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小説家くんと家政夫くん──10
「……どうしたんだよ、何? 何してんの?」
ユーキは僕に軽く手を挙げて止める。何を言うつもりか──。
「──君さ、ヘースケの事好きだろ」
そう聞こえて、口が開く。
「……は?」
声も出た。このタイミングで出る内容ではないし、どう答えていいかもわからない。シロー君も先ほどと変わらない不快な表情を見せている。何が何だか、と混乱する自分がいた。
するとまたユーキが話した。
「だったらここ、辞めた方がいいんじゃない? 私情を挟むなんてプロ失格だろ──」
「──あんたに関係ないじゃないですか」
食い気味の冷たい声が聞こえたのはすぐで、僕は彼を見上げる。
……なんて顔、してんの?
静かに、哀しく怒るシロー君は真っ直ぐにユーキを見ていた。それでもユーキは挑発するように薄く笑う。僕もこれにはむかついたが、ここで乗っては話が出来ない。
「ちょっと待って。シロー君も──」
「──どうしてあんたに言われなきゃなんないんですか!?」
しかしシロー君は返してしまった。掴みかからないとも限らない勢いだったため彼の腕を掴んで落ち着かせようと試みる。
「……待って待って。ほんとにどうしたの? 二人ともらしくないよ?」
「ヘースケさんは黙っててください」
「なっ──」
掴んでいた手も解かれてしまい、初めて見るこんな二人に驚くばかりで混乱に混乱が重なりどうしていいかわからなくなってしまった。するとユーキが深いため息をついた後、僕にこう言う。
「ヘースケ、こいつ雇うのやめたら?」
「なんで……僕言ってたじゃん、シロー君はちゃんとやってくれてるって」
ここで、この部屋で話した。最初、僕の家だと戸惑う衝撃も感じたはずだ。それに僕の生活が良くなったのも見たはずだ。環境も体調も、シロー君の家政夫ぶりの評価に比例していると言っても過言ではない。
「そーじゃなくてだなー?」
知っているはずのユーキは天を仰ぎながらまだ薄ら笑う。
「だから! あんたには関係ないって言っ──」
「──関係あるさ」
と、ユーキが僕の腕を引いた。足がおぼついて胸にぶつかって、聞こえた。
「俺はこいつが好きだからな」
そのまま肩を抱かれて、引き寄せられた。
しん、と部屋に沈黙が流れて、僕はうろつく目でシロー君を見て、驚いているのが見えて、自分も驚いているのがわかった。そして、おそらくこういう理由だろう、と口にする。
「……そりゃ、ユーキの事は好きだよ。何年友達やってると思って──」
「──あーくそ、お前、マジかよ」
遮られて、回答が違っているとわかった。首に手を置いて呆れるユーキはまだ僕を離さない。
「そういうんじゃねーやつ。そいつは気づいてる」
シロー君は顔を反らしていた。それでもわかる横顔は、頬に悔しそうな力が込められている。
「な?」
ユーキの挑発のような問いにシロー君は呟く。
「俺は……俺は──」
「──あらら、言うんだ? 立場わかってねぇんじゃねぇのー。なぁ……家政夫さん?」
また棘のある言い方のユーキに我慢が出来なかったか、ついにシロー君が掴みかかった。体格が良い彼だ、胸倉を持ち上げるように引き寄せ、ユーキがよろめく。なのにユーキはまだ煽った。
「何、殴っちゃう?」
僕ももう、我慢の限界だった。
「──二人ともいい加減にしろ!!」
二人の間に割り込んだが、計らずもユーキに抱き着くような形になってしまい、慌ててシロー君に振り返ったがもう遅かった。曇った顔が、勘違いをさせたのだとわかったのだ。
違う……違うっ。
再びシロー君は俯いてしまう。
「……すみません、俺……帰ります」
「待ってよ、違うっ。シローく──」
続きはユーキに再び抱き寄せられて止まってしまった。
「──何だよっ、離せって!」
シロー君はリビングの隅に置いていたバッグを肩にかけて、開いたままのドアから廊下を出ていく。一度も振り返る事なく、一度だけ止まって、こう言った。
「……ごめんなさい」
足音だけが遠ざかり、玄関の音も遠くで聞こえた。行ってしまった。呆然、とただドアを見ていた。ユーキの腕を振り払ったのは、それから少ししてからだった。
「何なの?」
「んー……」
ここにきてばつが悪そうにするユーキは何を思っているのか。今更遅いとしか僕は思わない。
「僕はユーキもシロー君もどっちも好きだ。あんな言い方……僕だって怒る」
今まで僕が言われてきたどの嫌味よりもむかついた。ユーキは昔からそういうのに長けている節はあったが、それは戯れの範囲で直接ぶつけたりはなかったはずだ。馬鹿な事も上手く避けて、常識から外れるのが嫌いだと思っていたのに──思っているのに。
「……それは嫌だなぁ」
「嘘だね」
何年友達やってると思ってるんだ。ユーキは嘘をつくとき、無意識に眼鏡のつるを触る。そんな小さな癖がわかるくらい、僕達は友人だ。
「今の、僕を挑発したんだよね?」
シロー君はただ八つ当たりされただけ。全部、僕にだ。その証に、はーっ、と長くため息を吐いたユーキはソファーに座り込んで、降参と見える両手を軽く挙げた。
「そうだよ。お前にいらいらした。だからやった」
意味がまだわからない。気分屋はいつもの事だがそうでもなさそうだ。
「僕、何かした?」
「うん」
頭が割れそうだ。全然わからない。何が原因で、何が理由か。友達をここまで変えてしまう僕は、何をした──。
「──その自覚ねーとこだよ!」
と、痺れを切らせたユーキは僕の腕をまた掴み、引っ張った。そして口に酷い痛みが走ったと同時に目が大きく開いた。
僕の口とユーキの口が、ぶつかったのである。
「むぅ!?」
一瞬のような、数秒のような突然のキスに僕は抵抗する間のなく肩を押されて、離された。
「……つまり、こういう事」
近くにある眼鏡の奥のユーキの目は、いつも通りだった。友達の──友達だった、男の目。
「悔しかったから、からかった……悪かったな」
そう呟くユーキに僕はやっとで察す。まさかの理由に動けずにいると知った彼が僕をソファーに座らせ、すぐに部屋を出て行く。玄関が閉まる音が聞こえて、やっとで体の力が抜けた。ソファーの背にもたれ、天井を見上げる。
こういう事って、そういう……。
袖口で口を拭う。
あー……。
背中を滑らせてそのまま横に倒れると、かさ、と頭に何か当たった。掴んで顔の前にやるとコンビニの袋で、飲むタイプのゼリーが薄っすらと見えた。一つを取り出して額に当てる。
ユーキが僕に好意を持っているなんて知らなかった。いつからそうだったんだろう。何年も友達でこれがこのまま続くのだと思っていた。不愛想で知らぬ間に敵を作ってしまうユーキで、でも根っこは優しい奴だと知っている。放っておけない性格で、世話好きで──本当は一人が寂しいやつで。皆には隠れてる部分を知っている癖に、僕は今まで何を見てきたんだろうと思った。
それにシロー君も、知らなかった。いつからそんな風に見てたんだろう。最初からずっと変わらず礼儀正しくて、少し打ち解けてから話すようになって。けれどまだ、僕は彼の事を知らない。同じくらい、彼も僕を知らないはずなのに。
……わかんない。
友達だった奴と、家政夫だった子。その二人が、僕を想ってくれている。
散らかしたキッチンそのまんまだ……どうしよう……。
カウンターチェアーにシロー君がいつもつけている黒いエプロンがあった。忘れていったのか、とそれだけではなく変に眺めてしまう。それにこんな時でも感じる空腹に腹が立った。
今日も楽しくなるはずだったのになぁ……。
はぁ、とため息をついて寝返りを打った僕はうつ伏せで、温かいものが食べたい、と思ったのだった。
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