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第34話
「はぁ?運がいいから、仕事が貰えただと?本気で言ってんのか?!」
代役の仕事を貰ってから四日が経った。その間撮影が二日あったが、まだ全て終わってはいない。あとはアフレコが残っているのだ。
「だって、そうでしょ……オレなんかがこんなに続けて仕事貰えるのなんて、たまたま運が向いてきてるんだとしか思えないし……」
「あのなぁ……」
そう言いながら幸介はジョッキの底に残っていたビールを飲み干すと、横を通りかかった店員に素早くお代わりを頼んだ。
「まぁ、お前がそう言いたくなるのも……分からないでもないけどな……」
「……でも、ホントの事ですよ……」
幸介が何か言う前に店員が生ビールのジョッキを運んできた。幸介は受け取ると、喉を鳴らして半分程を一気に飲み干した。
個室ではないが、仕切りのある居酒屋は覗き込まなければ客同士の顔は見えない。
そこそこ顔の売れ出している幸介が誘ってきたので、会員制の個室バーなどかと思っていたが普通の大衆居酒屋で少々面食らった優志ではあったが、適度な喧騒と仕切りの高さからバレる心配はなさそうだと安心した。
変装の為か眼鏡を掛けているが、幸介さんだってバレたら大変だろうしな……よかった。
幸介は初主演舞台を先日終えたばかりだった。直ぐに次の仕事が決まっている、稽古などで毎日忙しいだろうに、今日はこうして優志を飲みに誘ってくれた。面倒見の良い先輩だった。
「オレも幸介さんみたいに舞台の仕事したいな……」
「舞台のオーディションは受けないのか?」
「受けない訳ではなくて受からないんです……だから最近はオーディション受けてない……です……」
「あー、そうか……でも受けなきゃ受かんないだろ」
「……」
それはそうだが、そういう問題ではない。
舞台には出たい、でも落選が続くと辛い……思い出し落ち込みそうになったが、幸介の一言に優志の気持ちは浮上した。
「また、アクターズのオーディションやるだろ?」
「え?!」
「今のメインキャスト変わるって話だけど」
ほっけを突付きながら幸介が言う。さっきから幸介は良く飲んで良く食べているが、優志といえばウーロン茶をちびちびと飲んでいるだけだった。
食欲がない訳ではないが、抱えている仕事の事を考えると緊張で胃が萎縮するのだ。
「あ、そうかも、この間のでキャスト卒業って言ってたかも…!次って……学園祭編かぁ……いいなぁ……オレあの話が一番好きなんですよね……」
「じゃあ、また受けたらいいだろ」
「……受けさてもらえたらですけど……」
「岩根さんに聞いてみれば?岩根さんの方でも考えてるかもしれないけどな、お前がアクターズやりたがってるの知ってるし」
「聞いてみます……出来れば、受けてみたいですし」
今度こそ受かりたい。落ちたとしても次に繋がる面接を、以前幸介に言われた言葉を思い出した。
あの時よりも自分のパフォーマンス力は上がったと、そう思える。自信はないが、それでも次は前回よりもいい結果が出せるのではないかと優志は思った。
ウーロン茶で酔った訳ではないが、興奮しているせいでか体が上気している。
「そうだな、まぁ、頑張れよ、お前が努力してんのは事務所だって分かってるんだ、だからこそだよ、今仕事が入り始めてんのは」
「……そうですかね……でも、頑張ります、頑張るしかオレには出来ませんから」
「あぁ、頑張れ、期待してるんだぜ、オレは」
「……はは……」
余裕の笑みを浮かべて幸介は応援をくれる。だが、それは同時にプレッシャーでもあった。
***
それからの一ヶ月は瞬く間に過ぎていった。
折角の桜も電車の窓から眺めた位で終わった事を後になって残念に思った。
その桜の木も今はすっかり様変わりしている、若葉で覆われた木々は春の面影を消し去り早くも初夏の匂いを漂わせていた。
朝の特撮番組に始まり、端役ではあるが役名を貰え出演したWebドラマ、映画の撮影、そしてオーディション。日常のレッスンもこなし、バイトも入れるだけ入っていたので休む間などほとんどなかった日々だ。
だけど、毎日は充実していた。疲れすら心地よい充足感を生み、自分の中の可能性がどんどんと広がっていくのを感じ毎日が楽しかった。
もう運だけではなく、自分の努力が少しずつ実っている事を実感出来ていた。だけどここでその努力を怠ってはいけない、今まで以上にレッスンに身の入る優志だった。
充実した毎日、だけど、一つだけ足りないものがある。
忙しく過ぎていく中、この一ヶ月余りの間で樹とは一度も会っていない。声も聞いてもいない。
仕事が忙しくなると伝えると、それまであった誘いの電話は一切なくなってしまった。樹の方も忙しかったのかもしれないが、確かめてはいない。
忙しくても、本当は会いたかった。少しでも顔が見たい、声が聞きたいと思った。
だけど、きっと自分は甘えてしまう。樹の顔を見たら、緊張の糸が解けてしまいそうで怖かった。
だから、仕事が一段落するまでは会わないと、優志は勝手に決めていたのだった。
「……あの、えっと……樹さん、お願いがあるんだけど……」
緊張でスマホを握る手が汗ばんでいた。
一ヶ月振りの電話。たったの一月なのに、声を聞いた途端に涙腺が緩みそうになった。それ位に自分は樹に飢えていたのだと思い知らされた。
「どうした?」
寝起きだったのか、声が掠れているし、少し不機嫌そうな気もする。
時刻は夜の23時を少し回ったところだったが、寝ていたのだろうか。
「あ、あの……今、電話、大丈夫?」
おそるおそる聞くと、大丈夫、という短い返事が返ってきた。優志は勇気を振り絞って、躊躇いがちに聞いた。
「あの……今日……」
「今日?来るのか?」
「う、うん……大丈夫?」
「あぁ、構わないぞ」
「で、ね……今日……オレ、泊まってもいい…?」
暫し間があった。だが、また同じように返事をくれる。
「あぁ、いいぞ」
「うん、じゃあ……今から行くね……あと10分位……」
「早いな、今どこに居るんだ?」
樹の部屋の最寄り駅を伝えると苦笑いされた。だったらそのまま来ればよかったのに、と。
「うん、じゃあ、行きます……」
「あぁ、気をつけてな」
電話を切ると緊張が解け、深い溜息が洩れた。
きっと樹には優志が何故確認してきたかなんて分からないだろう。
こんなに緊張しているなんてきっと知る由もない。
「……はじめてだ……」
幾度となく泊まった部屋、だけど、自分から泊まりたいと言ったのはこれが初めての事。
樹が誘ってくれない限り泊まる事はしなかった。言われない限りはどんな時間であろうと帰っていた。
だけど、今日は……いや、明日はどうしても樹と居たかったのだ。
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