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白と猫
まさか漫画やアニメのような展開が自分の身に起きようとは思うはずもない。
か細い雨が降る中、俺は帰り道の河原の茂みにしゃがんでいる。帰り道というのは、どうしても珈琲に牛乳を入れたのを飲みたくなったので牛乳だけを買いに行ったからだ。それに最近寝つきが悪いという俺の雇い主兼恋人のヘースケさんにも、蜂蜜入りのホットミルクも淹れようかと考えていたのでちょうど良い。そして俺が何を見ているかというと、何か声が聞こえてきたからだ。人が歩く道から寄り茂道を三歩、四歩入ったところでそれが見えた。
……人って、当然のように酷い事するよな……。
くたびれたダンボール箱に小さな猫が一匹、鳴いていた。茶色に汚れた仔猫は雨に濡れ、青色の目が俺を見つけて震えている。ぷしゅっ、とくしゃみをした。
「寒いよな……」
このままだったら、きっと──そう考える間もなく、俺はエコバックを肩に担ぎ直し、ダンボール箱を持ち上げた。
────
「──おー……お前嫌がらないなぁ……」
家に帰ってすぐ俺は、買い出しした物も廊下に置きっぱなしにしたまま、早速仔猫を洗面所に連れて行った。ぬるま湯を溜めた風呂桶から柔らかいタオルを浸して汚れを拭いているのだが、この子猫、全く嫌がらない。俺の片手にすっぽり収まったまま、ごろごろ、と喉を鳴らしているではないか。
しかしこの仔猫、薄茶色の毛色かと思ったら全然違っていた。色は全部風呂桶に落ちて、残った色は白。ちゃんと動物用のシャンプーで洗ってあげたらもっと綺麗な白色だろう。
何にせよまずはヘースケさんの許可取らないと──。
「──みゅん」
……みゅん?
「みゅん」
小さく小さく鳴いた仔猫はぐにゃりと体を曲げて、俺の指を甘噛みしてきた。
つぁー……っ、これが猫のあざとさかー……っ。
俺は一度も動物を飼った事がなく、ましてまだこんなに小さな動物とも触れ合った事も記憶に遠い。
天井を見上げて可愛さに打ち震えていると、ヘースケさん──今は就業時間なので、ハナさんが帰宅する音がした。気分転換にとどこぞに出掛ける、少し歩いたところにある喫茶店に行っていたのだろう。初めての事ではないし、突発的に行動する人で予想は出来ないが、仕事に口出しは出来ない。
洗い終わった仔猫をタオルで包み、俺はリビングに移動する。
「おかえりなさい、ハナさん」
彼はすでに脱いだコートを床に投げてソファーに座っていた。
「ただいまー……」
どうやら気分転換は失敗したようで、だるっ、とした空気が彼を纏っている。だが俺が隣に座った途端、声が弾んだ。
「え、猫!?」
テンションが高いハナさんは新鮮だ。
「は、はい。捨てられてて」
事情説明──割愛。
「玄関のダンボールなんだろって思ったけど、この子ん家だったわけか……名前は?」
急速展開に驚いた。
「えっ、あ、あの……飼っていいんですか?」
「いーよ?」
動物は好きだし、実家では犬飼ってたし、アレルギーもないし、とハナさんは続ける。
「何?」
人は当然のように酷い事をするものだと思っていた。俺ももし家で飼えなかったり、人間の事情があればその一人だっただろう。しかし彼は違う。当然のように、当然をする人だった。
「……俺、ハナさんが好きです」
「へぇ!? 何、いきなり──ああ、猫起きちゃったじゃんっ」
それはハナさんが大きな声を出したからで、と言おうとした時、触ろうとしたハナさんの手を仔猫が、どけた。威嚇などで引っ掻くという具合ではなく、どけた。少し間があって、もう一度触ろうとしたハナさんが指を近づけると仔猫はまた、そっ、と前足でどけた。触らないでください的な、静かな拒否に俺は何も言えず、ハナさんの顔が、すん、と真顔になり、仔猫の顔も、すん、と真顔で見上げている。
「……くはっ、そっとのけられ……っ。そんな事あります……っ?」
ツボって笑いが耐えられない俺にハナさんが怒り出した。
「こいつ……くそー、お前も僕ん家の子になるっていうのにー!」
「も?」
と、ハナさんは俺の頭を両手で、ぐしゃぐしゃ、と撫でてきた。それはもうしつこく、少し痛いくらいにだ。
「ハ、ハナさんっ、何──」
「──シロー君も可愛い僕ん家の子だよ」
間近で真面目な顔から、にかっ、と笑う彼の顔が、眩しいと感じた。
「よしっ、猫の病院予約しとくー。ネットで猫グッズも買おー」
そう言って小走りでびちゃびちゃに濡れた靴下のまま、ハナさんはリビングを後にしてしまったのだった。ぼさぼさになった髪のまま、俺は見送り、ふ、と笑う。
……猫っていうより犬扱いだよな、今の。
「みゅん」
まさかの仔猫からの返事に俺はまたちょっと吹いて、俺は、わん、と言ってみた。
きっと俺達、もう寒くないぞ。
「さてと、お前の名前決めなきゃなー」
毛色は白。安易に、シロ、だと俺の名前と被っちゃうな、とまだ小雨に降る窓の外を背に考えるのだった。
【白と猫──終わり】
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