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第51話

「お疲れ、何か疲れた顔してんな」 「おはようございます、幸介さん」  背後から声を掛けられ振り向くと、幸介が上着を脱ぎながら事務所の中に入ってきた。  今日はアクターズの稽古が終わると、次の仕事の打ち合わせがあるからと言われ優志は所属事務所へやってきていた。 「アクターズの稽古始まったんだよな」 「はい、丁度一週間かな……」 「オレも観に行くつもりだから」 「ホントですか?!」 「あぁ、頑張れよ」 「はい」 「そうだ、優志」 「はい?」  いつになく真剣な顔で見つめられ優志は一瞬固まってしまった。座ったままだったので、立っている幸介が優志を見下ろす形での対峙だった。 「お前今日この後時間あるのか?」 「……はい……今日はこれで帰れますけど……」 「そっか、じゃあちょっと待っててくれ、飯食って帰ろう」 「はい」  幸介はそのまま別の部屋にいるマネージャーの所へ行った。飯の誘いにしては真剣な顔が気になったが、優志はその背中を見送りながら残り少なくなったコーヒーを一気に飲み干した。  打ち合わせが終わった二人はそのまま電車に乗り、幸介の部屋に向かった。夕飯は駅前でラーメンを食べた。  部屋に入るまではいつもと変わった様子を見せなかった幸介だったが、二人きりになると事務所で見せたような真剣な表情を優志に見せた。 「ウーロン茶でいいな?」 「はい……」  何か話があるのだろう、普段見せないような表情の幸介に何となく落ち着かない。だが、自分から聞き出そうとはせず、優志は黙ったまま幸介からウーロン茶の入ったグラスを受け取った。  取り留めのない話をしているうちに、優志の緊張はすっかり解けてしまった。  特に話などなかったのだろうか、そう思っていた所に幸介は本題を切り出してきた。 「優志、前に言ってた男とは別れたのか?」 「……え?」 「別れてないのか?」 「……別れるもなにも……」  樹とは付き合っていない……。だが、そんな事が言える訳もなく、優志は唇を結んだまま俯いた。  その態度を幸介はどう受け止めたのか、優志の耳に溜息が届いた。恐る恐る顔を上げてみれば、どこか困ったような幸介の顔。 「……幸介さん……」 「遊びなんだろ、相手は……だったら、別れてくれって言えば別れられるだろ?」 「……だ、だめなんですか……?このままじゃ……女の子じゃないし……付き合ってる訳でもないから……」 「優志」 「事務所に迷惑かけたりしません……このままじゃ……だめですか?オレ……」  樹との関係がマスコミにでも発覚すればスキャンダルとして扱われるのは目に見えている。それは事務所に迷惑をかける事に他ならない。  それは分かっているが、それでも別れる事が正しいとは思えなかった。  そもそも付き合ってなどいないのだ、別れるも何もない。  多分樹に関係を終わりにしたいと言えば受け入れてくれるだろう、でも、それでは自分のこの気持ちはどうしたらいいのだろう。幸介の心配も分かるけれど、それでも素直に別れるとは言えなかった。 「本気なのか?」 「……本気です……」 「じゃあ、仕事とその男とどっちが大事なんだ?」 「……え……?」 「今スキャンダルなんて起こしたら事務所から見捨てられるぞ」  「……それは……」 「そりゃな、まだ知名度は低いかもしれないけど、だけどお前はこれから伸びるよ、これから売れていったらどうだ?前にも言ったけどゲイだって事が悪い事じゃない、だけど、売れ出した時にそれがばれたら絶対マイナスになる」 「そうかもしれないけど……」 「相手は?」 「……相手……言えません……」 「分かった、もう一度聞く、仕事と男とどっちが大事なんだ?」  理不尽な質問だ、そんなの比べられる訳がない。どちらも大事で、かけがえのないものだ。  きっと幸介だってそれは分かって言っているのだろう。分かって聞いているのだ。それは選べと言っているのではない、覚悟を聞かれているのだ。 「どっちも、大事です……」 「……だったら、万が一その男のせいで、お前がこの先仕事がなくなっても、お前は後悔しないか?」 「……そんな事……」 「お前が売れ出して、その男との事が週刊誌にでもすっぱ抜かれて……その時お前はどうする?相手はどうだろうな、多分否定するだろうな、どんな奴か知らないけどゲイだって事は隠したい奴の方が多いだろうからな」 「……週刊誌……」  例えばの話、もし自分と樹の関係が週刊誌にでも載れば……もしかしなくても、優志よりも樹の方がダメージが大きいのではないだろうか。  作家のスキャンダルなど週刊誌が追うかは分からないけれど、だけど樹はダーツの守川美月の兄という顔もある……。  知名度で言えば断然優志より樹の方が上だ。樹の執筆活動の妨げになったら……もし、自分のせいで樹の仕事に影響が出てしまったら……。  どうして今まで考えつかなかったのだろう。  青ざめた優志の態度を勘違いしたのか、幸介は殊更優しい声で諭すように言った。 「分かっただろ?男とは別れた方がいいって事が」 「……はい……オレ……全然考えてなかった……迷惑、掛けちゃうんだって事、分かってなかった……」 「言い出せないならオレも付いていってやろうか?揉めると大変だぜ、ばらすとかって脅されたりでもしたら事だからな」 「樹さんはそんな事しない……!」 「……樹さん?」  幸介が訝しげに問い返す。 「い、いえ、違います……!」  そのまま話題を逸らせようと思ったが、幸介は何か思い当たったようで、急に大声を上げた。 「お前、まさか……!!!」  その声に吃驚して思わずびくりと肩を揺らす。その動揺に幸介がたじろぐ。 「……相手……まさか、守川樹とか言わないよな……」 「ち、違う……違います……」 「……おいおい、どうしてそうなってんだよ……まずいだろ、そりゃ……」  否定したのに、聞き入れて貰えなかったようだ。幸介は頭痛を我慢するように額に手を当て天井を仰いだ。 「違います、幸介さん」 「お前の知り合いで樹、っていえば守川樹位しかいないだろ、それに、まぁ、ばれたら迷惑掛けるだろうしな……つうか、どっちかっていうと守川樹のダメージの方が大きそうだよな……」 「……」  樹と知りいだという事は幸介には以前話した事がある。樹の著書を幸介に貸した事があり、その時に話したのだ。  だがまさかそんな知り合いだとは夢にも思っていなかったようだ。幸介はぶつぶつと何事か呟いている。 「……あの守川樹と……作家とのスキャンダルってどうなんだ……?あ、でも妹はアイドルだったよな、ダーツの……いや、でもなぁ……やっぱりまずいだろ……」 「とにかく、別れられないです……オレ……」 「……付き合ってんのか?」 「……違いますけど……でも……オレ、今はまだ樹さんの側にいたい……まだ、あと少しだけ……ちゃんと、樹さんに告白したら……そしたら別れます」 「告白して別れる?」 「……だって、きっと好きだなんて言ったら迷惑に思われるから……言ったら終わると思うから、だから……別れる前にちゃんと気持ちを伝えたい」 「……はぁ、まぁいい……あと少しって言ったな、向こうもお前との付き合いがばれるのは望んじゃいないだろうしな、揉める事もないだろう」 「うん……」 「……いつからなんだ?」 「……1年半前位から……」 「そっか………まぁ、別れたら慰めてやるよ、心もからだもな」 「……大丈夫です……」 「はは、冗談だよ……」  あまり冗談には聞こえなかった。だが、幸介はもう本題は終わったようなすっきりした顔をしている。  納得してくれた、という事だろうか。別れると言った優志の言葉を信じてくれたという事だろうか。  告白して終わる、それはきっと直ぐ近くの未来。切欠さえ何かあれば、きっと直ぐにでも終わる……そんな脆い関係なのだ。  アクターズが終わるまでこの関係がもってくれればいい。離れてもモチベーションを保てる程まだ自分は強くないから。  だから、アクターズが終わってから言おう……。  好きだと告げ、そして樹の前から姿を消そう……きっとそれが最良の選択。

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