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第49話
まただと思った。
「樹、さん……あ、はぁ……あん、あ……!」
優志を組み敷きながら、荒い息を付いて腰を打ちつけながら、それでも頭はどこか冷静で醒めていた。
「こんなにエロい体してて、一ヶ月もオナニーだけで過ごしてたなんてな……本当に誰ともしなかったのか?」
「しな、い……ぁ、ん……樹さんとしか……!」
涙目で見上げてくる優志に歪んだ笑顔を向けると、信じてと訴えるように腕を伸ばし下から抱きついてきた。
責めている訳ではない。優志が誰と寝ようが関係ないのだ、自分達は恋人ではない。束縛したりされるような関係ではないのだから。
「樹さん……」
だけど、この必死さはどうだろう。
抱きしめ返し、優志に見えない所で樹は自嘲した。
優志が自分以外に抱かれない事位分かりきっている。外見は軽薄そうに見えるが、決して器用に何人もの人間と付き合えるような男ではない。
本来ならこんな風にセフレとしての付き合いも、優志は望んでいないのかもしれない。
それでも、優志からこの関係を終わりにしたいと言ってこない限り、樹から関係を絶つ事はなかった。
「あ、もぉ、だめ、樹さん……」
焦点の定まらない瞳が樹を見つめる。快楽に染まった表情で何度も樹の名を呼び、優志は果てた。
飽く事なく抱いて、その果てに何があるというのだろうか。こんな生産性のない行為をずっと続けていていいのだろうか。
それは言い訳だ。
本当はただ、もう苦しくなってきているだけなのだ。
この関係を続ける事が、そろそろ限界にきていると最近はずっと考えていた。
確かめずにはいられない位に、独占したいなんて馬鹿げている。
妹にまで嫉妬しているなど、本当にどうしたというのだろう。
滑稽だ。
こいつの隣に居られる訳じゃないのに。
***
「そういえば、見たぞ、ドラマ」
「あ、あぁ……そうか」
「あれ、何て言ったっけ、あの主演の」
「桑原壮太 ?」
「そうそう、結構良い数字出してるみたいじゃないか」
沢野達也 はそう言うとビールジョッキを傾けた。空になったジョッキをテーブルに置くと、手を上げて店員を呼びお代わりを注文する。
結構良い数字、視聴率の事を言っているようだ。9月から樹の書いた『彼方』という本がドラマ化された。そういえば、出版社の誰かもそんな事を言っていた気がする。
桑原壮太というのは大手事務所の人気俳優だ、それに元アイドルの主演女優も旬の女優だ、その二人を起用して時間枠もゴールデン、条件は揃っているのだからある程度の数字は取れるだろう。
だが、思った事は口に出さず樹は目の前に座る達也に「ありがとう」と言って同じようにビールを飲んだ。
樹と達也は大学の同級生だ。同じサークルに席を置き、かれこれ10年以上の付き合いがある。
「そうだな……やっぱりあの役は桑原壮太だったから数字も取れてるんだろうな……」
「は?まぁ、それもあるんじゃないのか?なんだ、オレの本だから数字取れてるとか言う訳?」
酔いで顔を赤くした達也が面白そうに言う。達也程酔っていない樹は別の俳優を思い出しながら苦笑した。
「別にそうは言わないけどさ……主演、別の俳優にやらないかって声掛けてたんだ……まぁ、断られたし、プロデューサーが納得する訳なかったんだけどな……」
何故あの時優志にあんな事を言ったのだろうか、今更ながらに思う。
樹さんから仕事を貰わなくても俳優やっていける。あの言葉は優志の本心だ。
優志のプライドを傷付けてしまったと、後悔したものだ。だが、切欠を与えてやりたかったのだ。
手助けしたいという純粋な思いではなかったのだろうと、今なら分かる。
「誰に声掛けたんだ?」
「ん、あぁ……お前は知らないだろうな……まだ新人だ」
途切れた思考のまま、呟くように優志の名前を言った。達也は案の定「知らないな」と興味無さげに答えた。
「でも、オレだったら主演なら飛びつくけどな」
「……お前ならな……でも……あいつは……自分はあの役は合わないと思ったようでもあったし、製作サイドが納得するとも思ってなかったし…それに……オレに仕事貰うみたいな真似も嫌だったんだろうな……」
「へぇ……自分に合わなくても、製作サイドが納得しなくても、それは一つのチャンスだ、それを潰すなんて信じられねぇな」
本当に信じられないという顔で達也は呟く。それは達也でなくても役者の誰もがそう思う事なのかもしれない。もしかしたら優志だって何年か後にはその事に気付くだろう。
どんな小さなチャンスでも掴み取ろうとする貪欲さ、それがどんなに大事な事か。
だが、まだ若い優志にはそれが分からなかったのだろう。しかしそれが優志のいい所でもあると樹は思った。
真っ直ぐな意志の強さ、純粋さ、それがまだ優志にはあるのだ。
「……プライドもあるし、まぁ潔癖というか、真面目というか……若いからな……」
「青いよな……」
「あぁ……ある意味羨ましいね……」
「幾つだ?」
「21だよ」
「うわ、そりゃ若いわ……!」
「お互い歳取ったな……」
「お前程老けちゃいないぜ、オレは」
「……」
自分が老けているとは思っていないが、お前みたいな自由人相手にしてたら誰だって老成して見えるわ、と心の中だけで樹は突っ込みを入れた。
樹は普通にスーツでも着ていればサラリーマンでも通るが、達也はスーツを着せたらただのチンピラにしか見えない。更に若くも見えるというか、全体的に年齢不詳な感じがする。
短い髪を金色に染め、肉体派俳優を自称する鍛え上げられた逞しい肉体と一般人が持たない鋭い眼光は裏家業の人間に見えなくも無い。
今は稽古帰りだとかで黒のジャージの上下を着ているが、普段もスーツからは程遠いラフな格好をしている。
男臭い顔立ちは決してイケメンの部類ではなく、一緒にいる樹の方が俳優だと言えば納得されそうな整った顔立ちだ。
「そうだ、憲明 がいつ本は書けるんだって言ってたぜ、お前どうなんだよ、やってんのか?」
「……うん、まぁ……ぼちぼち……」
「まぁ……本が出来て、ホントに撮れたら……何かすげーよな」
「そうだな……」
達也が遠くを見るような目をして思い出に浸っているのと同じく、樹も同じ事を思い返していた。
樹と達也、そして憲明は今でこそ別々の道を歩んでいるが大学の同期生だ。
樹が小説家、達也が舞台俳優、そして憲明は映像関係の会社に就職した。
大学では学部は違っていたが、三人は映画研究会というサークルに入っていた。部員数は樹達が入った頃から少なく、樹が三年になった時には実質三人しかいないような有様になっていた。
その頃からの夢、いつか三人で映画を撮ろう、そう話していたのを思い出す。
樹が脚本を書き、達也が主演を演じ、憲明がその映像を撮る。三人で一本の映画を作ろう、ずっとずっとそれは叶う事無く10年以上の月日が流れた。
樹が小説家になり結婚をしたように、二人にもそれぞれ仕事とプライベートでの変化があり、映画を撮るような余裕など無くなってしまっていた。
時折酒の席などで冗談めかして思い出話を語るように映画の話をした事はあったが、誰もがもう無理なのではないかとそう感じていた。
「憲明、会社辞めたの知ってるか?」
「え……?」
「止めたんだけどなー……オレがやりたかったのはこんな事じゃないとか言って……バカだよなー……」
「……そうだったのか……」
映像関係の仕事。映画などを扱う会社ではなく、企業CMや会社説明などの映像を作る製作会社と聞いている。やりがいはあると言っていたが、自分のやりたい事とのギャップに憲明は耐えられなくなっていたようだ。
「あぁ、そんで今なら出来るとか言ってな……この間一人芝居やれとか言ってやらされて、それデジカメで撮ってた……」
「はは、楽しそうだな」
「無茶振りだぜ?あいつは楽しそうだったけどなー」
「見たいな、それ」
「あー……機会があったらな……あ、そうだ、今度の公演なんだけど……」
達也は話題を変えるように、自分の劇団の次回公演の話を始めた。
樹はそれを聞きながら、別の事を考えていた。
……映画、か……構想だけならある、だけど、それはまだ……。
いつか、本当に三人で作品を撮れたらいい。夢を追っていたあの頃のような、そんな熱い気持ちを久しぶりに樹は感じた。
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