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第19話
待ち合わせは17時、早めの夕飯を食べてからコンサート会場へ向かう事になっていた。
当日は風が少しあったものの、朝から冬晴れの天気に恵まれた。
その日は朝からそわそわしてしまい、起きてからというもの何度も何度も用意した服やプレゼントを点検しては大丈夫だろうかと心配になったり、クローゼットの中から違う服を出してみたりと落ち着かない時間を過ごした。
クラッシックコンサートなので、あまりラフな服を選ぶのは拙いだろうと思い普段あまり着ない宴席用のスーツをクローゼットの奥から出してきた。
シルバーグレイのスーツに淡いスカイブルーのシルクのタイを合わせ、寒いので黒のショート丈のコートを上から羽織う。
スーツを着て鏡の前に立ち、これで樹の隣に並んでも大丈夫なのかと少し不安になる。
でも、樹さんはオレを誘ってくれたんだし。
ネガティブに陥りそうな思考を上向きにして、優志は鏡の前で笑顔を作った。
暗い顔してちゃ、誘ってくれた樹さんに悪いもんな……緊張はするけど、本当に楽しみなんだ、今日は。
だって、初めて二人で待ち合わせをして出掛けられる。しかも、イヴの日にだ。
「……喜んでくれるかな……」
プレゼントは何がいいのか分からなくて、お酒にしてしまった。しかも、好みの銘柄なども分からないので店員に勧められるままにワインを2本購入した。
確か最近は、ワインを良く飲むみたいな事をどこかの記事で読んだ気がするから、嫌いではない筈だ。ただ、好みがあるだろうからそれが心配だ。
コンサート中はクロークに預けてしまえばいいし、重いけれど、割れないように気を付けて持っていこう。
待ち合わせをして、一緒にコンサートを見てプレゼントをあげて。
まるで恋人同士みたいだ、一時でいい、夢を見させてもらえるだけでも十分だと思えた。
***
コンサートホールは銀座にあった。待ち合わせはJR有楽町駅前に17時。
時刻は16時半を少し過ぎた所だったが、優志は既に待ち合わせの場所に立っていた。待たせるよりは早く行ってしまおうと思い余裕を持って家を出たのだ。
夕方とはいえ冬の17時近い時間なので辺りは薄暗かったが、都内有数の繁華街とあってか駅前はイルミネーションやビルの明かりで煌々と輝いている。駅前は優志と同じような人待ち顔の人達で賑わいを見ていた。
待ち人達の顔は誰もが幸せそうに見える、きっと自分もそれと変わらない顔で立っているに違いない。朝から浮き足立つ気持ちを抑えきれず、持て余してばかりなのだ。
寒さも忘れ、ショッピングビルのイルミネーションに目を奪われていると、後ろからトントンと肩を叩かれた。
「あ……」
「悪い、待たせたか……」
振り返るとそこには樹の姿があった。
いつもいつもラフな格好ばかり見ているが、今目の前に立っている樹は雑誌の表紙を飾ってもおかしくない程の男振りを見せていた
長身に見合った黒のロングコート、その下には仕立ての良さそうなダークグレイのスーツ、同系色の光沢のあるネクタイ。やや長めの髪の毛はきれいに撫で付けられ、今日はフレームレスの眼鏡を掛けていた。
それだけでも目立つというのに、更に周囲の注目を集めるているのは樹の抱えたバラの花束だ。
大振りの深紅のバラは数にして20本程はあるだろうか、それを脇に抱えて現れたのだから目立つ事この上ない。
「……ううん、今来たとこ……」
「そうか、飯は何が食いたい?まだ時間も早いから混んではいないだろ」
「うん……樹さん……それ……」
「ん?」
「……それで電車乗ってきたの?」
目線で花束を指せば、樹も視線を下げ抱えている花束を少し持ち上げた。
「あぁ……失敗したよ、邪魔でしょうがない」
「……そだね……」
邪魔というか、すごく目立っているんだけど……。
自分はまだまだ名の売れない俳優だけれど、小説家とはいえ守川樹の名はかなり知られているのだからそんな悪目立ちするような格好をしなくてもいいのに。
ドラマや映画の原作にもなり、テレビには出ていないけれど雑誌や著者近影などで顔が出ているのだ。気付かれないだろうかと、勝手に心配になる。
そうは思っても本人は何とも思っていないのだろう、周囲からの好奇な視線もはたして気付いているのか疑わしい。
「どうする、オレ結構腹減ってるんだけど」
「あ、オレも……」
「そうか、じゃあどうするかな……」
歩き出した樹に着いて優志もその隣を歩いた。やっぱりバラになのか、樹の容姿になのか特に女性が振り返ってまでも見ていく。
ちょっと恥ずかしいけれど、ちょっとだけ嬉しい。釣り合っているのかは置いておいて、この人の隣に並んでいる事が。
早目の夕飯は女性が喜びそうな小奇麗なレストランだった。樹は何度かその店を利用しているようで、店員と顔見知りのようだった。
時間に余裕があればクリスマスコースがあると言われたが、生憎2時間のコース料理を食べている時間はなかった(優志にしてみたら、時間があったとしてもそんな高い料理は頼めなかったが)
前菜もパスタも美味しかったのだが、まだフワフワした気持ちのままの優志には何を食べているのかすらよく分かっていなかった。ただ、美味しい物を食べている、という感覚しかない。
店を出て、樹が案内するままにまた駅前に戻りそこから会場に向かった。そこで漸く先程の店の名前すら自分は覚えていなかったと知り、どれだけ気持ちに余裕がないのだろうかと少し恥ずかしくなった。
だって後であの店の話が出た時に分からないのは困るではないか……場所も何となくとしか覚えてないけど、名前は確認しておこう。また行きたいし。
コンサート会場に入ったのは開演10分前だった。
クロークでコートと荷物を預けると、樹も花束を受付へ持って行った。誰宛にと言っているのが小さく聞こえたが、名前が分かったところで優志には演奏者の一人として知らないので無意味な事ではあった。
ただ分かるのは、きっとそれは別れた奥さんに贈るのだろうという事だけ。
***
割れんばかりの拍手が場内を埋めつくす、その圧倒的な音量と先程までの演奏に圧倒され優志はただ手を叩く事だけに夢中になった。
「どうだった?」
「うん、すごくよかった……!」
一部が終わって今は20分の休憩時間に入った。アナウンスと共に場内が明るくなると先程の静けさとは打って変わり、様々なざわめきが客席から広がっていく。
優志はまだ余韻に浸ったような顔でシートに深く凭れ掛かり、幕の降りた舞台を見つめていた。
「聴き入っていたみたいだからな……」
「うん、オレ初めてだけど、なんかさ……すっごく感動した」
初めは緊張しながら聴いていたが、クラッシックに馴染みのない優志みたいな人間でも楽しめるような楽曲構成と惚れ惚れするような演奏とソプラノの歌声に魅了されてしまった。そして、優志が一番心躍らされたのはピアノソロだ。
「あのピアノ、すごくよかったね!オレ、クラッシック好きになるかも」
「……そうか……」
キラキラと目を輝かせる優志とは対照的に樹はというと、憂いを湛えたような顔色だ。だがそれは、今日のスーツ姿を引き立てる一つの要因のようで益々樹の美貌を際立たせていた。
「……樹さん……?」
「……まだ時間あるよな、ちょっとトイレ行って来るな」
「うん……」
席を立った樹の後姿を見送りながら、どうしたのかと首を傾げた優志だったが敢えて質問はしなかった。
あの壇上には元奥さんが居るのだ。複雑な心境なのかもしれない。
本当はまだ好きで、その想いに耐えられなくてあんな顔していたのかも……それなのに、オレってば……。
隣りに樹が居る事が単純に嬉しく、また初めてのコンサートが思っていた以上に素晴らしくついはしゃいでしまったが、樹にしてみたら来たくて来ているのではないのだろう。
「……はぁ……」
二部は大人しく聴いていよう。優志はそう心に誓った。
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