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第31話
「お兄ちゃん荷物届いてる?」
「……美月……あれ、持って帰るのか?」
「持って帰るわよ、読み終わったら後で実家に送るの、本当はマンションに置いておきたいんだけど……」
「置いておくな」
「分かってるわよ、佐々岡 さんにもそう言われてるしぃー」
佐々岡というのは美月が所属しているアイドルグループ『ダーツ』の総括マネージャーの男の事だ。初めて会った時は肥満体型だったのが、嘗ての太鼓腹は引っ込み今はスリムで男振りが上がったが、その原因がストレスだと樹は知っていた。
「……美月、あまり佐々岡さんに迷惑掛けるなよ?」
「掛けてません、もぉお兄ちゃんたら心配性なんだから」
リビングをうきうきと出て行く美月を眺め、樹はこっそりと溜息を吐いた。
オレがギャップの男と言うのなら、美月は何だ?詐欺か?
「……はぁ……どこでどう間違ったのか……」
客間へ消えた美月を思い、ありったけの溜息を吐き出した。
「美月、もう出来るからテーブルの上片付けてくれ」
「はーい」
茹で上がったパスタをフライパンに投入しながら、リビングの美月に声を掛ける。
テーブルに散らかしてあった雑誌や薄い小冊子などを手早く一つの山にすると、美月はソファーから立ち上がった。
「お兄ちゃん、アイスティーでいい?」
「あぁ」
美月が冷蔵庫の中に入っているアイスティーのペットボトルを取り出し、二つのグラスに注ぐ。
更に冷蔵庫に入っていたサラダも取り出して、リビングに運び再びソファーへ座った。
「そうだ、お兄ちゃんこの間優志君にカレー作って貰った?」
「あぁ、作ってもらった」
「美味しかった?」
「あぁ」
「エプロン姿撮って送ってって言っておけばよかった~」
「……あのな、あんなフリルのエプロンをどうして優志にやったりするんだ……」
「優志君なら可愛いかと思って」
「……」
可愛かった、とは言わずに樹は黙り込んだ。
きのこと茄子の和風パスタを皿に盛り付けると、それを樹はリビングへ運ぶ。
「ほら、どうぞ」
美月の前に皿を置くと、行儀正しく手を合わせた。笑みを浮かべ「いただきます」と言う美月は勿論可愛い。妹だからという贔屓目なしにしたって、美月は美人だ。
人気アイドルグループ『ダーツ』内でもトップ1,2を争う人気の守川美月、21歳。
肩に掛かるストレートの黒髪は後で一つにまとめられ、すっぴんの白い肌はシミ一つない。160センチに満たない身長にBカップと小柄のバストだが、大きな二重の瞳は常に好奇心に輝き明るい健康的な笑顔は国民的アイドルの顔だ。
「あ、お前もそれ……なんだっけ、舞台、見るのか?」
「舞台?」
「その、雑誌の……アクターズ、だっけ?」
樹の視線はテーブルの隅に片付けられ、山のようになった塊に向いていた。その上に置いてある雑誌の表紙には「アクターズ特集」と書かれている。
「お兄ちゃん、アクターズ知ってる?」
「いや、よくは知らないけどな……優志がそんな事言ってたから……」
「そうなんだ、アクターズ、面白いよ!今度の公演から新しいキャストもいてさ、すっごく楽しみ、キャラも原作に近いし、ホント凄いの」
心底好きなのだろう、美月の笑顔はステージで見るよりも輝いて見える……気がする。
「……好きなのか?」
「好きよ!でも、今チケット取るのも大変だし、見に行きたくてもなかなか……」
「え?お前、見に行って大丈夫なのか?」
「大丈夫って?」
驚いている樹とは対照的に、美月は落ち着いている。質問の意味が分からないという顔をしているので心配を口に出す。
「……アイドルがそんなとこ……」
「そんなとこって……別に大丈夫だよ、アイドルって言っても私そんなに目立たないし、今まで何回か行ってるけどばれた事ないよ」
「……何回か行ってるのか……」
「だって、部長が超部長なんだもん!」
「……そうか、よくわからないけど、そうか……」
「部長もだけど、副部長役もすごく嵌り役なのー、原作の腹黒さがそのままでーいつも部長を虐めて楽しんでるとことか、もうー超高ヒガでー!」
喜々として早口で話し出す美月の話は右から左に聞き流した。真面目に聞いても損するだけだ、それ以前にアクターズを知らないので分からない。
「とりあえず、面白いんだな」
「原作読む?」
「……いや……高ヒガっていうのは」
聞かなくてもいいかと思ったが、確認したくなり樹は質問した。
「高宮×東の略」
「……だな、うん、そんな事だろうとは思った」
げんなりとする樹に気付いていない様子で美月は続ける。
「もしかしてうちに届いたのも……」
「そう、アクターズの」
「……そうか」
「部屋に同人誌置いておくと佐々岡さんぶつぶつ文句言うしー」
もっと文句を言ってくれと思ったが、樹は口を挟まなかった。
美月にとってもこれがストレス解消にもなるのだ、佐々岡のストレスになるが、そこは妹の為、我慢してもらわないとならない。気の毒で仕方ないが。
「……はぁ、アイドルも大変なのよ、自分の好きな趣味の話も出来ないし、行きたい所にだって行けない」
「中野なら結構見るとこあるんじゃないのか?」
「だめ、中野はホーム過ぎてばれる」
「……だな」
そう、ダーツの本拠地は中野だ。中野にあるルネス中野という劇場を併設した商業ビルでいつも公演を開いているのだ。
どうしてこんな事になったのか。
原因の何割かは自分にある、だからこそ軌道修正を図りたかったのだ。図れると思ったのだ、美月のデビューが決まった時は。
美月が漫画やゲームなどに興味を持ち出したのは、歳の離れた兄である樹の影響が大きい。
今でこそ売れっ子小説家の仲間入りを果たしているが、本を正せばただの文学青年、いや、おたくだった。
漫画やゲームなど二次元の女子に嵌り、二十代中盤までアイドルの追っかけをしていた。(今もしていると言えばしているが)
その兄を側で見て、同じように美月も漫画やゲームに夢中になった。
夢中になるのは構わない、だが、どこでどう間違えたのか美月は世で言う所の腐女子の仲間となっていたのだ。
美月の事をとやかく言えた義理はないが、それでも可愛い妹が腐女子……こんなに可愛いのに。アイドル顔負けなのに。
そうだ、いっそ美月がアイドルになれば腐女子を止められるんじゃないだろうか?!
そんな珍案が浮かんだ樹は美月に無断でオーディションに応募し、今に至る訳だが、思惑通りになったかというとそうではなかった。
結局、腐女子は何をしても腐女子なのだ……。
これで彼氏でも出来れば、とも思うが可愛い妹に彼氏などまだ早い。自分が美月と同い年の頃には彼女が居たが、そんな事樹は器用に忘れている。
今は忙しいから夏コミなどのイベントにも行けないようだが、それでもあの薄い小冊子を買う場所なら幾らでもある。
直接通販するのは名前からばれたら困るという理由で、樹の部屋が郵便受けになっている。ネット通販も然りだ。たまには池袋などでBL系の漫画本を買っているらしいが、ばれないのかとひやひやしてしまう。
美月は事務所が用意したマンションで一人暮らしをしている。同じダーツの女の子達も同様にそのマンションに居て、部屋の行き来もたまにあるらしい。
男子中学生がエロ本を隠すが如く、ベッドの下など見つからない所に隠しているらしいが、佐々岡だけは美月の趣味を知っていた。
なるべく外ではその趣味や嗜好を見せないよう、商品としてのアイドル守川美月を大事に管理してくれているようだが、そのストレスは計り知れなかった。
今の時代趣味嗜好をオープンにしている芸能人は多い、アイドルも他ならない。だが、美月はその路線で売り出すつもりがないのか、本人も隠しているようなので世間からはちょっと漫画やアニメが好きなアイドルとしてしか認知されていないようだ。
「じゃあ、またね、お兄ちゃん」
「あぁ、またな…」
タクシーに乗り込む妹を複雑な心境で見送り、げんなりと溜息を樹は吐き出すのだ。
腐女子でもいい、自分の書いた作品で受だ攻だと言うのも、この際許そう(これが嫌になり美月アイドル計画を思いついた)だが、身内で受、攻言い出されたらもうどうしてくれよう……。
本当の事は口が裂けても言えない(喜ばせるだけだ)樹だった。
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