしたところで、陸奥の切羽詰まった声が狭い部屋に響いた。 「とあるお屋敷にお世話になっている、書生です…… 」 「『陸奥』か…… 阿部伯爵か、秋田子爵…… 林男爵…… 他に誰が?」 「お名前を明かすことはできません。断じて、申し上げられません」 陸奥は俺の手にある切符から目を離さず、苦しげにそう呟いた。 ようやく話す気になったらしい。俺がストーブの扉を閉じると、若い書生は安堵のため息をついた。 (自身の貞操よりも、この紙切れが大事なのか…… ) まさか書生という身分だけを告げて許されるとは思っていないだろう。俺は切符を懐に戻し、陸奥の向かいに胡座をかいて、話を聞く姿勢をとった。 「私は旦那さまの(めい)により、半年前に一度、こちらに参りました。先生の治療を受けるお嬢さまに、お供させていただいたのです」 見た顔のような気がしたのはそのせいか。俺は記憶を巻き戻し、夏の盛りに身分の高そうな娘を治療したことを思い出した。 原因不明の病に冒され医者にも匙を投げられたという娘は、数人の従者を引き連れてやって来た。顔色が悪くだいぶ弱っていたが、病巣のあった脾臓のつぼに半時間ほどはりを置いたら、たちまち良くなった。 訪ねて来た時とは別人のように血色の良くなった娘は外で待っていた従者たちを驚かせ、庵の前は桜が咲いたかのように賑やかだった。

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