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第65話
美月からメールが届いたのは樹の部屋へ行った翌日だった。
昨日は一晩中泣いて、知らない内に寝てしまったようで、気付いたら朝になっていた。幸い予定はなかったので、部屋の掃除をしたり近所のスーパーと薬局へ買出しに行ったりして一日を潰した。
もう考えないようにしなければ、そう思っても直ぐに忘れられる筈もなく、ふとした瞬間に樹の顔を思い出し、その度に涙腺が緩みそうになった。昨日あれだけ泣いたのに、涙が枯れる事はなかった。
夜になり、簡単な夕飯を作り見るともなしにテレビを見ていた時だった。メールを受信したスマートフォンが小さく震えた。
件名には「ラストコンサート」とある、メールは美月からのものだった。
「こんばんは、優志君元気?」
そんな文章で始まったメール。ダーツとして残り少なくなってきた美月は忙しい毎日を送っているようだ。
近況が綴られ、メールの最後にはダーツのコンサートを観に来てくれないか、そう書かれていた。
「……コンサートか……」
そのコンサートは美月がダーツとしての最後の活動になるという、そのコンサートへの招待。
アクターズの時のお礼、そう書かれていたが果たして自分が行ってもいいのだろうか。そうは思ったが、美月の最後のステージ、友達としてその姿を見たいという気持ちの方が強く、優志は都合を着けて観に行くと返信を書いた。
コンサートは4月の一週目の週末。3月から始まったコンサートツアー、今は大阪に滞在しているらしい。週末毎に場所を変え最後に東京で千秋楽を迎えるそうだ。
そんな大事なコンサート……きっと、樹も行くのだろう。相当な人数だろうから会ったりはしないと思うけれど……自分が行く事を知ったら不愉快な思いをさせてしまわないだろうか……。
「でも、会わないよね、きっと……」
例え姿を見つけても話掛けたりしないから、だからコンサートへ行く事は許して欲しい。
樹には言える訳ないが、優志は乞うように美月からのメールを見つめた。
***
アクターズに出演してから優志の生活は変わった。
少しづつだが雑誌の取材なども増え、仕事も今までより入ってくるようになった。ゴールデンタイムの連続ドラマなどの大きな仕事はまだないが、それでも深夜枠のドラマにレギュラー出演が決まったり、夏にはまた舞台へ立てる事にもなった。
3月下旬には事務所でささやかながらも誕生日会を開いて貰い、マネージャーの岩根を始め社員や幸介など先輩俳優から祝いの品々まで貰った。
その後アクターズの公演中から仲良くしていたキャスト達も誕生日を祝ってくれた。
その中には永治もいて、優志は永治がダーツファンだという事を思い出し、コンサートへ一緒に行かないか誘ってみた。
チケットは二枚用意してくれる、そうメールを貰い優志は誰を誘えばいいのか迷っていたのだ。
「本当にいいのか?!」
「うん、行ってくれるとオレも助かるんだけど……」
「マジか!千秋楽争奪戦過ぎてやばかったんや、オレの方が助かるわ!」
永治は見た事のない程のハイテンションで喜んでくれた。コンサートは2日間四公演あり、1日目は二公演とも取れたが楽日は取れなかったらしくとてつもなく感謝された。
ダーツのコンサートは初めて、と言うと勉強してこいと言われ、CDとDVD数枚を無理矢理押し付けられた。
4月に入り遅かった桜の蕾が漸く綻んできた。丸く色付いている蕾を見ながら満開の頃の様子を思い浮かべる。見頃は週末、それはダーツのコンサートと重なる。満開の桜に見送られ美月は卒業していくのだ。
惜しまれる声の多い中、卒業を決め、その後の芸能活動もほぼ休止状態になるという。ほぼ休止というのは引退はしないが、事務所は辞めるとの事だからだ。
事務所を移り活動を再開するのでは、そんな噂がネットなどには流れているが本人は何も語ろうとしない。当面はお休みを頂きます、そうコメントしただけだった。
だから美月の最後の姿を見ようと、今回のコンサートは即日完売、転売されたチケットは定価の十倍近い値がついたという。
永治から借りたDVDを見ながら、これが最後というステージはどんな気持ちなのだろうと優志は思いを馳せた。
週末は神様が味方してくれたような晴天に恵まれ、両日共コンサート会場付近は大勢のダーツファンで溢れた。チケットはないが、美月の最後のコンサートを少しでも身近で感じたいというファン達が押しかけていたからだ。
土日共に11時と18時からコンサートは開始になる。約一時間前に待ち合わせをした優志はそのあまりの人の多さに、ダーツの、そして美月の人気の凄さを改めて知った。
「グッズとかは大丈夫なの?」
「あぁ、もう昨日買うてるからな」
「そっか……」
グッズ列が延々と伸び、一時間前の待ち合わせでは到底入手出来ないだろうと列を見ながら思った。永治は昨日買ったというグッズをあれこれ持ってきているようで、いちいち説明してくれる。
その喜々とした表情を見て、樹と話が合いそうだ……と何となく思った。
思い出したくないのに、やはり思い出してしまう。きっとこの会場のどこかに樹もいるのだ。
思いつめた優志に、永治が頷きかける。
「分かるで、美月ちゃん最後のコンサートやもんな、何や緊張するっちゅーか、これでホンマ最後やと思うともう、何や訳わかんない位切ない気持ちにもなるし……泣きたくなってくるわ」
「……うん……そうだね……」
別にそれが理由でしんみりとしていた訳ではなかったが、勘違いしたままにしておこうと思い敢えて否定はしなかった。
入場列に並び、会場の中に入る。通路を歩きながら、まだホールに入ってもいないのにファンの熱気が伝わってくる。
その熱に当てられたように、ワクワクとした高揚感が芽生え、いつしか優志の中の憂いは消えてなくなっていた。
それがひと時の事でも、今はこの気持ちを、コンサートを思いっきり楽しみたい。流れてくるダーツの曲に乗るように、優志の心も軽くなっていった。
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