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小説家くんと家政夫くん──9

「──遅くなりました。ハナさん起きて……何してるん、です、か?」  シロー君が帰ってきた。しかし何故そのように困った声と顔をしているのだろうか。 「お帰りー、おはよー」 「おはようございます……あの、本当に何を──」 「──何って、見ればわかるでしょ?」  と、包丁を持った手の甲で顔を擦ろうとしたら、ストップ! と大きな声を出されてしまった。 「包丁っ、置きましょうっ。まずは、ね!?」  何だ何だ、と言われた通りに包丁を置く。そのように慌てる事なんて今のところないはずだ。だって僕は順調にやっている。 「どうしたの? ただ炒飯作ろうとしてただけだよ?」 「炒飯……?」  料理自体が久しぶりなので少々手間取っているが今のところ怪我はない。まな板に散らばる野菜や肉を両手で寄せて、準備完了。あとは卵と米でしょ、と幾分満足しながら僕は手を進める。 「……ある意味すごいです。よくここまで汚──手際がっ、斬新と言いますか何と言いますか」  後半ごにょごにょ、と小声の早口だったため聞こえなかった。 「シロー君のも作るからねー」  具材を切る前から火を点けていたフライパンに油を、と思ったら結構勢いよく注いでしまった。その瞬間、炎が目の前に現れた。 「──ふぉおおお!?」 「ヘースケさん! 蓋っ!」  火柱に身動きできなかった僕はシロー君に肩を引かれ、濡れ布巾を頭から顔に被せられた。蓋をするけたたましい音とスイッチを切る音がすぐ聞こえて、はぁ、という彼の安堵のため息も聞こえた。 「び、びびったぁ……」 「それは俺の方です……大丈夫ですか?」  濡れ布巾を頷きと同時に手に落とす。上にある換気扇のボタンを押すシロー君はまだ僕の肩を引き寄せていて、すぐ上に見える彼の口が少し怒っているように結ばれていた。 「……ごめんね、シロー君──」 「──うわっ」  と、驚き声に僕も驚いた。 「ヘースケさん、髪っ、髪!」 「へ? え?」 ────  庭へと続く小さなバルコニーで、僕は大きめのバスタオルを肩にかけてカウンターチェアーに座っている。目の前には袖を七分まで上げたシロー君が立っている。やや冷たい外気と彼との間にある変な空気が少し肌寒くもあった。 「……これも家政夫の仕事なんでしょうか?」 「お、おそらく違うと思います……本当にお世話かけます……」  足元には新聞紙、僕の手にはゴミ袋がありシロー君の手にはハサミが握られている。しょきん、と一度ハサミを閉じたシロー君が僕の少しだけ燃えた前髪に触れた。どうやら毛先の端々がちりちりに焦げてしまったようだ。ごっそり燃えなかっただけ良かったと思おう。そして僕の不器用さが大いに露呈したわけなのでこの状況、今から焦げたところを切ってもらうのである。 「動かないでくださいね。さすがに人の髪の毛を切るのは初めてなので」  それは僕もない、と摘ままれた前髪を上目に見る。大きな手から向こうにシロー君の真剣な顔も見えた。 「ハナさんってなんていうか……すごいですね、色々と」  すごい、イコール、ひどい、の図式が浮かんだ。確かに髪の毛を焦がすなんて滅多にない事だろう。それにキッチンも客観的に見るとどれだけの惨状かわかった。ここまで出来ないと思わなかったのが本音で、ここまで出来ないと知った落胆にため息が出っぱなしだ。 「でも、嬉しかったです。俺の分まで作ろうとしてくれた事」 「大失敗しちゃったけど……」 「それはそうですけど、ありがとうございます」  そう言ってくれるシロー君の顔が目の前で、くしゃ、と微笑んでまたすぐに真剣な顔に戻る。こんな事で嬉しいとかお礼とか、素直に照れる自分がいた。  シロー君っていい子だなぁ……かっこいいし、こんな子が好きな人だったら──ん!?  はっ、と我に返って、今自分何を考えたんだ、と視線を外して俯いた。 「駄目ですよ、動いちゃ」 「う、ご、ごめんっ」  なんだか痒くって、と変な言い訳で誤魔化しながらも顔を見られたくなくて両手で覆う。  んー……心臓、落ち着け。 「あと少しなので我慢してください。大きく切ったわけではないので大丈夫だと思いますけれど、気になるようでしたら髪切りに行ってくださいね」 「はーい……」  うん、落ち着いてきた。 「それとハナさんにお話があるんですが──」  ──と、玄関が開く音がした。シロー君も気づいたようで振り向く。 「誰ですかね。見てきます」  宅配、かと思ったがそれならインターホンが鳴るはずだ。じゃあ考えられるのは、と思った時すでにシロー君は部屋に上がっていた。おそらくユーキだから出迎えなくていいよ、と言おうとしたら口に切った髪の毛が入ってしまい言えない。まぁいいや、と頭を振って待つ事にした。 「──うーっす、近くまで来たから……っと」  やはりユーキだった。同じタイミングで廊下への扉に手をかけたらしく、シロー君は後ずさりして僕と顔を見合わせた。うん、と頷いて知り合いだという事を示す。 「……失礼しました。初めま──」 「──ヘースケに用あんだけど」  僕はバルコニーから部屋に上がりながらユーキの返答に棘を感じた。挨拶しようとしているのに遮るとは何事か。そういうのは大嫌いだ。 「ユーキ、何だよその言い方」  食ってかかろうとしたがシロー君が僕の前に手を出して止める。 「……何でしょうか」  二人は僕よりも随分背が高く、頭上で対峙している。 「は? 君に関係あんの?」  またむかつく言い方のユーキに、かちん、ときた。何故不機嫌なのかもわからない。僕が知るユーキは初対面の相手にこういう事はしない常識を持った奴だ。家に入って来た時はいつも通りの声だったのに今はどうだ、誰が聞いても癇に障る声を発している。初対面の相手に向ける目付きでもない。 「一応、この家を任されていますので」  そんなユーキにもシロー君は毅然(きぜん)と答えてみせた。しかしユーキは変わらなかった。 「はっ!」  吐き捨てるように笑ったのである。  今日のユーキはおかしいの一言に尽きる。今だって一瞬でも笑う箇所なんてなく、僕達が無言で見ているのも構っていない。隣に立つシロー君を見上げると、流石に眉間に皺を寄せ不快感を表しているようだった。僕も似たように怪訝な顔になっているだろう。

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