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黄色と紫

 誘ってみるもんだな、と思ったのが二時間前。それから一時間半後の今、僕──俺はデパートの近くの銅像の前に立っている。冬の寒さはコートの上からでも突き刺していて、早くどこか温かいところに入りたいな、と首を縮こませてコートのポケットの手を突っ込む。  と、最近買ったジッポが指に当たった。ここに着く前に喫茶店で吸った煙草が最後の一本で、煙草の箱はない。こうして待っていると口寂しいな、と思った時、彼が来た。 「──なんで中で待たないんすか、トールさん」  スマホを軽く揺らしながら彼は白い息を吐く。どうやら連絡をくれていたらしいが気づかなかった。 「こういうところの方がデートの待ち合わせっぽいじゃないですかー」  外用の話し方で僕が言うと彼──ユーキ君は眼鏡を上げてまた白い息をついた。 「デートって……俺は酒に釣られて──」 「──釣れて嬉しいな」  チェンジ──俺は素直に微笑んだ。こうやらないとユーキ君は俺に会わない、会おうとしない。しかし面倒だとは思わない。彼をこうしてしまったのは俺だ。 「ふふっ、手とか繋ぐ?」 「ぜっっっってぇ嫌です」  力強い拒否が予想通り過ぎて俺はまた笑ってしまった。  まだ人通りが多い街だ。かっこいい俺とかっこいい彼を見せつけては色めきだってしまう可能性がある──なんちゃって。 「冗談、困らせたくなっただけ」 「……いいから早く入りましょうよ。目当ての酒とやら、奢ってくれるんすよね?」  はいはい、と先を歩くユーキ君を追いかける。白い息が俺の前まで流れ、消えていく。俺も白い息を吐いた。  その熱い息を、ユーキ君は知らない。 ────  デパートの地下で毎年行われている冬の酒祭りというイベントは、何度か足を運んでいる。去年飲んだやつもいいが、今年は──あった、と俺はユーキ君を呼んでその瓶を見せた。 「へぇ……知らない酒です」 「俺も勧められただけで実物は初めて。勧めてくれた人は無類の酒好きだから信頼に値するよ。試飲するでしょ?」  小さな透明のプラスチックカップにその酒を注いでもらう。飲み比べ、と去年、俺が気に入った酒も注いでもらった。  二つのカップにそれぞれの色。透明でも、薄い透明、黄色味がかった透明と違いが見える。澄んだ酒はユーキ君の興味を惹いている。  肩を少し上げて、どうぞ、と示して俺も飲む。  ……ああ、まだ明るい内からの酒ってのはどうしてこう美味いのかねぇ? 「──今日、これから暇ですか?」 「へ?」  美味い不味いではなく、予想していなかった質問に俺は『俺』を作り切れなくて変な返事をしてしまった。 「う、うん。そりゃあ酒飲むっていうんだから予定なんて、ねぇ?」 「俺はあんたん家に行こうと思ってましたけど」  続けてまた、予想もしない美味な答えが返ってきたものだ、と眼鏡の横からユーキ君を覗く。彼も眼鏡の横から、と思ったら真っ直ぐに俺を見ていた。  透明はそれは酒の色にも似ていて、俺を見る目が澄んでいるよう。  透けているような、透けていないような──見透かされているような。 「……ユーキ君も、俺をわかってきたようで」 「わからせようとしてるくせに」  にやり、と悪戯な笑みに、これはしてやられた、と白くない息をついた俺はユーキ君の腕に絡みついた。 「ちょっ、トールさん!?」 「離してほしかったら一本はユーキ君の奢りって事で」  悔し紛れの冗談のつもりだった。しかしユーキ君は耳を赤くして反撃してくるではないか。 「……離してほしくない場合はどうしたら?」  眼鏡がずれそうなほどに俺は驚いた。隣同士歩いても、一定の空間を大事にする彼だ。手よりも密着するこの行為に対してまさかの答えで、俺は思わず組んでいた腕を解いてしまった。  それを見るや否や、ユーキ君はまたも、にやり、と笑う。 「──はっ、俺の勝ち。はい、これとこれ。トールさんの支払いって事で」  そう言ってユーキ君は酒に合うつまみが気になるのか、隣のエリアに行ってしまった。その背と足取りは少し弾んでいるように見えるのは気のせいだろうか。  ……あーあ、全部透けてたっぽい?  参ったな、と俺は試飲をもう一杯お願いしたのだった。 【黄色と紫──終わり】

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