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第25話
「……はぁ……」
優志は無意識に溜息を吐いた。今日これが何度目なんて無意識だから本人には分からない。だが、肩を落とし電車に乗る姿はモデルではなく、リストラされた哀愁漂うサラリーマンによく似ていた。
吊革に掴まり車窓に流れる景色を見る。
夕刻から夜へと変わる空の変化を楽しむでもなく、ビル群から段々と住宅地の増えてくる車外の風景をただ眺める。
そして、頭の中でもやもやと考えるのはオーディションの事。このところ落選が続いている、今日もダンスレッスン前に寄った事務所では落選の知らせと、当分オーディションは受けない方がいいだろうという提案だった。
そんなに上手くいく筈がないと思ってはいたが、アクターズのオーディショにも落選している、最終選考まで残っていたのでもしかしたらという期待はあったので落胆は大きかった。
落選の知らせの後のレッスンには身が入らず、今日は講師に散々絞られてしまった。
モチベーションを保つのもプロだ、だけど、今の優志には酷な事だった。
レッスンの疲労と汗を掻いた体は重く、今日はバイトもないので帰ったらこのまま寝ようと思う。今日は何もしたくない。
そして寝て起きたら、明日から気持ちを切り替えて頑張ろう。今日は今日で、明日には引き摺らない。
降車駅がアナウンスされた所でドア付近へと移動し、ゆっくりと近付いてくるホームを見ながら停止を待った。
今日は帰ったらこのまま寝よう、と思っていた優志だったがベッドに入る前、スマホが鳴りディスプレイを見た途端着信拒否を思いついた。鳴り止まないメロディに渋々通話ボタンを押した。
まるで、出るまで切らない、という頑固な意志が電波に乗ってきたみたいで気が滅入ったのもある。
「バイトか?」
「……違う……」
「だったら、直ぐに出ないか」
「……ごめん……」
何か用?と続けたいのをぐっと堪える。電話の主は優志が直ぐに出なかった事に機嫌を損ねたのか、不愉快そうな声だ。
久しぶりに聞く父の声は優志の心に翳を落とす、今は小言なんか聞いていたくない。早く用件を聞いて終わらせよう。
「仕送りしなくても本当に平気なのか?」
「……うん、大丈夫だって……この部屋高くないし……バイトもしてるんだから、大丈夫だよ」
「あまり無理はするなよ、今からでも遅くない、予備校に通って来春から大学に行ったらどうだ、通信という手もある」
「……いいよ、オレ勉強好きじゃないし……」
「優志……」
「心配しないで……大丈夫、今はまだ仕事少ないけど、ちゃんとやっていけてるんだから」
少ない、どころが雑誌モデル以外決まった仕事などないけれど、本当の事を言う事もないだろう。
そんな事を言えば、直ぐに家に帰って来いと言われるのは目に見えている。
「……仕事ね……」
「オレ、明日早いからもう寝るんだ……じゃあ、またね」
「あぁ、おやすみ、優志」
「おやすみなさい……」
通話終了のボタンを押すと枕元に放り、ベッドにダイブする。
溜め込んでいた澱を吐き出すように、深く息をして目を閉じる。
父がこの仕事を快く思っていないのは知っている。いまだかつて応援らしい言葉を聞いた事もない。
大学へは行かないと何度言っただろう。いつも平行線のままだ。
「……こんな時にそんな事言って欲しくないよな……」
予備校へ行き来春から大学へ行けば、先が見えず不安に思う事もないのだろうか。
いや、そんな事はない。いずれは就職しなければならない、その時仕事が決まらなければ今と同じ思いをする事になるのは明らかだ。
父の言う通りに予備校へ通うと言えば、きっとその金をポンと支払ってくれるだろう。バイトを止めて仕送りで暮らせればどんなに楽だろう。
だけど、それだけは嫌だ。目的が出来て大学に行くのならいいけれど、そうじゃない。
それにそんな事になれば、今までしてきたモデルや俳優の仕事も全て否定される。
だから言ったじゃないか、お前には才能がないのだから。
……きっとそう言うに決まってる。
「はぁ……」
こんな時、もしも母親がいたら少しは違っていたのだろうかとふと考える。
物心付いた時から母親は居ないと言われ育てられてきた。小さい頃は片親しかいない事が寂しいと思えた事もあった。でも、中学、高校生と成長していく内に親から干渉される事の少ない家庭環境に感謝した程だ。だからなのかも知れない、いまだに父とはどう接していいのか分からない。
母親がいたとしても、自分の夢を後押ししてくれるとは限らない。でも、もしかしたら理解者になってくれていたかもしれない。
弱気になっていると自分でも呆れる。そんなのは有りもしない妄想でしかない。
枕に顔を押し付けぎゅっと目を閉じる。
不安を感じた事は何度もあったけれど、その度に乗り越えてきた。だから、大丈夫。
「……大丈夫、まだ……オレはやれる……」
大丈夫。まじないのように優志は口の中で何度も呟いた。
***
樹と知り合ってそろそろ一年が経つ。
関係は変わらず、深まりもしなければ疎遠にもならない。このままずっとこの関係が続くとは思っていないけれど、望むのは現状維持、それ以上の事など優志には思いつかなかった。
季節は春。風は桜の花弁を淡雪のように降らせ、道々にピンクの絨毯を拡げている。
春は別れと出会いの季節。樹ともこの時期に出会った。
あれから一年……。
自分はこの一年でどれだけの事が出来ただろうか。アルバイトと雑誌モデル、細々としたエキストラなどの俳優業で生計を経てているがこの一年目覚しい発展などは何もない。
仕事はエキストラがあるし、オーディションにも参加はさせてもらえているが結果には繋がらないものばかりだ。
同じ一年でチャンスを掴み、知名度を格段と上げた先輩を近くで見ている優志にとって自分の一年の何と実のない事か。
……この一年であった最大級の出来事なんて樹さんと会った事だけだ……。
このままじゃだめだとは思っても、何をすれば道が開けるのか優志には分からなかった。
努力は報われる事もあるけれど、努力だけではどうにも出来ない事だってある。
オーディションに出ても落選、当選した俳優は大手事務所の売り出し中の若手俳優で、それって事務所の力?出来レースだったんじゃないのか?なんて猜疑心に駆られる事も暫しあった。
本当は認めたくなかったのかもしれない。自分の才能の無さに。
もしかしなくても、自分が選んだ俳優業という仕事は失敗だったんじゃないか。
夢を誰もが叶えられる訳ではない、でも一歩一歩近付いていっているのだと思っていた。
でも、そうだろうか。この一年で夢にどれだけ近付いた?1ミリも近付いてなんていない。
そうは思ってもなかなか諦める事は出来なかった。
大きな舞台に立ちたい、その夢への道のりは平坦なものではないと分かっているが、それでも不安に苛まれる心は弱気になってしまう。
多分そんな不安を優志は見せていたのかもしれない、無意識の内に。
だからなのだろうか、振り返ってそんな風に優志は思った。
「呼びつけて悪かったな」
「ううん、平気……でも仕事は大丈夫……?」
「あぁ、心配しなくてもいい、片付けた所だ」
今年に入って樹から誘いを受ける事も多くなった。バイトが終わりロッカーで着替えていると優志のスマホにメールが入った。
「都合がいい時、いつでもいいから部屋に来てくれ」
いつでも大丈夫だけど、昼間に行けばいいのかとメールを返したら、メールが面倒になった樹が電話をしてきた。
今バイト終わりだと言うと、これから来ないかと誘われた。
誘いが増え、そして泊まっていってもいいと樹が言う事も多くなった。今日もそうだ、遅いから泊まっていってもいいと言ってくれた。
優志は迷う事なく、これから行くと伝えた。
「外寒かっただろ、コーヒー淹れるよ」
「ありがとう……」
4月とはいえまだ夜は冷える、温かいコーヒーは願ってもない。
リビングのソファーで待っていると、コーヒーの芳しい香りが漂ってきた。香りと一緒に樹も戻ってきて、優志の隣に腰掛けた。
「はい、バイトおつかれさま」
「ありがと、樹さん」
マグを受け取り、湯気の立つコーヒーを一口飲む。ミルクと砂糖の入った甘いコーヒーは疲れた体を温めてくれた。
「泊まっていってもいいって言ったけど、明日は大丈夫なのか?」
「うん……大丈夫」
特に予定はない。そう続けようとして優志は口を閉ざした。自虐的になる事はないが、言うと自分で落ち込みそうだった。
「疲れた?」
「……え?」
「何か今日大人しいな……」
「……そうかな……」
「何かあったか?」
気遣うような優しい笑顔で覗き込んでくるから。
優志は心の欝を吐き出すように、樹にオーディションの落選を話し出した。
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