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第18話
「……おじゃまします……樹さん、これ……」
開かれたドアの中に入ると、手にしていたビニール袋を部屋の主に差し出す。来る途中にコンビニで缶ビールの6本パックを買ってきたのだ。
寝ていた訳ではなさそうで、出迎えてくれた樹は濃紺のタータンチェックのネルシャツに下はゆったり目のジーパンを履いていた。たまたま優志もコート下に着ていたのが、色は違えどネルシャツだったのでお揃いだと心の中で喜んだ。
「あぁ、悪いな……」
「ううん、遅くにごめんなさい……」
「飯は?」
「食べてきた……賄い、貰ったから……」
「そうか」
樹は仕事場である書斎には向かわず、玄関横のリビングに入って行く。リビングにあるテーブルの上には資料らしき書類や書籍とノートパソコンが置かれていて、今まで仕事中だった事が窺える。
優志はそれを見て、またもや自分は樹の邪魔をしてしまっているのだと知る。申し訳なさが込み上げ、このまま帰ろうかと思い優志は廊下に立ち尽くした。
「どうした?」
リビングに入って来ない優志を不審に思ってか、振返った樹が怪訝な顔で尋ねた。
「……ん……あ、あの、オレやっぱり……かえる……ね」
「は?」
「ごめんなさい、だって仕事……」
「あぁ……これか……これは直にやる仕事じゃないからいいんだ……今は締め切りが迫っているものもないしな」
言いながら樹はテーブルの上に散らばっていた書類を一まとめにすると、一緒に置いてあったA4サイズの茶封筒に仕舞った。そして自分がソファーに座ると、優志にも座るように目線で促した。優志は躊躇いながらも、コートを脱いでリビングに足を踏み入れた。
コートはソファーへ掛けて、優志は樹の隣に腰を降ろした、まだぎこちない笑顔を貼り付かせたままで。
「じゃあ、貰うか……お前も飲むか?」
眼鏡の奥の瞳が細まり、柔らかく笑う樹。締め切り前だったら、優志が来たとしても書斎に籠もる筈だから差し迫った締め切りが無いというのは本当なのだろう。その事に優志は少しだけほっとした。
「うん……あ、さっき電話で言ってたのって……?」
「あぁ……そうだった」
ビニール袋から出した缶ビールを早速開けた樹は、一口だけ飲むと缶をテーブルへ置きソファーから立ち上がった。
「お前も飲んでろ……つまみもついでに取ってくるな」
「うん……」
キッチンの方へ消えた樹を見送り、視線を缶ビールに移す。
酒での失敗経験を持つ優志としては、出されるままに飲んでもいいのかと迷う。それにこれは樹の為に買ってきたのだ。
どうしたらと迷っていると、キッチンから樹が戻ってきた。手にはチーズの箱と500mlのウーロン茶のペットボトルを持っている。
「禁酒するって言ってたもんな、今日は止めておくか?」
「……あ、うん……」
樹はチーズの箱を中央に置き、優志の前にペットボトルを置いた。優志の分に持ってきてくれたようだ。
「これしかなくてなー……お前チーズ食べられるか?」
「うん……ありがと、大丈夫だよ、オレ……」
「何もなくてなー……」
ぐびぐびと勢い良く樹はビールを流し込む。その度に喉が上下する様をじっと見つめていると、視線に気付いたのか樹が飲む手を休め優志を見つめ返してきた。
目が合い、見惚れていたと気付かれてしまったのだろうかと思うと、恥ずかしさのあまり酷く緊張してしまう。
「やっぱり、飲みたいんじゃないのか?」
「う……えっと……」
酒は嫌いではないのだ、酒に好かれていないだけで。
「じゃあ、これだけな、飲んだら後はウーロン茶にしとけ」
そう言って缶を一本渡してくる。受け取ると迷いなど消えてしまい、優志は嬉しそうにプルタブに指を伸ばした。
「そう、話な」
「……あ、うん……」
急に振られ動揺する。そう、話があると言われて来たのだった。
樹は優志の心中には気付かない様子で、先程まとめた書類の入った封筒の中から一通の白い封筒を取り出した。
「お前、クリスマスは仕事か?」
「……え……?」
「24日なんだけどな、もし予定が入っていないのならオレに付き合ってくれ」
「……え?!」
「あぁ、もう予定入っているか?」
「う、ううん、な、ない!入ってない!!」
24日に予定がないと強調する優志が可笑しかったからか、樹はクスリと笑うとその白い封筒を優志に差し出した。
「じゃあ、悪いけどこれ、一緒に行ってくれ」
「……一緒に?」
一緒にどこかに行くらしい。
優志が真っ先に思い付いたのは、アイドルのコンサートだ。
……チケット余ったのかな……でも、ダーツのコンサートならオレじゃなくても一緒に行ってくれそうな人、いるような気がするけど……。
訝しみながらも封筒の中身を確認すると、中には二枚のチケットが入っていた。
そして、それは思ってもみなかったコンサートのチケットだった。
「……クリスマスクラッシックコンサート…?」
「あぁ……知り合いっていうか、まぁ元嫁が送って来たんだけどな……」
「……よめ?」
「そう、別れてからも毎年送ってくるんだよな……去年人にあげたら怒りの電話があってなー……行かなくてもいいんだけど、また電話がくるのも面倒だからな……」
「……オレ、行っていいの?」
「あぁ、お前なら変に勘ぐられる心配もないしな、いいだろ」
「……そっか…」
確かに、妙齢の女性を同伴してでは元奥さんの所へも行き辛いだろう。自分ならその心配はない、でも、一体何といって自分は紹介されるのだろう。
……紹介はないか……。多分、自分なら樹も気を遣わなくて済むと思って連れて行こうとしているのだろう。
「興味ないか?」
「え……?ううん、そんな事ないよ……でも、オレ詳しくないから……」
「あぁ、オレもそれなら同じだ」
「そうなの?」
「あぁ、前に行った時は寝てしまってなー……呆れられたよ」
つられて笑ったが、一緒に行ったのは元奥さんだった人なのか優志にはそちらの方が気になった。
でも、今度は自分が樹の隣に座るのだ。
それは素直に嬉しかった。しかもイヴの夜に樹と一緒に居られるのは何物にも代え難い、優志にとっては奇跡にも近かった。
「……ありがと、樹さん……」
「いや、貰い物だ、お前が退屈しなきゃいいけどな」
「そんな事ないよ、オレ、すごく楽しみ……」
「そうか、そう言ってくれると誘った甲斐もある、折角のイブだからな……お前に退屈な思いをさせちゃ悪いだろ」
「……そんなこと……ないよ……予定なかったもん……オレ、嬉しいし、ホント…」
「そうか」
目が合って、その視線に熱が籠もるのが分かる。ソファーの中、樹との距離は数センチしか離れてなくて、手を伸ばせば直に抱きしめられる距離だ、誘ったのはどちらだったか。
気付いたら唇が触れ、後はただお互いの熱を奪い合うのに夢中だった。
イヴの約束をして、体を重ね合う。これで甘い睦言があればまるで恋人同士だ。
甘いのに、苦しい。
それでも今日はそれ以上に胸が熱い。嬉しくて、それは涙を誘う。
抱かれながら、優志はいつもと違う涙を流していた。それは優志だけが知っている喜びの涙だった。
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