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第59話

 公演は順調に進み、東京、大阪を無事終え年を越した。その後名古屋、仙台などの地方都市を回り残すところ2週間後の東京凱旋公演だけとなった。  その凱旋公演前のオフ、優志は久しぶりに守川美月と会っていた。  メールの遣り取りは時々あって、凱旋公演も観に行けたら行きたい。だが、スケジュール的に難しそうだとも言っていた。  それはそうだろう、今やテレビをつければダーツが映ると言っても過言ではないくらい、ダーツの露出は多い。  番組だけでなく、テレビコマーシャルだけでも相当な本数だ。しかもそのほとんどに出ている位、美月はダーツ内でもトップアイドルだった。  美月には最近ダーツを卒業するという噂が流れていた。本人に確認した訳じゃないし、ネット上の噂程度だが美月の動向を気にしているファンやマスコミは大勢いるようだ。  そんな美月の貴重なオフだが、今日は樹の部屋に行くから良かったら優志も来ないかとの誘いがあった。勿論断る筈がない、優志は二つ返事で答えた。 「……樹さん、締め切り前なんだね……」 「そうみたいね、一応応援に来てあげたんだけどねー……」  樹が籠もる書斎の前で二人はこそこそと囁き合った。部屋の中からはカタカタとキーボードを叩く音が聞こえている、それは時折止まり、止まると唸り声が聞こえてきていた。 「何か煮詰ってるみたいね」 「……うん……」  こんな時に美月ならまだしも、自分が来た所で出来る事は何もない。応援は美月一人で十分だ。  樹のスケジュールを聞いた上で来ればよかった、そう後悔し始めている優志だった。 「まぁ、そのうち息抜きで出てくるでしょ、お茶でもしてましょ、優志君」 「……うん……」  廊下からリビングへ移る。美月はキッチンでコーヒーを淹れ持ってきてくれた。マグカップを受け取り、一口飲むと少し気持ちが落ち着いた。  樹にも持っていくべきだろうか、優志がそれを口にするより早く美月は席を立ち樹の書斎へ入っていった。  ……そうだよな、応援に来たって言ってたもんな……。  暫く待っていると、ドアの開く音が聞こえリビングに美月が戻ってきた。一人の所を見ると、樹はまだ書斎で格闘中らしい。 「お兄ちゃんちょっと寝るって言ってた……ごめんね、来て貰ったのに」 「ううん、平気、ゆっくり休んで頑張ってもらわなきゃね」 「うん、そうだね」  暫し沈黙が落ちる。優志はもしかしたら自分は帰った方がいいのではなないだろうか、と考え始めた。  コーヒーを飲み終わったら帰ろうか……樹が起きたとしてもまだ仕事は終わらないだろうし。  優志が考えに浸っていると美月が唐突に質問してきた。 「ねぇ……優志君、好きな人いる?」 「……え?」  思いもかけない質問に優志は固まってしまった。答えない優志を見つめ、美月はまた質問を重ねた。 「恋人、いるの……?」 「い、いない……けど……」  どうしたんだろう、何故そんな事を聞いてくるのだろう?  優志は訳が分からなくて、だけど美月の真剣な表情にこれは冗談などではないという事だけは分かった。だからこそ、その真意が分からなかった。 「……ダーツが恋愛禁止なのは知ってる?」 「うん……」 「……でもね、こっそり恋人がいる子とかいないでもないんだ……幼馴染の彼氏がいる子とかね……ちょっと、そういうの羨ましいなって思う」 「……美月ちゃん……」 「優志君は……俳優辞めたいって思った事ある?」  その質問に優志はぎくりと身を凍らせた。  辞めたい、ではなく、優志の場合、辞めよう、ではあるが今まで何度も自問してきた事だ。  だけど、辞めよう、辞めた方がいいんじゃないだろうか、と思いつめる度に、辞めたくない、まだ続けたい、そう思ってここまでやってきた。 「辞めたいって思った事はないよ」  そこで言葉を切り、続ける。 「だけど、辞めようって……辞めた方がいいんじゃないかって思った事は何度もあるよ」 「……そっか……」 「美月ちゃん、この仕事好き?」 「……」 「オレはね、好きだよ、仕事あんまなくてバイトしながら生活していた時でも、この仕事続けたい、好きだから続けたいって思ってた、才能なくても、売れなくても、それでも続けたいって……思ってた、ううん、今も思ってる」 「……そっか……私は……分かんなくなってきたの……すき、だとは思うけど……いつまでこのままなのかなって……たまに思うの……本当にこれでいいのかなって……普通の女の子みたいになりたいなって、最近すごく思う……」 「……普通の女の子?」 「そう、ふつーに、友達と遊んだり、恋バナしたり……まぁ、あとは買い物とかももっと堂々としたいし……行きたい所も制限なく行きたいし……なんか、疲れちゃったのかも……」 「……美月ちゃん、忙しいもんね……」 「ちょっと、疲れたのかな……」  今日も夕方からテレビの収録がある、美月はそう言っていた。忙しいなんて羨ましい、そうは思うが売れて忙しいというのもそれ相応の悩みが出てくるのかもしれない。  だが美月の悩みが優志には何となくしか理解出来ないので、解決の糸口が見つけられる筈もない。  重苦しい沈黙を消し去るように、美月は明るい声を出した。 「ごめんね、なんか湿っぽくなっちゃったね、そうだ、凱旋まであと少しだね」 「……オレね」  美月の言葉を遮るように、優志は言葉を重ねた。 「まだ、夢叶ってないから……大きな舞台に立ちたいってずっと思ってた、アクターズに出て舞台に立てて……でもまだまだ、もっともっと沢山の舞台に立ちたいって思ってる……だから……きっとオレ辞めれないと思う、今は……何があっても辞めたくない」 「……そっか……夢、か……」 「うん」 「ありがとう、私も、夢……叶えたいな……」 「美月ちゃんの夢って……?」 「えへへ、内緒」  そう言って笑った美月はどこか吹っ切れたような清々しい顔をしていたから、それ以上何かを聞くことは出来なかった。  東京凱旋が始まった日、守川美月がダーツを卒業するというニュースが流れた。その日のルネス中野での公演で美月が発表したらしい。  公演の後正式に記者会見があり、春のコンサートツアーを最後にダーツを卒業すると言った美月は薄っすらと涙を湛えていたが、すっきりとした晴れやかな笑顔を浮かべていた。  その笑顔を見て優志は美月が夢を叶えたいと言った時の顔を思い浮かべた。そしてこれは美月にとっての最良の選択だったのだ、そう心から思えた。

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