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第35話

「久しぶりだな、優志」 「うん……」 「忙しいって言ってたけど大丈夫なのか?」 「うん、大丈夫……樹さんは仕事平気?」 「あー……まぁ、取り急ぎってのはないから大丈夫だ」 「そっか」  それを聞いて優志はホッと息を吐いた。締め切り前だったなら自分の我侭でここにいる訳にはいかないと思っていたのだ。  リビングに通されると樹はキッチンへと消えた。キッチンの方からはいい匂いがしていたので、夕飯の途中だったのかもしれない。 「樹さんご飯食べてる途中だった?」 「あぁ、お前飯は?」 「賄い貰って食べたから平気」 「そうか、じゃあ食っちゃってもいいか?」 「うん」 「テキトーにしててくれ」 「うん」  キッチンを覗くと、フライパンをコンロに掛けて何かを焼いている樹の後姿が見える。こんな時間に焼肉?と思ったが、不規則な生活リズムの樹にとってはいつもの事なのかもしれない。  ソファーに無造作に投げ出されている雑誌をパラパラと捲っていると、肉と野菜の炒め物、インスタントの味噌汁、白飯の茶碗をトレーに乗せた樹がリビングに入ってきた。 「何か飲むか?ビールなら冷蔵庫だけど」 「……大丈夫……」 一瞬迷ったのは久しく飲酒から離れているからだ。樹も優志の躊躇いに気付き、苦笑した。それ以上勧めて来ないので、優志は再び雑誌に視線を移した。 「……美味しそう」 「ん?食べるか?」 「……ちょっと」 ずっと炒め物の香ばしい匂いがしていたので、つい気になってしまいぽろりと口から出てしまった。 樹はキャベツと豚バラを箸で摘まんで優志の口の前まで持っていった。 「はい」 あーん、て言われそうだったが樹は言わなかった。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しい。 口を開いて箸に食い付く。普通の肉野菜炒めだったけど樹の手作りなのだ、美味しくない訳がない。 「おいしい……」 モグモグやりながら言えば樹の顔に笑みが上り、眼鏡の奥の瞳が優しく優志を見つめる。 「もっと食べるか?」 「うん」 子供にするみたいにまた箸で分け与えてくる。優志はまた雛鳥のように口を開いた。  夕食を片し、リビングに戻ってきた樹の手にはマグカップが二つ、匂いからしてコーヒーのようだ。 「はい」 「ありがと」  二人掛けのソファー、優志の隣りに樹は腰を下ろした。  湯気を立てているコーヒーに口を付ける。樹も同じように一口飲み、そこで気付いたように優志の方へ顔を向けた。 「あ。悪い、冷たい物の方がよかったか?オレが飲みたいからコーヒーにしちゃったけど」 「ううん、大丈夫」 「あ、酒の方がよかったか?」 「もう、飲まないって言ったじゃん……」  ニヤニヤ笑っているのでからかわれたようだ。  朝晩冷え込む事もほとんどなくなった5月中旬。こんな風にのんびりとコーヒーを飲んでいるゆとりはなかったと、今になって思う。 「樹さん、GWは出かけてたの?」 「ん?あぁ……出かけたりもしたけどな……まぁいつも通りだよ」  いつも通りというのはきっとダーツの公演に足を運んでいた、という事だろうか。カレンダーと関係のない仕事をしている樹の事だから、わざわざ連休で混み合っている街中に出て行く理由はそれしか思いつかなかった。 「久しぶりに舞台を見たよ」 「え?」 「友達でちっちゃい劇団なんだけどさ、役者やってるヤツがいて……下北の小さい箱だったけど、なかなか面白かったよ」 「そうなんだ……」 「たまにはいいな、見に行くのも」 「うん……そうだね」  それから取り留めない話をしてもう一杯コーヒーを飲み、深夜テレビを見ながらまったりと時間を過ごした。  風呂を借り、キスもないままに樹のベッドに入りそのまま二人で眠りに付いた。  ティーシャツだけ借りコンビにで買ってきた下着を穿いた。そんな格好だったけれど、樹が優志を抱く事はしなかった。  セックス抜きでこの部屋に泊まったのは初めてじゃないだろうか。眠りに付く前にふと思い、だけど物足りなさは感じなかった。  久しぶりだというのに、あんなに樹が足りないと思っていたのに。  ただこうして同じベッドで寝るだけで、何て安心感なのだろう。  日々の疲れも手伝い、優志は樹の温もりを感じながら夢も見ない程の深い眠りに付いた。 ***  耳元で煩く鳴る電子音に、優志は無意識に眉根を寄せた。  もう朝か、今日の予定はなんだっけ……スタジオに入るのは何時だっただろうか……。  手を伸ばし枕元に置いてあるスマホを手繰り寄せ、目覚ましの解除ボタンを押し目を開く。開いた途端に飛び込んできた樹の顔に優志は心底吃驚してしまった。 「!!」 「……優志のか……?でんわ……?」 「あ、うん……」  まだ寝ぼけているような様子の樹は、目を閉じたままで聞いてくる。  眠気の吹き飛んだ優志は、昨夜樹の部屋へ来た事を思い出した。ここへ、何しに来たのかを。 「あ、あの、樹さん……」 「んー……?」 「まだ、眠い……よね……?」 「……あぁ……眠いな……」  寝たのは2時を過ぎていた、そして今はまだ7時半前、優志だって布団の中で惰眠を貪っていたい程だ。 「ごめんね、ちょっと起きて欲しいんだ……」 「……どうした……?」  何時になく真剣な声音に樹も気付いたようで、眠そうな目をぱちりと開いた。 「優志?」 「……えっと……あの、お、起きて欲しいんだけど……」 「……あぁ……分かった……随分早いんだな……」 「うん……ごめんね、すぐだから、又、寝てていいから……」 「分かったよ」  優志は先に起き上がりベッドを出ると、樹もまだ眠そうではあったが続いてベッドから出た。  昨日ベッドに入った格好のままでリビングへ行き、テレビのスイッチを入れた。樹は尋ねる事もせずに優志がソファーに座ったので、同じように隣りに腰を下ろした。  チャンネルを目的の番組に合わせ、時間になるのを待つ。携帯のアラームを7時25分にセットしていたのでほとんど待つ事なく目的の番組は始まった。  7時半になり始まった番組に樹は不可解な顔をする、どうしてこれを見るのか分からないという顔だ。  それはそうだろう、始まったのは毎週日曜の朝にやっている子供向けの特撮番組だからだ。 「……これが見たかったのか?」 「うん……」 「……そうか……とりあえず、先顔洗ってくるな」 「あ!ま、待って……オープニング始まっちゃう……」 「……分かった、じゃあ……見終わってからにする……」  慌てて言ってくる優志の様子に、樹は苦笑を浮かべ答えた。  可笑しいと思われているのは承知だ、まだ理由を話してないからこの番組を見る意味が分からないのだ。  オープニングも見る必要などないと思っているのだろう、でも、優志には意味があった。樹は気づかないかもしれないが、最初から最後まで見て欲しいのだ。  画面が切り替わりオープニングテーマ曲が掛かり始める。スーパー戦隊という名の付くその特撮番組は30作を超える子供向けヒーロー番組だ。  勇ましい音楽に乗り戦隊名が連呼されるテーマ曲、樹はまだ眠そうな目でそれを眺めているが、優志は子供番組を見るにしては真剣な顔で画面を見つめていた。 「あ」 「あ?」 「あ、うん……何でもない……」  どうやら樹は気付かなかったようだ。少しだけがっかりしたが、一瞬だったのだ、気付かなくても仕方ない。  CMに切り替わり、漸く優志は肩の力を抜いた。 「ふぁぁ……」  隣りで樹が欠伸をした。やはりまだ眠いのだ、申し訳ない事をしてしまったと思うが、今更ベッドへ戻ろうとも言い出せず、優志は気付かない振りで画面を見続けた。  数本のCM後番組が始まった。  冒頭は敵組織の様子が映し出される。敵組織のトップである帝王と部下二人は被り物だが、もう一人の部下はコスプレのような戦闘服を着た女性だ。  毎回毎回悪の組織の敵に当たる正義のヒーローに陰謀が阻まれているのはどの番組も同じだ。それに業を煮やした帝王が部下達を叱責、今回こそはと新たな怪人を登場させるのも毎度の事だ。  そしてこの回の怪人は、 「なっ……!」  隣りで樹が画面の方に乗り出した。画面を食入るように見つめたかと思うと、ぱっと顔を優志に向けた。 「優志……?!」 「……う、うん……」 「は~……そっか、戦隊物かぁ……」  画面には一月前に撮影された自分が映っていた。特殊メイクを施され、ごつい鎧のような物を着てはいるがそれは紛れもなく優志本人であった。  樹は感心したように何度か頷き、先程よりもっと真剣な表情で画面を見始めた。その変化が嬉しくも恥ずかしくもあり、優志はソファーの中で身動ぎした。

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