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Ⅴ. 崩壊に向けて歩き出す
くそ。
梓紗 を不安にさせないように、舌打ちは内心でだけ。冷静になれ、よく考えろと言い聞かせても頭の中はぐるぐる思考が空回るばかりで、適切な答えを出してくれない。
結構この歳の若造にしては修羅場ってきたと思っていたッスけど、まだまだだったんスね。今更痛感しても手遅れだけど。
物陰に潜んで梓紗の肩をそっと抱き、足音と人の気配が通り過ぎるのを待つ。
油断なんてしていないつもりだった。
梓紗の部屋に入る時。部屋から出る時。注意は怠っていなかったし、誰かに見られるようなヘマもしていなかった筈。
もしかしたらそれさえ、旦那サマ達の手の中だったかもしれないッスけど。
梓紗をこっそり連れ出して1分と経たずに、オレはお屋敷の使用人に見付かった。
それも普段一緒に仕事をしているような人達じゃない。揃いも揃って黒スーツに、厳つい体型。
「そこの使用人。今直ぐ立ち止まれ」
ドスの効いた声。耳が拾ったカチリという音がなんだったかなんて考えたくもなかった。
お屋敷の人間なら、大切な御子息サマだろう梓紗を危険なメに遭わせないだろう。だから強行は出来る。だけど梓紗が危ないんじゃないか。
このまま立ち止まって謝罪すれば、梓紗はまた、安全な箱庭の中に戻れるかもしれない。太陽も、空も、雪も知らないけれど、梓紗が望むものはほとんど手に入っていたあの小さな国に。
躊躇ったのは一瞬だった。梓紗がオレの手を引いたから。
「オレは夏樹 と一緒に居たいよ。夏樹と雪が見たい。読む事でしか感じられない空は、もう嫌だ! だからオレと一緒に雪を見て。オレと一緒に逃げて!!」
泣きそうな顔でそう言われて、引き返せないくらいには、オレは梓紗が好きになっていた。オレだって梓紗と一緒に居たかった。
それで今、お屋敷の関係者総出で追い掛けられてるってワケなんすけど。
正直逃げ回っているのも限界。相手は銃を持っているみたいだし、何時背後から撃たれても不思議じゃない。一応人の気配は遠ざかっていくけど、安心はできないし。
オレは本当にパンドラの箱を開けていたんすね。それも奥底に希望があるタイプじゃなくて、我慢できずに希望が先に飛び出してきちゃったタイプの。
あの時扉を開けなければ、オレはそれなりにバイトを続けて、普通に生活していただろうけど、後悔はない。
梓紗が笑顔になってくれたんすから、のちに待っている絶望なんて安いもんッスよ。
「そろそろ行こうか」
「うん」
せめて、雪ヶ丘 で雪を見るまでは逃げきらないと。鉛玉ならそのあとで喰らってやるんで、ご容赦願うッスわ。
心の中で、旦那サマと奥サマに願った。けれど、その願いは、
「夏樹!! 危ない!!!」
……通じなかったらしい。
梓紗の体から血が吹き出して、梓紗の体がゆっくりと崩れ落ちて。
「坊ちゃま!!」
狼狽しきった低い声が聞こえたけれど、オレはもう、構ってなんていられなかった。
「梓紗。今、今、お屋敷に連絡を入れて治療を」
屋敷に戻るのは自殺行為だろうけど、撃たれて血を流している梓紗を放っておくなんてできない。
屋敷に連絡を入れようとしたオレの手を、梓紗は弱々しく掴んで阻んだ。オレの手にも梓紗の血が付着する。
「駄目だよ。そんな事したら、夏樹が危なくなっちゃう。それにオレは夏樹と一緒に雪が見たいんだ。ね? オレの事、想ってくれてるなら、雪ヶ丘に、連れて行って?」
「梓紗はちょっとズルいッスね」
「そうだよ。オレは我儘で、見るって決めたものは見たいんだ。チャンスは逃さない主義なの」
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