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Ⅱ. 外の世界をオレに教えて?
「座って座って。えへへ、誰かがここに来てくれるなんて初めてだなぁ。みんな扉の向こうから声を掛けてくるだけだったから」
嬉々として勧められた、明らかに高級そうな椅子にオレは躊躇いながらも腰を下ろす。磨くことは度々あったけど、座ることになるとは夢にも思わなかったッスわ。
座り心地は良いんだけど、平民のオレには不釣り合いだし、万が一に壊してしまったらっていうのが心配で、今一落ち着かない。もちろん、原因は椅子だけじゃないんだろうけど。
幸い旦那サマも奥サマも留守だけど、他の使用人連中はいるし、バレる前にとっととこの部屋をあとにするべきだ。分かっている。分かっているけれど、にこにこと嬉しそうな梓紗 サマを前に、「それじゃあ」なんて言って離席はできない。
バレたことは後で考えよう。オレは膝の上でそっと拳を作って、取り敢えずクビになる覚悟はしておいた。
「ごめんね、お客様にはお茶やお菓子をお出しするものだって本で読んだけど、オレは外に出たらいけないんだって、父様と母様に言われてるの」
「いや、気にしなくて良いッスよ」
ただでさえ雇い主の暗部に触れてしまっているのに、その御子息サマに茶を頂けるほど、オレの肝は据わってない。
首を横に振って、気にしなくて良いという言葉の通り微笑めば、下がっていた眉がまた元の位置に戻って、きらきらとした笑顔になる。
なんか、凄い子だ。
整った顔には無邪気な表情しか浮かんでいなくて、ずっと外に出てはいけないと厳命されているなら、多少捻くれたところや鬱屈としたところがあってもおかしくないのに、梓紗サマにはそれがない。オレと向かい合って座って、足をパタパタと動かしながら、自分が奏でる鼻歌にあわせてリズミカルに頭を左右に揺らしている。楽しくてたまらないっていう様子は、演技には見えない。
年齢は多分オレと同じくらいで、10代の半ば。身分関係なくこのくらいの歳にもなれば、多少表情にスレた部分が出てくるのに、梓紗サマの顔といったら、以前働いていたお屋敷の赤子をそのまんま10年分歳を加えたような感じだ。
「ねえ、夏樹 。夏樹は外を知ってるの?」
まじまじと梓紗サマを見ながら考えている内に、鼻歌にも飽きたのか、身を乗り出し、オレに顔を近付けて梓紗サマが弾んだ声で聞いてきた。
……それにしても、近い。
弾んだ声で言葉を口にする度に吐息がオレの前髪を揺らさんばかりの勢いだし、長い睫毛に縁取られた大きな瞳に映った自分の顔さえ見えるくらいだ。ちなみに、あまりの距離の近さに彼の瞳の中のオレはひどく困惑していた。
梓紗サマの方は距離の近さを疑問に思うこともなく、キラキラとした目でオレの方をじっと見つめている。答えなきゃ解放してもらえなさそうッスね。
「まあ、詳しいとは言えないッスけど、それなりには知っているッスよ」
「じゃあ、オレに話して聞かせて? オレ、本でしか外の事を知らないんだ。父様達が必要ないって言うから。オレは外の世界に触れず、綺麗にして、この部屋で座っていれば良いんだって」
……あー、そういうコトッスね。
お屋敷でのバイトを転々としていると、いろんな御家事情が見えてくる。だから、親が子供を閉じ込めている家だって珍しくはなかった。
いろんな理由があって、それはどれも親の身勝手で、オレはそういうのがどうしても耐えられなかった。自分の両親を見ているみたいで。
それで危ない橋を渡ってお屋敷から逃がしたり、主人に進言してクビになってんだから、学習しないな、とは自分でも思ってるんすけど。
結局オレは、こっちをキラキラした目で見つめる梓紗サマに見事に折れて、小さく息を吐いた。梓紗サマは顔を近付けたままだったから、梓紗サマの髪が僅かに揺れる。
「良いッスよ。毎日は難しいかもしれないし、そんなに長い時間お話はできないッスけど、オレの知っている範囲で良いなら、外のお話、梓紗サマに聞かせるッス」
「本当? ありがとう、夏樹! あ、それならオレのこと、敬称を付けて呼ぶのは止めてもらえるかな? そっちの方が呼びやすいだろうし、なんだか親しそうだから!」
「ん、分かったッス、梓紗」
雇い主の御子息を呼び捨てにするなんて、常識的にどうかとは思うッスけど、梓紗サマ、もとい本人がそういうんだから仕方ない。
オレがあっさり了承を返せば、梓紗はまた嬉しそうに笑った。
……思えばこの時からもう、オレは自分の道を踏み外して、破滅の方向に向かっていたのかもしれない。
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