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第12話

 出会ったのは半年前、兄に連れて行かれた出版社の創立記念パーティーでの事だった。  連れて行かれた、というか手伝いに借り出されたという方が正しかったのだが今となっては兄に感謝している程だ。  樹との出会いの場を作ってくれたのだから。 「樹さん!これなに?!」  リビングに通されるなり、女性誌を片手にソファーの中で優志は樹に詰め寄った。 「これ!」  寝起きなのか樹は優志の剣幕にも気付く事無く、惚け気味に出された雑誌に目を落とした。 「これ?」 「……オレ、知らないし……!」 「……あぁ」  旦那の浮気写真を突き付けているような気分だが、実際はちょっと違う。  優志が持ってきたのは10代から20代が読むような女性誌で、その捲られたページに写るのは守川兄妹だった。 「……これ、樹さんの仕事情報に入ってなくなかった……?!」  樹が契約している出版社が管理しているのだが、仕事情報などを載せた小説家守川樹のHPがある。たまにコメントや近影もあるので更新を楽しみにしているのだが、そこにはこの雑誌の事など全く載っていなかった。 「……あー……ほら、出版社が違うからじゃないのか?」 「で、でも兄妹対談だよ!載ってもおかしくないのに!」 「兄妹ってもなぁ……ほら、向こうはアイドルでこっちはしがない物書きだからなぁ」  どうでも良さげに言うと大きな欠伸をして、樹は眠そうに眼鏡を外し、目を擦った。着ている物もスウェットだし、ベッドから出てきたばっかりって感じだ。  もしかしたら夕べは徹夜だったのかもしれない、眠そうな樹を見て思う。  今は昼の12時を少し回ったところだけど、寝たのは明け方だったのだろうか。  もしかしなくても自分はとてつもなく迷惑をかけているのではないだろうかと、今更ながら思い至った。 「……樹さん、眠い……?」 「あー……まだちょっとなー……」  無精髭の生えた顎を撫でながら答える樹の瞼は重そうだ。  寝ていた所を起こしてしまったらしい。帰れと言われる前に帰った方が賢明だろう、申し訳ない事をしたと思いながら優志は頭を下げた。 「……そっか……あ、あの……オレ……帰るね……」 「……は?」 「寝てたのにごめんなさい……」 「お前は何しに来たんだ?」  ソファーから立ち上がった優志を呆れた視線が見上げた。それもそうだろう、雑誌を突き付け喚くだけ喚き帰るのだから、樹にしたら呆れるばかりの迷惑行為だろう。 「……何しにって……」 「このあと用ないなら、飯作ってくれ……腹減った……」 「えっ……あっ……うん………いいの?」 「なにが?」 「だから……いても……」 「あぁ、飯な、頼む」 「うん……!」  笑顔で頷き優志はキッチンにいそいそと移動した。  特に不機嫌そうでもないから多分眠いだけなのだろう。そう思う事にして、優志は冷蔵庫を開けた。  中には大したものは入っていない。バターとマヨネーズ、6Pチーズの箱、卵一個、お茶のペットボトル。冷凍庫に冷凍食品でもあればと期待したが、そんな物はなかった。  仕事が忙しい時はハウスキーパーが来ると言っていたが、優志に飯を作ってくれと言った位だ、今日は来ないのだろう。  シンクの下の収納棚の中を見るとカップ麺とレトルトカレーの箱があった。  まさかカップ麺にお湯を入れて渡す訳にもいかないよな……。  他に何かないかと探してはみたが野菜などは皆無だ。  どうしようかと考えていると、隣のリビングから樹が顔を出した。 「優志」 「……樹さん」 「何か頼むか……作ってって言ったけど買い物行く暇なかったから、冷蔵庫何もないの思い出した、悪いな……」 「あ、ううん……いいよ……えっと、じゃあ……どうする?」  無精髭がなくなっているから顔を洗ってきたのだろう、先程よりもさっぱりとした顔付きだ。  樹は優志の隣に来て冷蔵庫の中を覗くと、買い物も行かないと、と呟いた。 「何食いたい?昼飯、まだだろ?」 「……んと、何でも……」 「あーでもラーメン食いに行った方が早いか……」  樹のマンションのすぐ近くには古いが美味いラーメン屋がある。優志は行った事がないが樹はたまに行くと聞いた事があった。 「何か食いたいものあるか?」 「……えと……ん、ラーメン……うん……食べたい……」  ちょっと考えてから優志は答えた。 「いいのか?何かあるならいいぞ」 「……うん」 「優志?」 「………樹さんがいつも行くとこ、行きたいから……だからラーメン食べたい」 「んじゃ、いいんだな」 「うん」  こくりと優志が頷くのを見て、樹は着替えてくると言い置き背中を向けた。  まだ眠いのかもしれない、疲れだって残っているのかもしれない。そんな事は分かっていたけれど、もう帰るとは言えなかった。  ホントはどこに行きたいか聞かれ、思い付いた場所は違う所だった。  さっき持ってきた雑誌に載ってたお店。妹の美月ちゃんと行ったと書いてあったレストラン。  女性誌の企画として載った記事の中で、兄妹は待ち合わせをして街の中を並んで歩く様子からウィンドウショッピングをしている写真、それからレストランでメニューを見ながら楽しそうに笑い合う写真、そんなのが数ページに渡り掲載されていた。その中で紹介されていたのは美味しそうな料理の数々、そのレストランに。自分も美月と同等に扱って欲しくて、あの写真のように楽しそうに笑いかけてもらいたいと、そう思った。  でも、これは結局のところ嫉妬だ。  雑誌を持ってきたのも、ヤキモチを妬いたからだ。  そんな事したって、美月には敵うわけないのに。  そもそもそんな関係じゃないのに。ヤキモチなんて妬ける立場ではないのに。  ホントは、ここに来た理由はそれだけではなかったけど、でもそれは言いそびれてしまった。  ……別にオレが言わなくても……きっと同じ言葉、いや、それ以上の言葉を沢山貰っているだろうから。だから……言えない。 *** 「美味かっただろ」 「うん」  暖簾を潜りながら外へ出る。秋の穏やかな日差しに迎えられ、二人は並んで樹のマンションまで歩いた。  5分も歩けば着いてしまう、マンションの前まで行ったら、帰るんだ。  疲れてるだろうし、きっとまだ寝い筈だ。  一緒にいたって何をしてあげられる訳でもない。 「優志」 「ん?」 「今、忙しいのか?」 「ううん、そんな事ないよ……」 「そうか」 「うん」  心配、してくれてるのかな?  ちょっと、そんな顔だった。  ちょっとだけ、心の中が温かくなる。  歩道には買い物途中の主婦位しか歩いていないし、車道もバス通りなどではないので交通量も少なく静かだ。そんな中を短い会話を繰り返しながら進んだ。  だけどもうマンションが見えてきた。  もっとゆっくり歩きたいけど、そんな事したら置いていかれる気がして。だから樹の歩調に合わせて歩いた。長いスライド、その隣を歩くなんて滅多にない。  でもこの嬉しい時間ももう終わりだ。 「優志」 「ん?」 「帰ってまた後で出るの面倒だ、このままスーパー行くぞ」  向けられた視線は優しくて、きっとこれが自分でなくたって樹は同じ事を言ったかも知れないけれど。それでも嬉しくて。 「……うん」  今度は「いいの?」とは聞かなかった。

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