32 / 76
第32話
「優志、にゃーん、て言ってみろ、にやーんて」
「……ド変態!!!」
涙目で訴える優志の言葉など聞こえていないのか、樹は深く笑みを増し優志の頭に揺れる作り物の猫耳を慈しむように撫でた。
今日という今日はいくら樹の頼みでも絶対に聞くものかと、優志はそう固く心に誓った。
「可愛かったんだよな……」
「……ふーん……」
ここ暫く忙しそうにしていたからてっきり締め切り前なのだと思っていたが、どうやらダーツの舞台公演があったらしい。それに通っていて忙しかったのだそうだ(仕事は大丈夫だったんだろうか……)
テーブルに広げられたのは、ダーツ主演の舞台「キャッツストーリー~月に歌えば~」のパンフレット、その公演の物と思われる生写真だ。
生写真には勿論美月のもある。黒猫を模した猫耳と黒のファー付きキャミソールと同じくファーの付いたショートパンツとロングブーツ姿だ。何枚か見ると猫耳と同じく尻尾も付いているようで、ショートパンツから垂れた長い黒尻尾が揺れている。
「……確かに可愛いけどさ……」
「可愛かったよ」
「うん……」
早くDVD出ないかなー、あー、その前に大阪公演あるんだよな、優志も行くか?行きません。だよなー、お土産買ってきてやるよ。
「……うん……ありがとう」
30を越した男がアイドルの追っかけで大阪……。
いやいやこれは樹に限った事ではない、そう思おうとしてもそのファンぷりに優志は若干引いてしまうのだ。
シスコンでアイドルおたく、だが守川樹と言えばドラマや映画の原作などにも使われる本を書く人気作家だ。
しかも容姿は無名とは言え俳優である優志を凌ぐ美男子である。シスコンでアイドルおたくだからなのか樹の周りには女っ気がない……ような気がする。リアルで樹の周りにいる女子は美月位のものだろう。
もしかしたらダーツの誰かと懇ろになっている可能性もなくもないが、ダーツは基本恋愛禁止、らしい。
だから脱退覚悟でなければ本気の恋など出来ないと聞く。
でも、秘密の恋はあるかもしれない……樹は優しいし、カッコいいし将来性だってあるし……シスコンだけど、ダーツメンバーなら美月ちゃんとも仲いいだろうし……なくはないか……。
「そうだ、優志、プレゼントがあるんだ」
「え?」
ぼんやりと取り留めのない事を考えていた優志は、樹の一言で現実に引き戻された。
「これなんだけどなー」
「……何?いいの……?」
「あぁ」
用意していたのか、樹はソファーの影から紙袋を出してきた。
プレゼントなんてどうしたのだろう、何か貰い物のお裾分けだろうか?
何にせよ、嬉しい。自然と笑みを浮かべながら、優志は逸る気持ちを抑え、紙袋を受け取った。
「見ていい?」
「あぁ」
うきうきと紙袋を開けて、中身を取り出して優志は固まった。
あまりにも想像とかけ離れていたからでも、出てきた物に引いてしまったからではない。
既視感に襲われた為だ。
「……樹さん……これ……」
「付けてやるよ、優志」
「……」
呆然としている優志の手からプレゼント、黒色の猫耳付きカチューシャを取り上げると、樹は嬉々として優志の頭に取り付けた。
「うん、似合うな」
似会うわけないだろうと声を大にして言いたかったが、脱力し過ぎて声が出なかった。
……またか……と。これではクリスマスの二の舞だ。
どこまでこの人はコスプレが好きなんだろう…。
喉まで出掛かった「変態」という言葉を飲み込み、優志は頭から猫耳を外した。
「いらないってば!!!」
「どうして?!ルナ仕様だぞ?!!」
「知らないよ!!」
ルナ仕様というのがどういうものか分からなかったが、さっき見た写真の猫耳とは違うようだ。この猫耳には耳の根元に月のモチーフ付きの黒いリボンが付いている。
まじまじと猫耳付きカチューシャを見て優志は溜息を深々と吐き出した。
「……買ったの?」
「いや、美月がくれた」
「くれた???」
「オレが欲しいって言ったらくれた」
「……欲しいって言ったの……?」
「あぁ」
何故欲しがるのか、意味が分からない……。
まさか自分に付けさせる為に欲しがったという事だろうか、それならば……それは有難迷惑だが、だけどほんのちょっとだけ嬉しい。
方向はこの際置いておいて、自分の事をちょっとでも思ってくれた事に関しては素直に嬉しかった。
プレゼントされた物自体は嬉しくはなかったが。
……でも美月ちゃんが付けてたから樹さんは欲しがったんだよね……?
多分そうなのだろう。記念品、と同じ感覚なのだろう。
でもそれを自分にプレゼントしてくれた。
猫耳付きカチューシャなんてホントに嬉しくなんかないけど、でも、樹がくれた物だから。
飾っておく事も出来ない代物だけど……どこかに大事に仕舞っておこうと思った。
「……付けないけど、でも、ありがとう……」
一応礼を言って、カチューシャを紙袋に仕舞おうとしたが、樹のストップが掛かった。
「付けないのか?!」
「付けないってば!似合う訳ないでしょ?!」
似合えば付けると言ってるようなものだが、突っ込まれない代わりに力説された。
「いやいや、いけてた!」
「……いけてないよ、じゃあ樹さん付ければ……?」
「いやー……オレは似合わないだろ」
そう言いながらも優志の手からカチューシャを取り上げると、そのまま自分の頭の上へとセットする。
「な?」
「……」
少し長めの黒髪の中に黒耳がにょきっと生えたように見える、それが似合っているとは言いがたかったが不覚にも優志は思った。
……どうしよう、やばい、かわいい!!!!
優志は口元が緩むのを止められないので、それを隠すように手で押さえながら興奮気味に言った。
「……樹さん、それ……!」
「な?似合わないだろ?」
「……写真撮っていい??」
「……は?」
「ちょっと待って、一枚でいいから!いい?!」
「……いいけど」
呆れたような樹の声など聞こえてない優志はスマホを取り出すと、そそくさと樹に向かいカメラレンズを向けた。
画面に映る樹はどんな顔をすればいいのか分からない、といった様子で所在なさげに視線を壁の方へ向けていた。
「じゃあ、撮るよ」
「あぁ」
樹の正面からパシャリと一枚。
撮った画面を見ると、黒耳を付けた樹が写っている。よく撮れた、欲を言えばもう何枚か欲しい、ついでにポーズも欲しい。
似合っている訳ではない。それはそうだ、30を過ぎた男に猫耳なんて不気味なだけだ。眼鏡で猫耳なんて何となくマニアックだし。
だけど、どこか憎めない愛らしさというか、心を和ませてくれる愛らしさというか……恋は盲目とはよく言ったものだ。
「撮れたか?」
「うん、ありがと」
それを聞くと、樹は頭からカチューシャを外して満面の笑みを浮かべていた。
「さ、今度は優志の番だ」
ともだちにシェアしよう!