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友達さんと担当さん──1

 ──やっちまった。やらないつもりだったが、もう遅い。  ヘースケの家のドアを閉めた俺──柳井結希(やないゆうき)は、ドアを背に滑り落ちながら座り込んだ。首をがっくりと落とし、頭を掻く。  あー……何やってんだ、俺……。  学生時代からの友人に、親友とも呼べる奴──日向平介(ひむかいへいすけ)に、キスしてしまった。それも好きだなんだと言う前に、強引にだ。高校時代から今まで、二十七の年まで黙っていたはずだった。そしてこれからも言う予定のない想いだったはずなのに、(たが)が外れた。 「あー……クソったれ……っ」  そう呟いたところで時間は戻らない。かけた眼鏡の下から手を滑らせて顔を覆うが、ヘースケの顔がちらついて仕方がない。突然引き寄せた時の目は真ん丸で、すぐに近づいて──ぶつかったキスはもう覚えていない。歯が当たったか、俺の唇は少し切れたようで指でなぞると少しばかり血がついた。  まだ昼だというのに目の前が昏い。頭を抱え込んだ俺はしばらくそこから動く事が出来なかった。 ────  ──などというわけにもいかないので数分後、ヘースケの家を後にした俺は当てもなく街を歩いていた。せっかくの休日も気づけばもう夕方で、冬に近い夜の足はすぐに迫っている。どこにも、家にも帰る気もしない。音が溢れる街は鬱陶しいだけのはずが今は僅かながら紛らわせてくれている。しかし一日の終わりに近づく温度は冷たく、体も冷えてきた。こんな時でさえ腹が減ったと感じた。  はー……虚しいが重なるわ──。 「──あ、すいません」  大通りの横断歩道を渡ろうとした時、人の波を避けるはずが隣の人の肩に当たってしまった。 「いえ、こちらこそ──あれ?」  胸から下に落としていた視線を声に、顔に上げてみると、あ、と気づいた。 「ああ、どうも。えーと、ヘース──ではなく、三咲花汰(みさきはなた)の担当の──」 「──はい、楠木(くすのき)です」  ノーフレームの眼鏡をかけたクスノキさんはヘースケが倒れた時に会ったきりだった。名刺もなにも頂いてなかったし、それから会う機会ももちろんなかったので偶然の再会だ。 「あなたは、えー……ヤナイさん、で合ってます?」  はい、と言うと、先日は大変でしたね、と少しばかり話が始まってしまった。ネタは共通であるヘースケについてが出てくるのは当たり前だが、俺はその話はしたくなくて相槌ばかり打ってしまっている。そういえばこの人が家政夫を提案したんだったか、と思い出した。  そのおかげで良いも悪いも俺は……。 「──何かあった顔してますねぇ」  はっ、と我に返ると、クスノキさんがにやりと笑ったように見えた。初めての顔は俺を驚かせたが、今日が二度目の顔合わせのため知らない顔があって当然だと落ち着ける。  クスノキさんは俺と同じく眼鏡をかけていて、同じくらいの身長で幾つか年上だろう。柔らかい雰囲気は大人のそれで、しかし癖なのか時折、じっ、と見てくる切れ長の目が印象的だった。卑しい、という表現が似合いだろうか。 「……まぁ、色々ありまして──」 「──三咲先生と」  似たり寄ったり、俺の勘は冴えていた。彼は表に出す雰囲気とは違い、鋭い。しかし俺が人に気づかせるほど弱っていたかと思うと癪に障った。横断歩道はすでに渡っていて、人波の邪魔にならないように歩道の端に俺とクスノキさんは立つ。道路の通りに拓けた空の空間は夜に色づき始めていた。 「これから呑む予定なんですけど、どうです?」  よければですけど、と八重歯を見せて笑うクスノキさんに隙はない。俺がどっちに転んでも良いとする誘い方は狡くも優しさを感じた。だから俺は断らない。一人で居たくないという言い訳もやめる。ただ単に、目の前の男に興味が沸いたのだ。 「いいっすよ、店は任せます。あとクスノキさんって下の名前なんですか?」 「(とおる)です。君の名前も教えてほしいなぁ」

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