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第33話
「急なんだけど、代役が必要になったの」
そう電話で言われ、呼ばれるままに優志は事務所に向かった。
予定が合わなくなった、体調が崩れた、製作サイド、事務所サイドからの降板要求などで代役が立てられるのは珍しい事ではない。
今までモデルの仕事でもそういう事が幾度かあったので、優志は別段構えるでもなく事務所のドアを開けた。
その時までは仕事の内容など考えていなかった。
自分に回って来たくらいだ、雑誌モデルかテレビでも端役だろうと。だから仕事内容を聞かされた時には吃驚し過ぎて、暫し呆けてしまった程だ。
事務所はマンションの一室にある。入って直の事務用の部屋でマネージャーの岩根女史とテーブルを挟み向かい合う。岩根は優志の反応に眉を顰めた。
「……聞いてるの?優志」
「……あ、はい……聞いてます、えっと……あの、もう一度言って下さい」
「聞いてないんじゃない、今から東日スタジオに行ってくれって言ったの」
「はぁ……あの、番組名を……」
「そこから?ちゃんとして頂戴よ」
岩根は呆れを通り越し怒りを隠そうとしない、大分イライラしているのが分かるのだが、今の優志にはそれすら気付けない。それ位に余裕が全くなかった。
「……あの、本当にオレが?」
「そうよ、何よ、嫌なの?!」
「ち、違います、だって、急にそんな……」
「急なのよ、急性のウイルス腸炎だなんて全く何したってのよ……」
テーブルの上に出ていた書類やノートパソコンを鞄に仕舞いながら愚痴を溢す岩根を、まだ呆然とした表情で見つめる優志。
岩根は落ち着こうと、長く息を吐き出した。テーブルに置いてあるマグカップを取り上げ、コーヒーで喉を湿らせると、まだ困惑している優志を呆れた視線で見つめた。
「はぁ……ええと……どうすれば……」
「すぐに打ち合わせになるから、このまま東日のスタジオまで一緒に行くわよ」
「はい、あ、あの……」
「なに?」
「……オレでいいんですか……?オレじゃなくて……その、幸介さんとかの方が……」
元々その役は優志や幸介よりもキャリアのある俳優がやる事になっていた。自分がやるよりはと優志が思うのも無理からぬ話だ。
優志は部屋の中に居た幸介に視線を向けた。幸介の方もマネージャーと打ち合わせがあったようで、たまたま事務所に来ていたのだ。
「あのなー、優志、お前の欠点だぞ、それ」
幸介にも聞こえていたようで、岩根同様に渋い顔を作った。
「お前、自信ないからそんな事言ってんだろ」
「……だって……」
「別にレギュラーの代役じゃないんだ、1話だけだし、そんな大袈裟に考えるなよ」
「考えますよ、だって『カイヨウジャー』ですよ、オレ、オーディション落ちてるんですよ!!」
興奮気味に話す優志とは反対に幸介は至ってクールだ。
「はいはい、そうだったな……まぁそれはいいだろ、とにかく自信もっていけ、そんなに下手じゃないんだから、優志は」
「はぁ……」
「そうよ、優志、いつも言うけど、もっと自信持ちなさい、演技は悪くないんだけど、どうも……現場に呑まれるっていうか……自信ないです、っていうのか製作側に分かっちゃうっていうか……大丈夫なのかって聞かれるこっちの身にもなってよ」
「すみません……」
「モデルの仕事の時みたいに堂々としててよ」
別に堂々としている訳ではなく、慣れてきたのでそう見えるだけだ。だが、それを口には出さずもう一度同じ台詞を口にした。
「すみません……」
「すみません、じゃないわよ……まぁ、いいわ、とにかく急ぎましょ」
「はい」
椅子から立ち上がると、岩根はさっさと部屋から出て行こうとドアへと近付いた。優志も急いで立ち上がる、椅子が床に擦れ鈍い音が立った。
「優志」
「はい……」
優志の背中に幸介が声を掛けた。優志は反射的に顔を幸介に向けた。
「がんばってこいよ」
「はい……」
緊張でがちがちになりながらも、辛うじて返事だけは出来た。幸介や事務所にいる人間が次々にくれた声援に励まされ、優志は勇気を貰った足取りで岩根に続き部屋を出て行った。
代役の仕事から優志の運は緩やかだったが右肩上がりに調子を伸ばしていった。
だけど、それがいつまでも続く訳は無い。優志はそう思っていた。だって、自分の才能を一番理解しているのは自分だ。
だから、調子に乗ってはいけない。きっと今だけ運が味方してるんだ、きっと……。
優志は今の状況を単に運がいい、そう思う事にしていた。
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