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第6話
あれから一週間、樹から貰った連絡先の名刺を見ては電話を掛けようか、メールを打とうか……迷い、何も行動に移せないでいた。
本当はあれで終わらせた方がいいと、頭では分かっている。会ってどうすると言うのだ、また抱かれたいのか、そもそもあれは酒が入っていたからこそ関係してしまっただけの事。
「素面で会おう」その言葉を信じていいのか分からないけれど、また会いたいという気持ちは優志の中で日に日に大きくなっていった。この惹かれる気持ちだけは無かった事にしたくない。
実際に会ったのは二週間後、小説誌に樹の短編が掲載された翌日に連絡を試みた。電話だ。
戸惑いを含んだ声は二人共で、だけど樹は会う事を了承してくれた。最初は外で食事をして、次は部屋に行って。何だか距離を計るように、徐々に二人の隙間は埋まっていく。
でも、それは恋人でも友達でもない関係。体を重ねるのに、左程時間は掛からず抱かれてしまえば、もう清い関係に戻るのは無理だった。元々清いなんて縁遠い関係から始まっているのだ、多分二人の関係に名前を付けるとしたらセフレが丁度いいのだろう。
割り切って、樹の元へと優志は通う、その度に胸の中には消えない小さな傷が付いて行った。
***
「差し入れで貰ったから取りにおいで」
メールを貰い、梅雨が明けそうで明けない7月下旬曇天の午後、樹の部屋を訪れた。
出会ったのは春、季節は夏に移り変わろうとしていた。
「おじゃまします」
「外、蒸してるだろ、麦茶入れるよ」
「……ありがとう」
始めの頃は敬語を使っていたが3ヶ月経った今は最初の頃の他所々しさは消えていた。
リビングに通されると、エアコンの涼しい風が優志を撫でてくれた。待つでもなく直ぐに樹は麦茶の入ったグラスを2つ持ち戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがと……」
半分程を一気に飲み、一息付く。今日は曇りではあったが湿度も気温も高く蒸し暑い。この部屋にいると、そんな事を忘れてしまいそうだが。
「箱で貰ってな……一人じゃ食いきれないんだ、知り合いにもあげたんだがまだなぁ……」
そして、3ヶ月経ち分かった事と言えば。
「美月も丁度今遠征で地方回ってるしな……」
「……行かないの?」
「行きたかったんだけどな……九州だったしな……あと締め切りの都合もな……」
「そっか……」
美月というのは樹の実妹で、今大人気の女子アイドルグループ『ダーツ』のメンバーでもある。元々樹はアイドル好きを公言している、それは雑誌のインタビューで読んだ事があった。
でも、これ程までアイドルおたくだとは思ってもみなかった。
そして、極度のシスコン。そりゃね、あれだけ可愛い妹がいれば溺愛するのも分かる。でもそれも度が過ぎれば引いてしまう……いくら樹に好意を抱いていてもだ。
当の美月といえば慣れているのか、そんな兄の溺愛に辟易しながらも適当にあしらっている節がある。それはそれで樹が不憫にも思うが本人は幸せそうなので考えるのは止そう。
「好きなだけいいぞ、結構食べたし」
ソファーの前のローテーブルの上には、メールで言っていた貰い物の桃が乗っていた。白い網目の保護カバーに包まれた、きれいなピンク色の桃が四個、甘い芳香を放っている。
「ビニール袋どこかにあったかな」
「あ、オレ、あるよ……」
「そうか?」
持ってきていたトートバッグの中には折り畳んだエコバッグ、念の為持ってきて正解だ。
手を伸ばし桃を二個貰う。ありがとうと言おうとすると、もういいのか?と問われた。
もう一つ貰ってちゃんと食べきれるだろうか、帰ったら直ぐに食べようと思いながらエコバッグに仕舞うと、また声が掛かる。
「……それは全部優志の分だ……」
「え?!」
「食えるだろ?」
「……ありがとう……半分は事務所に持っていくね」
「そうしてくれ……あ、今食べるか?冷蔵庫に入っているんだ」
「そうなの?……オレ切ってくるね」
「いいか?悪いな」
「ううん、美味しそう」
リビングの隣のキッチンには単身者向けの小振りの冷蔵庫がある。それを開ければ桃が一つ、それ以外には卵と缶ビール三本、ドレッシング類。もしかしたら冷凍庫に色々食材が入っているかも知れないがスカスカだ。
樹の部屋はリビングダイニングとキッチン、それに執筆用の部屋と寝室。どの部屋も優志のワンルームよりも広い。この部屋で会った事があるのはまだ美月だけ。
テレビでは何度も見た事があったけれど、全然違う。本物は芸能人オーラがあり、すらりと長い手足と小さな顔、そしてその笑顔は誰もが虜になりそうな可愛さがあった。幸いというか、優志は異性に興味がないので会った事に対して淡白ではあったが、普通の男であれば間近で見るアイドルに驚愕し歓喜するのだろう。
優志だったから、優志がゲイだったから樹は美月を紹介したのかもしれない、今はそんな風に思う。
桃の皮を剥き、一口大に切り分け皿に乗せてリビングへ戻るとテレビが付いていた。
「美月ちゃんのCMだね」
「あぁ、キャンペーンやってるからかな、品薄なんだよな」
「へぇ……」
ダーツのメンバーが出演している炭酸飲料のCMが終わると午後の主婦向けの情報番組が始まった。
「ありがとな」
「あ、フォーク!持ってくるね」
「あぁ」
キッチンへ取って返し、引き出しから小振りのフォークを見つけ出す。リビングへ行くと樹の視線は優志に移った、別にテレビを見たい訳では無さそうだ。なんとなく付けただけだろう、よくある。
ソファーに座る樹の隣、距離を少し開け座る。
「はい、どうぞ」
「何か催促したみたいで悪かったな」
「そんな事ないよ、いただきます……」
「召し上がれ」
熟れた桃を口の中に入れると、幸せな甘味が広がった。冷たく冷やされた瑞々しい果肉に思わず笑みが溢れる。
「甘くて美味しい……」
「沢山食べていいぞ」
「……うん」
久しぶりに食べる桃の味に夢中になり、皿の半分位を平らげてしまった。フォークから伝い手の中に果汁が零れてきている。
行儀が悪いと思ったがぺろりと舐めれば甘い、視線に気付き横を見れば樹が苦笑いをしていた。
「……」
恥ずかしい。ティッシュペーパーで拭えばよかったと後悔しても遅かった。
そのまま食べ進めようかどうしようか、いや、食べ過ぎではないか?などと思っていると、隣から伸びてきた手に腕を掴まれた。
「い、樹さん?!」
驚いたまま固まっていると、樹の顔が近付きフォークを持っている指先を舐められた。
「!!」
「……甘いな」
にやりと笑われ、尚も固まったまま動けないでいると、樹はそのまま指と手の平と舐め手首へと舌が降りて行った。
「いつき、さん……!」
「……優志」
掴まれていた腕を強く引かれ、体が樹の方へ傾く。体が密着し、これから何をされるのか今までの関係を振り返れば分かったが、優志は拒むように首を小さく振った。
「……優志……?」
「……お、オレ……」
樹と目が合い、掴まれていた腕から熱が離れる。違う、そうじゃなくて。そう言いたくて、でも期待している事を悟られるのも恥ずかしくて。
「……汗、くさくない……?」
「……え?」
「外……今日、暑かったから汗掻いてて……だから……」
「……なんだ、そんな事か……」
樹はどこかほっとした表情で言ってから、腕を伸ばし優志を抱きしめてきた。
「樹さん?!」
この人は自分の話を聞いていたのだろか?そんな疑問が浮かんだ優志の耳元に低音が届く。
「別に気にならないけど……お前が気にするって言うなら、一緒にシャワー浴びるか?」
「……え……」
「入るだろ……?」
優志に拒否権などなかった。
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