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第5話 side:A
「――わっ!」
暗がりの中、アユムのひじが紅茶のカップを転がしてしまう。
(まずい!)
客人に火傷をさせるわけにはいかないと思った。
アユムはとっさに志童を押して、彼をテーブルから遠ざける。
ところがどういうわけか、床の上に彼を押し倒す形になってしまった。
厚みのある上半身の上に、自分の体が乗り上げる。
志童の腕が背中に回ってきた。
「大丈夫?」
戸惑いを含んだ声が耳に届く。
「志童くんこそ」
暗い中、お互いの顔は分からない。
ただ、聞こえてくる声が近かった。
頬に彼の吐息を感じて、下手に動くと顔がぶつかってしまうんじゃないかとアユムはあせる。
自分の体の下で、彼の心臓がせわしなく動いているのを感じた。
「志童くん、僕いま、紅茶をこぼしちゃって」
「えっ……?」
「熱いのかからなかった?」
「ううん、こっちは無事。だけど」
アユムが動こうとすると、背中に回っている彼の腕がそれを阻止する。
「……?」
「その辺濡れてるみたいだよ。だから、そっちには下りない方が……」
どうも彼は、自分をまたいで逆側に下りろと言いたいらしい。
でも今は暗くて、手探りで彼を踏まずに向こうに行く自信がなかった。
「電気がつくか、目が暗さに慣れるまで少し待って」
アユムがそう言うと、志童は納得したように息をつく。
「確かにその方がいいかも」
「ごめんね、なんか」
恥ずかしさと興奮で、謝るアユムの声は震えた。
「それは全然。でもここで停電なんてびっくりだね」
「そうだね、天気も別に悪くないのに……。設備のトラブルか何かかな」
「ケーキのろうそく、点けておけばよかったね。そしたらきれいだったのに」
「ふふっ、何それ! きみの発想面白いな」
冗談めかすでもなく、そんなことを言う志童に癒やされてしまった。
「ホントいいよね、志童くんは。優しくて穏やかで」
彼の体温を感じながら、アユムはふと本音をもらす。
「志童くんのカレはすごく幸せなんじゃないかな……」
「あ、でも俺、これで結構強引だと思うよ?」
「強引?」
聞き返すと、下敷きにしている彼の胸が、笑いの振動を伝えてきた。
「うん。基本的に押し倒すのは俺だよ。恋愛なんて自分からガンガンいかないと発展しないもんね」
(……え?)
ドキリとした瞬間、体が回転し、アユムはテーブルとは反対側の床に仰向けに倒される。
(うわ、何……!? なんの実演!?)
闇に慣れてきたアユムの目に、ギラギラした彼の瞳が映った。
「アユムくんてさ、見た目も天心に近い気がしたけど、重さもだいたい一緒なんだね」
(天心ってあのイケメンの彼氏だよね? 僕と似てるの? 全然分からない!)
「天心もこれくらい大人しく抱かれてくれたらいいのになって、ちょっと想像しちゃった」
「ちょっと待て! 僕は大人しく抱かれてやるなんて言ってない!」
言い返すのと同時に、強い力で手首をつかまれる。
「え――!?」
暗がりの中、覆い被さってくる彼が巨大な犬か狼に見えた――。
(志童くん、さっきまでとは雰囲気が違う!? 何か僕、余計なスイッチ押しちゃった!?)
アユムはそのことを直感的に感じ取るものの、ただただ彼のオーラに圧倒されてしまう。
こぼした紅茶はすっかり冷めてしまった頃なのに、体が硬直してしまって逃げられなかった。
「し、志童くん……ふわぁっ!」
アユムを押さえつけているのと逆の手が、意味深に腰のラインに触れてくる。
(これはっ、もしかして無理やりされちゃうの?)
荒々しい呼吸と触れ合う体の温度から、彼がその気だということが伝わってきた。
大きな手のひらが、明らかな意図を持ってアユムの素肌を撫でてくる。
(いや、無理やりっていうか、僕が誘ったようなものだけど……)
見ず知らずの彼を部屋に呼んだのも自分だし、事故とはいえ彼の胸に飛び込んでいったのも自分からだ。
そしてこのまま流されてしまおうかと、そう考えているズルい自分までいる。
(僕は何年もハヤトに尽くしてるつもりでいたけど、チャンスがあれば浮気しちゃう人間だったんだな)
頭の中の別の部分で、アユムは冷静に自分の尻の軽さに呆れていた。
そこでふと、数時間前に聞いたあの言葉を思い出す――。
生クリームが出れば今夜は天国のようなクリスマス。
チョコクリームなら人生のスペクタクルを楽しめる。
(これってどっちなんだろう? いろいろあって天国って感じではないけど、別の意味で天国行きってことも……)
突然ケーキの中身が気になって、アユムは志童を止めた。
「ねえ、あのケーキの箱の中身はなんだと思う?」
「え……?」
「生クリームか、もしくはチョコクリームのケーキらしいんだけど」
体をまさぐっていた彼の動きが止まった。
「確かめに行かない?」
そう誘うと、彼はあっさりアユムの上からどいてくれる。
「中身知らないで買ったの?」
「うん、運試し的な」
「運試し?」
「生クリームなら天国みたいなクリスマス、チョコクリームならいろいろ大変らしい」
ふたりは手探りで冷蔵庫の前までいき、そのドアを開いた。
するとパッと明るい光が、真っ白なケーキの箱を照らしだす。
「あれっ、停電直った?」
「本当だ、いいタイミング! 開けてみるね」
アユムが冷蔵庫の棚から箱を引き出し、テープを剥がしてふたを持ち上げた。
箱の中身は――。
生クリームのケーキ → 光のエンディング(6ページ目)へ
チョコクリームのケーキ → 闇のエンディング(7ページ目)へ
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