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Ⅰ. パンドラの箱にいたのは、無邪気な少年
開けてはいけません、って言われているものほど開けたくなるのって、なんだろうね?
鶴の恩返しや、パンドラの話で散々学んでいそうなもんなのに、人間はまったくもって学ばないッスねぇ。
……なんて、偉そうに小難しい事を考えながらも、オレは、「開けてはいけません」と散々言われていた部屋の扉を思いきり開け放った。
さてさて、この家の旦那サマや奥サマは一体何を隠しているんスかねぇ。本当にヤバイものは却って「開けてはいけません」なんて念押しをせずに、放っておくものだろうから、見たら殺されるようなものじゃないと思うッスけど。
使用人たちがいないのを十分確認してから思い切って封印された扉を開けてみれば、そこには横領の証拠も、隠し財産も、ヤバめのお薬も、なんにもなかった。
極々普通の……って言い方は、オレみたいなド平民には出来ないッスけど、少なくともこのお屋敷では極々普通の、なんの変哲もない部屋だった。
でも扉を開け放ったきり、オレがぴくりとも動けなくなったのは、その部屋にいた子に見惚 れたから。
こんな状況で一目ぼれ、って、あまりにもありきたり過ぎて自分でも呆れるけれど、椅子に座ってこっちをじっと見つめる小柄な少年があまりにも綺麗で、オレは目を離せずにいた。
じっとオレの方を見ていた少年は、読んでいた本をテーブルに置いてから、こてん、と首を傾げる。
「その扉って、開くんだね。……キミは誰?」
いや、扉は開くものだと思うんスけど。その言葉をオレは辛うじて飲み込む。
このお屋敷にバイトとして雇われてからずっと、他の使用人にも、旦那サマや奥サマにも、再三「開けるな」と言われていた扉だ。
それがバイトで平民のオレに限っての言いつけでないのなら、この子が扉を開くところを見ていなくても頷ける。……頷けるッスけど、これって監禁なんじゃないッスか? それともよっぽど体が弱くて隔離されているとか?
そうだとしたらオレ、正にパンドラの箱を開いちゃったりしてないッスよね? 空気感染するような重病患者サンだったら大変だ。
「……あれ? オレの言葉遣いって、なにかおかしい? 間違えたかな……」
「あ、いや、問題ないッスよ。えっと、オレは夏樹 っていって、このお屋敷で使用人のバイトをしてるんスけど、キミは?」
オレが黙り込んだ事で不安そうにしていた部屋の住人のために、慌てて言葉を紡ぐ。誰かと話したこともないんスかね? まさか旦那サマか奥サマが不貞を働いて出来た子供? ……それにしては身なりが良過ぎる気もするッスけど。
難病の可能性も薄そうだ。部屋の中に薬の類は見当たらないし。
「オレは梓紗 。この家の長男だよ。父様や母様と会ったことはないけど、扉越しにそんな話をしたから、間違いないと思う」
失礼な想像を巡らせていたオレに、部屋の住人サンこと梓紗サマが告げた言葉は、それなりに衝撃的だった。
旦那サマたちと会ったことがない? 話も扉越しにするだけ?
不貞の子がこれに似た扱いを受けていたのをオレは前のバイト先 で見たけど、奥サマの方はその子をナイモノと扱っていたし、旦那サマも決してこんな高級品を与えはしなかった。
でも、ちゃんとした後継者なら、なんでこんな、隔離する真似なんてしてるんスかね?
このお屋敷の事が分からなくなって首を傾げるオレには構わず、梓紗サマは大きな瞳をきらきらと輝かせて、オレに向けて手招きを1つ。
「良かったら入ってきてくれないかな? オレ、誰かと顔をあわせて話をするの、初めてなんだ」
今なら引き返せるッスよね、多分。
なにも見なかったフリをして、なにも知らないフリで適当にバイトして、適当に辞めれば良い。だって御子息サマを隠しているなんて、あまりに普通じゃないッスもん。
隠し財産とか、御禁制のオクスリよりヤバイもの見付けちゃったスよ、確実に。
そういうのが分からないほどオレはバカじゃないつもりだけど、オレの足は自然、部屋に向かって踏み出されていた。
そっと扉を閉じて、ピッキングで開けた鍵は、元通り施錠しておいた。
そういうのが分からないほどバカじゃないけど、梓紗サマの笑顔を見て、知らぬフリを出来るほど冷血にもなれなかったから。
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