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チクタク、ガチャリ

 何でもない日。普通に仕事に行って、普通じゃない残業を普通に残業して帰ってきた夜。  そんな夜にトールさんは俺のマンション前で待ち伏せていた。もう何度も似たような事があったので連絡がなくてもあってももう驚かない。しかし今日は──今日も、結構疲れているので寒い白い息だけで返事をすると、彼も白い息で返答した。  二人分の飯はあったっけか、あんまり食欲はねぇなぁ、などとマンションへと入っていく。トールさんも半分後ろをついてくる。その時、彼の手荷物に酒と四角い袋が見えた。 「……腹減ってます?」 「食べてきたから平気。ユーキ君のために軽くつまみとか買ってきた」  面倒が勝つ週中(しゅうなか)ですから軽食も、と有難い買い出しもあるようで言葉に甘える。  鍵を開けて部屋に入る。 「ただいまさん」 「はい、おかえりさん」  続けて言うのももう慣れたもの。コートを脱ぐ前にエアコンのスイッチを入れた時、トールさんは俺を呼んだ。 「ユーキ君」  差し出されたのはさっき見えた四角い袋。白っぽい袋は手のひらよりも少し大きい。それを見ながらコートを腕まで半脱ぎだった俺は体半分、振り向いたまま止まる。  今日は何でもない日の、はず。 「受け取ってくれると嬉しいなー?」  にこやかに、それでも控えめの声は俺に断らせない色を含んでいた。牽制のような、脅迫のような。  真っ直ぐ、にこやかな笑みが止まない。  とりあえずコートを脱いでソファーの背にかけた。  俺はこういうのが苦手だ。物を貰うとか増えるとか──手放す時に空しくなるから。  部屋にはこの人のものがいつしか少しずつ増えた。歯ブラシ、髭剃り、消耗品でも見かけるたびにはっとする。ここにいる、と忘れさせてくれない。  それを許したのは、俺だ。 「……正直、苦手です。こういうの」 「うん、知ってる」  わかっててやるところがむかつく。 「…………ありがとう、ございます」  俺の言葉は極々小さかった。聞こえただろう、ここには俺とトールさんしかいない。  受け取った袋は軽く、重い。  するとトールさんは俺を押しやりながら一緒にソファーに座った。どうぞ、と一つ頷くトールさんは浮かれている。きっとサプライズのつもりなのだろう。しかし俺はサプライズも苦手だ。上手い反応をしてやれるだろうか。  袋から箱を取り出す。正方形の箱だ。  多分これは──指輪だったらどうしよ……そういう事しそうだよな、この人。別にはめるのが苦手とかそういうのはねぇけど、この形状は想像しちゃうよなぁ……。  しかしトールさんは裏をかいてきた。箱を開けてからすぐ見えたものに俺は、思わず彼を目を合わせる。 「──言ったでしょう? ユーキ君を知ってるって」  いつ知られたのだろう。予想、もしくは経験から。  まだ少ない俺との時間でトールさんはどれだけ俺を見ていたのだろう。 「……馬鹿じゃねぇの、あんた」  まばたきを一つした。 「馬鹿くらいが丁度いいでしょ」  トールさんが笑う。じゃないと俺に飽きられちゃうとまで言った。確かに、と俺も釣られて少しふいた。 「俺、何も用意してないですよ? 何でもない日だし──」 「──何でもないからやりたかったんだ」  何でもない日を、この人は変える。 「何かある日も素敵だけどね、ユーキ君はいつかでいいよ」  この人は次を待つ。いつ来るかわからない俺の次を、待つ。  箱の中には、俺がちょっと欲しいなと思っていた腕時計があった。しかし高くてやめたやつで、トールさんと同じブランドのやつだ。 「その時まで一緒に刻んでくれたらいいかなって。クサイって言わないでねー」 「……くっさ」  あー! とトールさんが大げさに嘆く。  ──俺はこの人に何をあげれるだろうか。  俺はしていた時計を外して、ん、と腕を伸ばした。俺なりのお礼の仕方だが、多分トールさんは喜ぶ。 「さすが、ユーキ君は俺の事よく知ってるね」  残念ながら、と腕時計をはめてもらう。欲しかった時計が、特別な時計になった気分だ。  さて、次は俺の番。  立ち上がった俺は行儀悪くソファーに上がり、背もたれを超えて隣の寝室へと向かう。確かクローゼットの、と電気も点けずに探し出した。大事なもんを適当に入れてある箱の中──あった。  戻ってまたソファーの背をひょいと超えて座る。 「ん」  と、トールさんの手にそれを落とした。ちゃり、と一緒につけたキーホルダーが当たる音がした。 「──これって……」  一緒に住もうって言われてからずっと考えていた。俺はまだ、動けない。  でも、動きたいとも思ったんだ。 「とりあえずそっからとか、どーですか」  自分でもわかるぶっきらぼうな言い方に顔を背ける。トールさんはどんな顔をして、どんな事を考えているだろうか。 「……苦手って、嘘つきだなぁ」 「何が」 「サプライズ」 「別にそーいうんじゃ──」 「──めちゃくちゃ嬉しいんだよ」  そう言ってトールさんは俺の家の合鍵を大事そうに片手に収めたまま、俺を抱き寄せてきたのだった。 【チクタク、ガチャリ──終わり】

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