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第18話
「昨夜 は酷いことをして、悪かった。それに何より、昨日知り合ったばかりでこんなことを言い出すのは、俺だっておかしいと分かってる…… 」
表情に乏しくとも、握った陸奥の手は温かい。顔の代わりに驚きを表現するように、その指先がピクピクと震えていた。
「俺は人と関わるのが嫌になって山に篭った。もう六年ほどになるが、人恋しいなどと思ったことは一度もなかったんだ。でもお前には…… 山を下りてほしくない。ここに、俺と一緒にいてほしい…… 」
そう乞うと、陸奥は静かに長い睫毛を伏せた。
「先生は、誰にでもあのようなことをなさるのでしょう…… ?」
「しないよ。信じられないかもしれんが、あんなことをしたのはお前にだけだ。確かに、患者の身体には触る。熱を持たせないと、病巣が見えないからな。でも…… 俺は患者と姦通したことはないし、あんなふうにしたいと思ったのも、お前だけだ」
「なぜ…… ?」
「分からない。我を忘れてしまった…… お前を手元に置いて、好きなだけ愛でられる主人 に嫉妬したのかもしれない」
「私は…… 可愛げがない、つまらないと、言われました」
可愛がりもしなかったくせによくもそんなことを。
俺はその言葉を抑え、陸奥に寄り添って彼の髪を撫でた。
「おもしろいことは、二人で一緒に探せばいい。春になれば、すぐそこの川で山女魚 がどんどん釣れるぞ。夏の蛍もそれは綺麗だ。獣を捕って牡丹鍋にするのもいいし、秋には柿や栗が山ほど採れる」
陸奥の黒い瞳が、光を宿して揺れた。期待するように顔を上げた彼に、俺は言葉を重ねた。
「餅が好きなら毎日だって焼いてやる。山の水で炊いた飯も美味いぞ。魚を焼いてやるし、猪もさばいてやる。採った柿は裏に釣るしてあるんだ。じきに粉をふいて食べ頃になるから、いつでも好きなだけ食えばいい。仕送りなら麓の村からでもできる。田舎の家族には金と一緒に、食べきれずに困るほど山の恵みを送ってやれるから」
そっと手を引いて、華奢な身体を抱きしめた。
「帰らないでくれ」と懇願すると、細い腕がおずおずと俺の背中に回され、手のひらの熱を伝えて応えてくれた。
「父の形見の品が…… それに、借りている本なども、屋敷の部屋にあります。一度は、戻らなければなりません…… 」
「一度は」と断った陸奥の言葉は、ともに山に居ることに了承の意を示している。
身体を離して間近で顔を見つめると、恥じらうように目を逸らした彼の頬は、わずかに桜色に染まっていた。
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