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第61話

「これからですか?」 「そうよ、直に事務所に来て、話があるから」 「はぁ……分かりました」  アクターズ千秋楽から一週間が過ぎた。二日間のオフの後、取材があったり、ロケがあったりと幾つかの仕事をこなし、その間アクターズで仲良くなった役者の部屋へ泊まりに行き遊んだりと日々は充実していた。  今日はダンスレッスンが終われば帰宅してもいい筈だった。だが、レッスン終了後になりマネージャーの岩根から呼び出しを受けた。  いつになく厳しい口調だったのを思い出し、優志は重い気分で事務所へ向かった。  何かやらかしてしまったのだろうか……思い当たる節はないが、決まっていた仕事がキャンセルになったとか……そういう類の話だろうか。何だか良い話ではない気がする。  事務所では何故か社長室へ通された。社長室と言っても事務所自体がマンションの一室なのでパーテーションで仕切っただけの簡易なものなのだが。  既に岩根と社長がソファーへ座って優志を待っていた。優志は緊張しながら、空いていた岩根の隣に座った。 「優志、貴方、守川美月と親しいの?」 「え……?」 「どうなの?」  厳しい口調と同様のキツイ眼差しで岩根が詰問してくる。社長も同様に難しい顔をしていた。元モデルだった社長は優しげな風貌で、いつも怒ったりする事はないが今日は見た事もないような険しい顔をしている。  二人の只ならぬ雰囲気に気圧され、気弱な面が覗く。優志は質問の意味が分からなかったが、とりあえず正直に答えた。 「……えっと……親しい、のかな……?友達ですけど……」 「……友達?付き合ってる訳じゃないのね?」 「まさか、付き合う訳ないじゃないですか!相手はダーツですよ!」 「……そうよね……」 「あの……」  優志が言うよりも早く社長がテーブルの上に置かれていた茶封筒から一枚の写真を取り出した。 「これに見覚えはあるかな?」 「……え……?」 「いつ、撮られたか覚えはある?」 「……これ……」  その写真には美月と優志が二人で写っていた。隠し撮りされたようで二人の顔はカメラには向かっていない、だけどそれがどこだか優志には見当がついた。  時間は深夜だろう、歓楽街のネオンが背景に写りこんでいる。それはアクターズのニ次会会場近くで美月から花束を受け取った時の事だ。 「優志、どうなんだい?」  いつもは優しい社長だが、今この時ばかりは表情を固くし優志を真っ直ぐに見つめた。その眼は偽りを見逃さないような厳しさが宿っていた。 「覚えはありますけど……でも……会ったっていってもほんの数分の事でした……アクターズの二次会の前に少し会っただけなんで……」  「そう……じゃあ、付き合っているとかじゃあないのね?」 「はい、違います」 「嘘じゃないわね?」 「はい、本当です、付き合ってなんかいません」  優志の毅然とした態度に、二人は幾分表情を和らげた。  だが、この写真がどうしてここにあるのだろう。そしてどうしてこんな写真撮られたのだろう……。優志の疑問が伝わったのか岩根が説明してくれた。 「……週刊誌に売り込みがあったんですって……」 「え……?!」 「だけどね、記事にされる前に抑える事が出来たの……貴方のお父様のおかげでね」 「……父の……?」 「そうだ、詳しい経緯は分からないのだけれど、さっきこの写真と一緒にお兄さんが代理で来てくれてね……こんな記事が出る位なら事務所を辞めさせると言って来たよ……」 「そんな……」 「とにかく問題にはならずに済んでよかったよ、こちらとしてもこんな記事が発表になったら困るからね……」  守川美月が卒業を前にスキャンダルなんて事になったら……うちみたいなちっぽけな事務所、ダーツを抱える大手事務所から睨まれれば一溜りもない。  明らかに安堵している様子の二人を見て、優志は複雑な気持ちになった。  申し訳ないのと、そしてこれが美月ではなく、樹だったとしたら……どうなのだろう、そう考えてしまったからだ。 「一度優志と話がしたいって言ってたから……お兄さんから連絡があると思うわ」 「分かりました……こっちからしてみます……」 「今後は気をつけてね、守川美月と親しいのは分かったわ、だけど二人きりで会ったりするのは止めてね」 「分かりました……気を付けます」  神妙な顔で頷くと二人は納得してくれたようで、話はそれで終わった。だが、これからの事を考えると胃が痛くなる。  帰っていいと言われると、優志は電車に乗り自室がある駅ではなく実家のある駅へと向かった。 ***  電車の中で父と兄に帰る旨をメールしたが、まだ夕方の18時を回ったところなので実家には誰も居なかった。  出来れば終電までには帰りたかったが、最悪泊まっていく事も考えた方がいいだろう。  二人はきっと怒っているのだろう。まさか辞めさせられはしないと思うが、小言と嫌味は覚悟しなければならない。  それを考えると頭が痛いが、聞くだけ聞いたらさっさと帰ってしまえばいい。  リビングが暖房で暖まる頃には優志の気分も幾分落ち着いてきた。考え過ぎない方がいい、とりあえず未然に防いでくれた事の感謝だけは言わないといけないだろう。それだけ言えばあとは何を言われても聞き流せばいい。  テレビを見ていると玄関の方から物音が聞こえてきた。誰かが帰ってきたようだ。  待っていると、リビングのドアが開き兄が顔を覗かせた。 「優志、お前夕飯は?」 「まだ……」 「父さんが寿司買ってくるって言ってた、もう直ぐ来るから待ってろ」 「うん……」  着替えてくると言って兄はドアを閉めて行ってしまった。  優志はテレビを消し、キッチンに立ち電気ポットへ水を入れ湯を沸かした。お茶の用意をしていると、ラフな格好に着替えた兄がリビングへとやってきた。 「お茶飲む?」 「あぁ、頼む」  キッチンとリビングに仕切りはないので、ソファーへ座った兄の後姿がキッチンの優志から見える。  二人分のお茶を淹れ、リビングへ引き返す。兄の前にお茶を置き、自分もソファーへ座る。 「あの……えっと、ありがとう……」 「礼は父さんに言ってくれ、オレは何もしてない」 「……うん……父さんの所に持ち込みがあったの?」  父も兄も大手出版社に努めている、父は週刊雑誌の編集者をしているので、それで未然に防げたのだと思っていた。 「いや、そうじゃないんだ……持ち込まれる前に写真は処分された」 「……どういう事……?父さんのお陰で記事にならずに済んだって……聞いたけど……」 「あぁ……父さんのお陰、というのもあるけれどな……父さんともう一人、お前は礼を言わなきゃいけない人がいる」 「……もう一人?」 「守川樹先生だ」  思いがけない名前に優志は息を飲み、身体を固めた。どうして樹がここで出てくるのか分からず、混乱してしまったが兄はそれ以上の事は語ろうとしなかった。  経緯は父から聞け、という事のようだ。  混沌とした気持ちを抱え、優志は父の帰りを待った。

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