60 / 76

第57話

 樹の所へ行き少しだけ気分が浮上し、翌日はオフだった為体もゆっくりと休む事が出来た。  優志はアクターズの稽古場である都内のスタジオに新たな気持ちで向かっていた。  オレ、部長役なんだし、新キャストのメンバーはこれが初仕事って子もいるんだし、あと、歳だって皆よりも上なんだし、オレがしっかり皆を引っ張らないとだよな!  優志自身も舞台は始めてだったが、モデルとして撮影現場や、テレビドラマの仕事は何度か経験している。全くこれが初仕事、という新キャストに比べれば少しは先輩な訳だ。  歳も新キャストは優志と同じ21歳が一人、他は皆優志よりも年下ばかり。特にダンス部は平均年齢が演劇部よりも若い。  ビルの入り口に入り、稽古場の扉の前に立つ。今日は別の仕事の打ち合わせがあったので、優志は遅れての合流になっていた。   扉の横には今日稽古に来ているキャストの名札が掲げられている、誰がいるかが一目で分かる。優志は自分の名札を掛け、扉を開け稽古場の中へ入った。 「おはようございます……」  稽古場の中は休憩中のようで、部屋の中で幾つかの輪が出来ている。だが、誰も優志には注目しない。部屋の中央で対峙している二人に皆の視線が集まっているからだ。 「……え?」  中央で向かい合っているのは穂高将と福井崇弘だ、まるで先日の再現のようだ。だが、先日よりも二人の間には剣呑な空気が立ち込めている。 周りもそれが分かっているからか、下手に口出し出来ないでいるようだ。  止めてくれそうなスタッフはいないものかと室内を見回してみるが、キャストばかりでスタッフはいない、別室でスタッフ間の打ち合わせでもしているのだろうか。 「……あーあ、いっそさ、取っ組み合いの喧嘩でもやれば収まるんちゃう?」 「え?そ、そんな……」  いつの間にか隣には太一が立っていた。興味無さそうに、無責任な事を言う太一だがその瞳には心配そうな色が浮かぶ。  太一が間に入れば収まるのではないかと思うが、本人にその意志はなさそうだ。だが、このままだと太一の言うような取っ組み合いの喧嘩が始まりかねない。  そんな事になったら降板されかねないだろう、太一は雨降って地固まる、を狙って言っているのだろうがそう上手くいくとは思えなかった。 「止めないと……」 「いつもの事やって、放っといてええ、適当に治樹が止めるやろ」 「……ていうか、赤井君の姿が見えないんだけど……」 「あ……せや……さっきスタッフに呼ばれて出て行ってたな……」 「そんな……じゃあ……」 「だから、放っておいてもええって」 「……!」  口論が続きとうとう崇弘が将の胸倉を掴み上げた。このままでは本当に取っ組み合いというか、殴り合いの喧嘩が始まってしまいかねない。 「これだからガキはイヤなんだ……」 「なんだと、このやろー!」 「や、止めなよ、福井君……」 「お前は黙ってろよ」  止めに入ろうとした健吾だったが、二人の剣幕に黙り込むしかなかった。   おろおろと視線を彷徨わせる健吾と目が合う、その縋るように救いを求める眼差しを受け、優志はしっかりと頷いた。  部長を演じればいいんだ。  樹の言葉が蘇る。自分が収めなきゃ……ここは部長役のオレが……四条だったら……。  優志は暗示を掛けるように一度目を閉じると、再び開き中央の二人を見据えた。その瞳からはもう迷いは消え、代わりに厳しい光が宿っていた。 「おい、お前らそこまでだ」 「?!」  優志はゆっくりと二人に近付いていく。周りは皆吃驚した顔を貼り付け優志を見ている。 視線が集まっている事を意識せず、二人だけを見るように目を細めた。  「そんな事やってないで、稽古に戻ったらどうだ」 「江戸川は黙ってろよ、お前今来たところだろ」 「黙ってられねぇーよ、文句があるんだったら代わりにオレが話を聞く」 「何だと?」 「オレは部長役だ、一応こいつらの責任者みたいなもんだからな、だから話を聞いてこいつが悪いようなら謝らせる」  優志はそこで崇弘を睨むように見て、それから将に視線を移した。 「ただし、お前が悪いとオレが思ったらこいつに謝ってもらうぞ」 「……オレは悪くねぇよ、こいつが……」 「は?何言ってだ、お前こそ……」 「黙れ!」 「!!」  低く恫喝すると二人は同時に口を閉ざし、周囲までも息を呑み三人の遣り取りを黙って見つめた。 「ごちゃごちゃ言ってる暇があったら稽古でもしてろ、修正された場所の台詞、二人共まだ入ってなかったよな?」 「……そう、優志の言う通りだよ」 「……太一」  輪の中から出てきたのは太一だった。将はバツの悪そうな顔で太一を見る。崇弘は不貞腐れたようにそっぽを向いているが、優志が睨むと俯いてしまった。 「まぁ、どっちが悪い言うのはないと思うよ、くだらない言い合い、やったから」 「……そうなのか?」 「……くだらないって……」 「くだらなくないなら話してみろ」 「……すみません……」  崇弘は素直に謝った。謝る位なら始めから騒ぎなど起こすなと言いたい、だがこれが若さなのかもしれない。 「休憩中なのか?稽古中断してるんじゃないだろうな?」 「いや、休憩中だ……オレも……その、悪かったよ、大人気なかったな……」  将も頭を掻きながら謝る。どうやらこのまま収まりそうだ。 「じゃあ……」 「それじゃあ、稽古開始でいいかな?」 「……先生」 「緑川さん」  いつの間に稽古場に入ってきたのか、演出家の緑川が輪の中心にいる四人に近付いて来た。見ればスタッフも数人いるし、先程までいなかった治樹の姿もある。  「さ、これでお互い言いっこなしだよ、いいね、稽古再開だよ」 「はい」  緑川がそう言って手を叩くと、皆休憩モードから稽古モードへと切り替わる。真剣な表情を作る面々を見て、優志もそっと肩の力を抜いた。 「ありがとうな、優志」 「え……?」  隣に立っていた太一が笑いかける。さっきの顔より晴れやかだ。 「オレもどうにかせなって思ってはいたんやけど……これでキャストがまとまったな……まぁ細かいとこはこれから直して行けばええしな」 「そんな、お礼言われるような事してません…ただ……オレ、部長役だし、皆よりも年上だからちゃんとしないとって思って……」 「年上っても1、2個しか違わんやろ?」 「……そうかもだけど……きっとみんなまだ緊張してたんだと思います」 「緊張ね……」 「うん、これでまとまれば……いいですね」  ぽやりと笑う優志を太一は少しだけ呆れた目で見た。 「お前、キャラ違いすぎやし……」 「え……?」 「いや、なんも、ほな、オレ達も稽古や、稽古」 「はい」 *** 「つーか、ホンマお前らあほやったなぁ……床に水溢した位で騒ぎよって、何考えてんの、マジ勘弁してほしいわ」 「うるせーよ、その話はもういいじゃねーか、しつこいし、太一」 「そうっすよー、もういいじゃないっすかー!」  アクターズの稽古が終わり、今日は皆で焼肉屋に来ていた。その中には先程稽古場で取っ組み合いの喧嘩を始めようとした将と崇弘の姿もある。  声を掛けたのが太一だったからか、新旧メンバーほぼ全員が集まった。きっと、皆こうやって集まる場を欲していたのかもしれないと優志は思った。  10人を越える人数なので大き目の個室に通されると、稽古終わりの高揚感も手伝って皆口々に話始めた。そこには、今日の稽古場から生まれた連帯感のようなものを感じる。  未成年が半数なので、成人組も酒は控えたようだ。皆、肉肉騒ぎながら食べる様子は修学旅行か、合宿の食事風景のようだ。 「これ、食べられますよ、取りましょうか?」 「あ、ありがと、取れるから……」 「オレやりますから、優志さん、食べてくださいよ」 「うん、ありがと……」  何だか前にも増して気を遣われてしまっているようだ。ちょっとだけ尊敬の眼差しも混じるダンス部の面々に、優志はくすぐったいような面映いような気持ちを感じた。 「でも、ホントさっきはどうなるかと思ってたけど……優志さんのおかげですよー」 「いや、オレは……」 「やっぱ、部長っすよね!」 「……はぁ、ありがとう…」  まるでさっきとは違う優志を太一は面白そうに眺めた。その隣に座る治樹は太一を見つめるとゆっくりと話しかけてきた。 「雨降って地固まったか?」 「まぁ……そんな感じ?でも、優志があそこで出てくるとは正直思わんかったなぁ……」  それは率直な感想だ。以前二人が対立した時は太一か治樹が収めていたし、ダンス部内での事も優志は我関せず、という態度だったからだ。  それが今日は自分から問題事に突っ込んでいったのだ。始めは面食らった太一だった、だが優志を見直したという気持ちもある。 「やっぱ、面白いな、あいつ」  くくっと笑うと隣に座る治樹が露骨に嫌そうな顔をした。 「面倒事は起こすなよ」 「何言うとんねん、面倒事は解決したやないか」 「新たにだ」 「信用ないなぁ……」 「あると思っていたのか……?まぁ、いい、とにかくこれでようやくスタートラインに立ったって感じだな」 「そやね、これから益々面白くなりそうや」  にっと笑うと、治樹は諦めたような苦笑を浮かべた。 

ともだちにシェアしよう!