60 / 62

アングレカムの告白

 黒い服は嫌いだ。  この日を思い出すから。 「……浮かない顔だねぇ」  鏡に映る自分に問いかける。  いつも着ないスーツは背筋が伸びた気がする。  いつも下ろしている前髪も掻き上げるだけで景色が違う気がする。  問いかけ終了。  靴箱から黒い靴を取り出して履く。  ──ああ、爪先とんとんはしないようにしなきゃ。  街はどこもかしこも賑やかだ。  オーナメントや音楽は祝日の前日を彩り、通り過ぎる人達を浮かれさせる。  名前も知らない赤い花や緑の葉達が眩しい花屋に足を入れた。  目当ては街の様子に似合いの花ではない。  もう予約は入れてある。 「……こんにちは」  初老の店長が僕に気づいた。  言葉はなく、微笑みと軽い会釈のみで迎えてくれる。  お喋りは嫌いだ──特にこんな日は。  だからこの店を好む。  四度目の今日を選んだのも間違いではなかった。  白い花。  焦げ茶色の包み紙。  艶のある赤黒いリボンテープ。 「……華やかだ」  いい一日を。  中身を知っている店長は粋な言葉をくれた。  僕は遅れてほころぶ。  冷たい風が頬をなぞる。  マフラーをしてくればよかったかと今更思った。  拓けたここは、石が並ぶ場所──家族が眠る場所。 「……四年ぶりだね」  四度目の今日。  四年前の今日。  ──君が眠った日。  掃除をし、買った白い花を飾る。  そして半紙の上に、俺の指にはまらない一回り小さな銀色の指輪を置いた。  ラベンダーの線香に火をつけ、皿に寝かせる。  手を、合わせた。  僕は、告白する。  君は体が弱い人だった。  病院が友達とふざけて言っていた。  でも気丈な人だった。  泣き言よりも文句が多い人だった。  道でぶつかるという漫画のような出会いをした。  パンではなくスマホが落ちて画面にヒビが入ったのを思い出す。  たまに会うようになって他愛のない話をした。  挨拶から天気の話、好きな話から嫌いな話をした。  それがいつしか多くなった。  道で、店で、病院で、どこかで会っていた。  でも、それは恋ではなかった。  お互いわかっていた。  僕も君も、気づいていた。  それでも君は一生で誰かと一緒になるならと僕を選んだ。  ……少ない日を予感していたのだろう。  僕はそれでもよかった。  あの日は、今日のように寒くない天気がいい日だった。  ……よかったよ、君と一緒になれて。  たった半年の家族でも。  子供のように抱き合ったのも──たった一度だけも、抱き合わなかったとしても。    僕達は家族だった。  他の誰も理解しなくても、僕達は家族だった。  ……好きな人が出来た。  君のように強くて弱い人だ──なんて、比較するなんて君はきっと怒るし、好きな人も怒るね。  許しが欲しいなんて思わない。  謝ったりもしない。  でも、だから──言いたかったんだ。  手を解いた僕は立ち上がり、煙草に火を点けた。  煙る中で君を想う。  眠る君は悲しいほど醜く、美しかった。  最初で最後のキスは酷く、冷たかった。 「……同じ名前なんてね」  楠木優紀(くすのきゆうき)の名前を目でなぞる。  きっと君が僕の告白を聞いていたらこう言うだろう。  ──私に似てるんならきっと素敵な人に違いないわ。  ……ああ、声が聞こえた気がする。  変に笑えてきた。  都合のいい妄想なのに、なんでかしっくりきてしまった。  煙草を消す。  君と恋はなかった。  恋があったら──いや、よそう。    僕は左薬指の指輪を外す。  そして妻だった君の指輪と一緒にコートのポケットに仕舞った。  また来年会おう。  その時は僕の好きな人を紹介させてくれ。  君と同じくらい、愛がある人なんだ。  きっと君も気に入ると思う。 【アングレカムの告白──終わり】

ともだちにシェアしよう!