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第46話
毎日は淀みなく過ぎていく。だが、この数日で優志の生活には変化があった。
撮影、稽古、その合間に事務所へ行きたまに取材などを受けたり、次の仕事のオーディションを受けたりもした。
それは変わらない日常。だが、緩やかにだが、確かに変わっていた。
まず、居酒屋のバイトを辞めた。
中々決心がつかなかったが、覚悟を決めて、これからは俳優業を生業としていく事を決意した。またバイトをしなければならない日が来るかもしれないが、その時が来るまでは頑張ろうと思う。
そしてバイトを辞める決心が付いた理由といえば、オーディションに合格した事だった。
絶対に落ちたと思っていたアクターズのキャストオーディションに、優志は見事合格したのだ。
しかも、役柄を聞いて二度吃驚してしまった。ダンス部部長四条 辰磨 役だったのだ。
まさか受かるなどと思っていなかった優志は連絡を受け、半信半疑で事務所に向かった。
受かったといっても台詞数の少ない役だろうと思っていたのだ、勿論どんな役であれあの舞台に立てるのならば嬉しかった。
だが、それが四条役となれば、嬉しいだけではない。どうして自分が?!と思わず叫びそうになってしまう程だった。
自分が四条をやっていいのか?そもそもやれるのか?
そんな疑問も浮かんできてしまう。まだ自信がないのだ。
アクターズに出演しているほとんどが、世間から見たらまだ知名度の低い若手俳優だ。しかし、回を重ねる毎に人気は徐々に上がっていて、前回の舞台チケットはほぼ完売状態だった。更にアニメ化も決まり原作人気も高まってきている。
そしてアクターズの中でも人気の高い四条役。プレッシャーに思うなという方が無理だ。
でも選んで貰えたのだ、周りからがっかりされないように頑張らなくては、不安ながらも優志はそう心から決意した。
合格の連絡を受けてからバイトを辞め、今まで以上に熱心に稽古に励んだ。
ドラマの撮影、ダンスや歌の稽古以外に自主トレーニングにも精を出した。ダンス部部長のダンスを再現するには、それ相応の体を作らないといけない。
それに、舞台をやりきる体力もつけなくてはならない。最近はランニングを始めた、朝や夜の街を走りながら色々な事を考えた。
約二時間の舞台、期間は長い。公演は12月初旬から始まり、下旬には大阪、年明けに地方を幾つか回り、2月にまた東京で凱旋公演が組まれている。
その期間中をやりきる技術的なものや、体力、気力もまだないと自覚している。せめて体力だけは稽古が始まるまでに付けたい。
今は8月、そして稽古は10月から本格的に始まるという。
キャスト発表があるまではオフレコなので、まだこの事は誰にも言ってはいなかった。
ただ、樹には役名は言えないがアクターズの舞台に立つ事が出来そうだとだけは言った。美月にはまだ内緒にして欲しいとも添えて。
最終オーディションの後、落ち込んだ優志を食事に誘ってくれ、浮上する切欠を作ってくれたのは樹だ。それに樹が応援してくれた事も優志にとっては大きかった。
「時間を作って見に行くよ」
舞台に立つと言ったら樹はそう言って笑ってくれた。優志にはそれだけで十分だった。
樹との関係は変わらず平行線を辿っている。だが、今はそれでいい。
想いを告げたい、常々そう思ってはいたが今はその時ではないような気がした。
一度は告白する勇気を持ったのだが、またタイミングを探して待とうと思っている。
想いを告げる時、それは樹との関係を絶つ時だから。だから、勢いだけではだめなのだ。
それがいつになるかはまだ分からないが、そう遠い未来ではないだろう。
それだけは何となく優志にも分かった。
***
「暑かっただろ?」
「うん、今日もまた熱帯夜だね……」
夏の盛りの8月、容赦ない太陽の照りつけと寝苦しい熱帯夜が連日続いていた。
街が溶け出してしまうのではないだろうか、外を歩く度に優志はそう思っていた。
「シャワー使っていいぞ」
「ありがと」
樹の部屋に来る頻度は最近落ちていたが、その代わり来れば必ず朝まで優志を部屋に置いてくれた。明日はオフなので、撮影が終わるとすぐに最寄り駅から電車に飛び乗り樹の部屋へやって来た。
さっぱりしてリビングへ戻ると、樹はソファーにだらしなく座りビールを飲みながらテレビを見ていた。
どこにでもいるオッサンのような寛いだ姿だったが、端正な顔立ちは自堕落な色気のような雰囲気を醸し出し、思わずその横顔に見惚れてしまった。
「樹さんシャワーは?」
「オレはさっき入ったから大丈夫」
「そっか」
「お前も呑む?」
「のみません」
前にもやった遣り取りを繰り返す。樹はいつまで優志の禁酒が続くものかとニヤニヤしている。まったく失礼だ。
「何見てるの?」
ソファーに近付き、テレビを見ると何かのドラマのようだ。ダーツの誰かが出ているのだろうか?
「あー、何かサスペンス……」
「ふぅーん……二時間ものとか見るんだね」
「割と好きかも、色々突っ込みたい所とか多いけどな」
「あはは、分かる分かる」
二時間サスペンスは時間内に犯人を指摘して逮捕しなければならないのだ、色々と端折ったり辻褄が合わない事が多い、それを指摘しているのだろう。
「何かさ、優志って相沢美沙 に少し似てるな」
「え?」
「これ見て思った、これは眼鏡掛けてないけど、前に出てた映画で眼鏡掛けてたんだ……それが、優志が眼鏡掛けてたのに似てたなって思い出したよ」
「……うーん……」
テレビ画面に目を移すと、似ていると言われた相沢美沙が映し出されていた。
歳は40代前半だと思ったが、30代でも通じるような美しく若々しい容姿だ。肩までのストレートの黒髪、大きくはないが知的な印象を与える意志の強そうな瞳に高い鼻筋と形の良い唇。
二時間ドラマにも出るのか、と優志は意外に思った。相沢美沙といえば映画か舞台女優だと思っていたからだ。
しかし眼鏡を掛けた所が似ている、というのは少々マニアックな気がする。初めて言われた事だし、それも女優なので少しだけ不満だ。自分は女顔ではないと思うが、樹にはそう見えるのだろうか。
「このドラマの続編みたいなのが映画になるそうだ」
「へぇ……」
優志が疑問に思っていた事が伝わったのか、説明してくれた。それならば納得だ。
「昔はアイドルだったみたいだな、相沢美沙って」
「そうなんだ」
「あぁ、詳しくは知らないけどさ……名前も違ったみたいでなー、あんま売れなかったみたいだな、アイドル時代は」
「へぇ……」
アイドルだったなんて全然知らなかった。流石、アイドルおたくだと思った。
しかしこんな大物女優にも売れない時代があったとは、意外だ。だが、今有名な俳優や歌手もデビューからずっと人気を維持している訳ではないのだ。皆下積み時代がある、デビューからトップに立つ人間なんてほんの一握りなのだ。
そう思うと優志にも希望が湧いてくる。
「上手いよな、やっぱりさ……前に舞台で見た事あったけど、本物って感じでそこだけスポットライトがずっと当たってる感じだったな」
「……うん……オレもね……多分、この人だったと思うけど、見た事あるんだ……」
優志は遠い記憶を探った。
あれはまだ幼少の頃、父に連れられて大きな劇場へ足を運んだのだ。
内容はよく覚えていない、というか、幼い自分には理解出来なかったのだ。周りは大人ばかりだったが、退屈はしなかった。
初めて見た舞台に圧倒されてしまったのだ。
思えばあの時からあそこへ立ちたいという夢を見始めたのだ。何の舞台だったのだろうか、思い出せないが、ただ相沢美沙が主演の舞台だった事だけは覚えている。
「小さい頃だけどさ……」
「小さい頃か……」
「うん、今思えばもしかしたらゲネとかかもしれない……6歳位だから……大概未就学児って劇場に入れないでしょ……?よくは覚えてないけどさ……」
「ゲネ、あぁ、ゲネプロか」
「うん」
ゲネプロというのは本番前に行う通し稽古の事だ。取材関係者などが呼ばれたりするので、父はそれで優志を連れて行ったのだろう。
「舞台か……アクターズは12月って言ってたよな……チケット取れるかな?大変なんだよな?」
「え?あ、チケットはオレが何とかするよ!多分、取って貰えると思うから……」
「そうか、頼めるならお願いしようかな」
「うん……あ、美月ちゃんも……来るかな?」
「……いや、あいつだって仕事あるだろうし……まだ美月には言ってないんだよな?」
「うん、連絡してない……キャスト発表になったら連絡しようと思って……」
「……そうか……」
樹は美月が見に行くには反対なのだろうか、少しだけ不機嫌そうに眉間に皺が寄る。
でもアクターズのファンなのだし、学園祭の話が好きだと言っていたので、見に来て欲しいと思った。
「……頑張れよ、よかったな、ずっと出たかったんだろ?」
「うん……頑張る、ありがとう、樹さん」
樹の顔がすっと近付いてきた。優志は樹の意図を察し、目を閉じその唇を待った。
触れてくる唇は熱く、直ぐに深いものへと変わる。抱き寄せられ、名前を呼ばれ優志は体の奥から熱が込み上げてきた。
「樹さん……」
猛禽類を想像させる瞳が見返してくる。その鋭い視線にゾクリと背筋が背徳的な喜びに震える。
身を差し出す小動物のように、優志は再び瞼を閉じた。
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