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かぼちゃとロリポップ
平日、一週間のど真ん中の水曜日。午後七時半、俺の家、スエット、トレーナーの腕まくり。
「……いつも週末のくせして」
「何か言ったー?」
いーえ、と俺は狭い台所で答える。ちょうど電子レンジの音が鳴った。奥ではテレビが流れていて、狭い部屋に賑やかさをプラスしている。するといつも週末に来る奴が水を取りに来るついでにこう言った。
「何か手伝う?」
さらについでに腰に手を回してきた辺り、手伝う気はないと見えた。トールさんは、料理力が全くないのだ。インスタント珈琲でさえ不味いという壊滅的なスキルに期待はしない。尻に滑る手を叩き落した時、咥えているものがいつもと違うと気づいた。
「棒?」
いつもは煙草、今は──ロリポップキャンディーか、甘い匂いが微かにした。口の中から出てきたのは紫色の葡萄味。
「昼飯の会計の時、一つだけ好きなの貰っていいってあったんだけどさ、これしかなかったんだ」
ラーメン屋とかでたまにあるやつ。棒付きじゃなきゃ俺も貰っているところだが、棒付きとなると──。
「──ふっ、ガキみてぇ」
「子供の心は持ってて損はないかなー」
これも得した気分、とまた片頬を膨らませる。
たまに子供の様にトールさんは振舞う。俺もこのくらい自由だったらもう少し色々広がったかもしれない、などと思うのはそんな彼を良いと見たからだろうか。それなのに大人の時は敵わないくらい大人で、俺は振り回されっぱなしだ。
結局彼は手伝う素振りも見せずにただ俺に寄り添い、煮込み中のカレー鍋を覗き込む。
「へー、かぼちゃ」
実家のカレーの真似だ。俺の家ではその旬や安売りの野菜でカレーの具が変わる。今日はひき肉にほうれん草、きのこと大きめに切ったかぼちゃだ。隠し味は醤油少々とひとかけらのバター。
そう言っているとトールさんがにやけているのに気づいた。
「……何すか?」
「ユーキ君家のカレーが食べれるなんて鼻が効くなぁと思って」
それは文字通り。連絡をよこす事もあるが、ほとんどふらっと現れるのが彼だ。今日は近所のコンビニで鉢合わせた。普通の時もあれば機嫌が良くない時もあり、今日は機嫌が良さそう。平日でなければもっと良かったが──っておい、何考えたんだぁ俺ぇ。
はーっ、とシンクの縁に手をついてため息もついた俺は横目で、じろ、とトールさんを見やる。
こいつのせいだ。いつもいつも振り回されて、それが慣れてしまったせいだ。
「……今日は悪戯なしで」
つい口に出た瞬間、しまったと思ったがもう遅い。聞き逃さないのもトールさんで、今回は多分、子供っぽく絡んでくる。
「──おやおやぁ? 期待してたぁ?」
撤回、悪い大人が絡んできた。
「し、してねぇっ」
腕を組まれて、ずい、と詰め寄られた。顔が近くて、葡萄の匂いがした。かり、と飴と歯が当たった音がした。
「俺は期待してたけど?」
からかって俺を楽しむトールさんは飴を口から引き抜いてまた、にや、と笑っている。この顔はむかつくが、嫌いじゃないのがまたむかつく。
もうそろそろいいだろうっていうカレーが良い匂いだ。温玉のサラダとビールも用意してる。腹が減った。
「──うん?」
飯の前に、一つ味を。
俺はなんとなく、本当に自然に、してしまった。甘い匂いに誘われたとか、そういう甘ったるいやつではないと信じたい。
ただ触れただけの、子供っぽいキスだ。
面食らったか、トールさんは瞬きもせずにこう言った。
「……別れ話?」
「はぁ? なんでそんな話になんだよ」
先日、俺はこの人に好きだと言った。しかしまだ、付き合う、とは宣言していない。『こたえない』ままのずるずるした関係でもそれはそれで心地良いと感じていたが、ちゃんと──形を整えなければとも考えていた。いつ、どのタイミングでと計っていたのはいつだったか、俺の予想も予定もその通りにいかない。
俺が好いた奴は、最初っからそういう奴だ。
「……別れてぇなら今すぐ出てけ」
「あっは! ツンデレー」
うるせ抱きつくな、と皿に米をよそってカレーをかけていく。ほうれん草の緑とかぼちゃの黄色もいい彩り、辛めにしたルーも良い香りだ。
持ってけ、と皿を渡したらトールさんは見た事がないような顔で微笑んでいた。
「──どうしよう、胸がいっぱいだ」
今は冗談でもなんでもないよ、と泣きそうな、嬉しそうな、いつもの悪戯に笑う顔なんかどこにもない。こっちに移るような、そういう、そのままの彼がいた。
「……いい大人が何言ってんだ」
紫色の甘い匂いのまま、思ったままの言葉は照れ臭くて困った。いつもの辛口もこれしか出ない。
そしてトールさんはリビングに皿を並べるや否や、振り向いてこう言った。
もう元に戻った、いつもの顔で。
「ねぇ、ユーキ君──」
緩くて、本気じゃないように──多分本気で、また俺を誘うのだった。
「──俺と一緒に住まない?」
……はい?
【かぼちゃとロリポップ──終わり】
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