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ラテとエスプレッソ──2
タチバナが淹れてくれたのはエスプレッソだった。まずこの家にエスプレッソマシーンがある事に驚いたのだが、どこに埋もれていたのやら。何にせよ、作ってる時からの良い匂いがしていた。
「淹れんの上手いな」
白いカップに甘い砂糖を落とした温かいエスプレッソがじんわり体を温めてくれる。タチバナはそれにミルクをいれたラテを楽しんでいた。
少し、話をした。彼はあれからこの家に住んでいるらしい。以前まで住んでいたアパートは火事に見舞われたらしくご愁傷様な事だ。何にせよヘースケのずぼら具合は住み込み家政夫くらい居てくれた方がいいだろうし、タチバナも住まいが見つかり上手く合致したという感じだろう。
だがタチバナは浮かない顔を見せた。
「……俺、甘えてますよね」
「そ?」
俺は煙草を取り出すと、タチバナはすぐに気づいて灰皿を持ってきてくれた。
「この仕事も伝手 を頼りましたし、ちゃんと自分の足で立ちたいんですけれど……前バイトしてたところは給料踏み倒されて潰れるしアパートは火事になるしで……」
災難続きの続きで俺が煽ったりと申し訳ない気持ちもあるが、しっかりしてるんだなと感心した。煙草を深く吸い、煙を吐き切りこう言う。
「甘える時は甘えとけ、って思うけどな」
「そういうもんですか?」
「さぁな」
「えっ、えー……?」
晴れたり曇ったりの顔が面白い。
「なんてな。どういう経緯でここに辿り着いたかは知らねぇし、知ろうとも思わねぇけど、今お前はここにいる。それも良い状態。だろ?」
タチバナは少し考えた後、頷く。
「それに甘えてるっつーんならヘースケの方だろ。お前がいなけりゃ今頃ここはゴミ屋敷であいつは入院中だ」
そう言うとタチバナは先ほどよりも早くに頷いてみせた。すでに心当たりは彼の中にたんまりとあるようだ。
ここは良い空気があるような、そんな心地がする。エスプレッソの香りのせいか、甘苦い味のせいか。強張っていた表情も互いに緩くなってきている。
「──ヘースケと上手くいってんの?」
だからつい、聞いてしまった。ちょうど飲んでいたタチバナはむせ、頬や耳を赤くして答えてくれた。
俺はヘースケが好きだった。友人関係ではなく、ちゃんとした好意だったのは俺の中が知っている。ずっと隠したままそばにいれるものだと思っていた。もし伝えたとしたらいなくなるものだと思っていた。実際はこんなもん、と形容する。それにタチバナに聞く時点で決まっている。
俺はヘースケが好きだった──過去完了形。
意図しないそれが可笑しくて俺は声もなく笑った。
「い、言いにくいですよ……だって、その、ヤナイさんとこんな話」
「そうだよな、悪い。俺はもうケリついてっから、つい、な」
すらすらと言えた自分に少々驚くが、それよりもタチバナの方が目を開いて驚いていた。
「最後にチューもしたしよ、無理矢理だけど」
「へ?」
しまった、知らなかったか、と俺はエスプレッソを飲んで誤魔化す。もやもやしたタチバナの顔が面白いが、彼はすぐにこう言ってのけた。
「──大丈夫、です。俺はこれからいつでもなんで!」
さすがにこれには、かちん、と頭にきた。赤い顔のまま仕返しとはなかなかやる。
俺は眼鏡のブリッジを中指で上げる。
「……シロちゃんっつったっけ、名前」
「はい、司郎 ですけど……何でですか?」
煙草を消してカップを置いた俺は立ち上がり、箱型のスツールに座ったままのタチバナの両肩に手を置いた。そのまま、じぃ、っと目を見つめてみると怯えからか目がうろうろと泳いでいて、俺はにやりとする。
「やっぱむかつくからお前にもチューしてやる」
「はっ!? い、いいいい、いやあの、嫌ですけど!?」
「黙ってやられろって」
さらっと横から出てきて、早々と上手くいきやがっての気持ちは消えない。だが俺は悔しいよりも嫌がらせしたいの方が大きかった。だから決行したいのだが、タチバナは逃げる逃げる。体はでかいし力も強いが手を上げる事はしないと踏んで、俺はしつこく追いやった。
「観念しろ、ガキ」
「いいいい、嫌ですってば!!」
両手を頭の上に掴み、ソファーに押し倒されておいてまだ抵抗する気か。
その時、リビングのドアが開く音がして俺達は同時に顔を横に向けた。
「ハ、ハナさんっ」
「よ、ヘースケ」
家主、ヘースケが帰ってきたようでドアのところで立っていた。いつもの部屋着よりも多少マシな服を着たちんちくりんは、疲れた顔で肩に掛けたバッグを下ろす。引き籠りがちでほとんど対人しない生活だ、きっと人酔いでもしたのだろう。
「ただいまー。ユーキ久しぶりだね、元気そ」
ほらな、と俺は軽く噴き出した。知り合った時から俺とヘースケはこういう感じだ。付かず離れずでお互いの距離感が自然で自由で、過ぎた事も収まればしこりを持ち出す事もない。
俺の友人は、良い奴だ。
「シロー君とも仲直りしたんだ、良かった良かった」
俺がシロちゃんを組み敷いている体勢でそれを言えるヘースケにまた笑いが出た。しかしそれどころではないシロちゃんが助けを叫ぶ。
「ハ、ハナさん助けてくださいーっ」
「えー? 大丈夫だって、食われたりしないよ。僕着替えてくるねー」
「そんなぁ」
嘆くシロちゃんもヘースケの対応も可笑しくて──横向きでやりやすくなった頬に、隙あり。
「──ご馳走さん」
このくらいの嫌がらせは許されるだろう。青くも赤い変な顔でソファーで倒れたままのシロちゃんも、今となっては可愛い奴だ。
ああ、雨が上がった。エスプレッソが美味い。
【ラテとエスプレッソ──終わり】
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