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第一話

瀬上彰は豊海学園の二年三組に属する一生徒である。  本来は学業に精を出さねばならぬ立場であるし、彼ら生徒を指導するべく給与を受け取っている教師たちも、もし彼が生徒として相応しくない行動を行った場合、注意をしなければいけない立場にある筈だ。 しかし彼は、二時限目に行われている英語の授業を一切聞かず、ハードカバーの本を読んでいる。  タイトルも本文も全て英語である。彼は意訳次第で意味が変わってしまう翻訳版を好かない。周りの女子生徒たちも、そんな彼の様子を熱い視線で見つめていた。 彰の顔立ちは、普通の生徒より優れている。目付きこそ鋭いものの、凛とした表情とサラリと流れる黒の長髪を後頭部でひとまとめにしており、表情がよく見える。であるからして、彼に恋をする女子が多くても不思議では無い。 「では次の英訳を――長谷川」  初老の英語教師は、彼に見向きもしない。まるで彼が存在しないかのように、彰という生徒そのものを無視しているのだ。 ふと。彰は無性に、外の空気を吸いたくなった。なるべく音を立てぬように立ち上がり、教師へ人差し指を見せる。天井に向けて差された指。教師はコクリと頷くと、顎で「早く行け」と指示をする。  教室を出た彰。彼は二階の踊り場に設置された自販機に立ち寄って、紅茶を購入。そのまま屋上へと至る為の階段をゆっくりと歩み、扉を開け放つ。 解放的な空間、透き通るような風の香り。フッと息を吐いた彼は、屋上の扉付近にある梯子を上り、給水塔の上で腰を下ろす。ハードカバーを捲り、続きを読み始める。 瀬上彰には、授業の自由参加が認められている。これは学校長の定めたルールであるからして、教師も口出しは出来ない。中間試験と期末試験さえこなしていれば何も文句を言われないので、彰は授業中であろうとも自由に行動が出来るのだ。 本を読み進める事十五分。授業終了を知らせる鐘が鳴り響いた。彰はパタンと本を閉じ、再び校舎へと戻っていく。昼食を摂る為だ。既にサンドイッチは買ってあるので、教室に戻って取りに行くだけ。こんな事ならば持って来ればよかったと後悔した所で――二階の廊下には珍しい、一年生の生徒が立ち尽くしていた。 「……おいお前」 「あ、先輩。探しましたよ」  白銀の頭髪と幼げな声、そして彰からすれば小さな身体をした少年――折笠幸人。  先日知り合ったばかりの少年だが、彼は鼻から口を覆うマスクをつけており、彰は首を傾げる。 「風邪でも引いたのか」 「むしろ絶好調です」 「じゃああれか、ファッションマスクって奴か」 「顔全体隠したらファッションも何も無いような気がするんですよね、アレ」 「なら何でマスクを付けている」 「ボク鼻が利き過ぎるんで。この下はさらに鼻栓ですよ」  見ますか、とマスクの端を摘んだので、遠慮しとく、とジェスチャーで返した。 「ここ二階だぞ」 「ええ、知っています。流石にボクも階数が分からない程ボーっとしていませんよ」 「お前一年生だろ。二年に何の用だ」 「? 先輩に、会いに来たんです」 「……俺に?」  ハイ、と返事をしながら、幸人は手に持っていた小さなお弁当箱を掲げ「一緒にお昼を食べましょう」と笑った。 「意味が分からん。なぜ俺がお前と昼飯を一緒にしなければならんのか」 「えー、いいじゃないですか。一緒に寝た仲でしょう? 授業をサボって照らされる日光の中、ボクは先輩の身体を求めて眠りについていたんですよ?」 「お前人聞き悪い事言うんじゃねぇよ!?」  幸人の声は高いので、閉鎖的な学校内ではよく通る。今の彼が放った発言を聞いた数名がヒソヒソと何か話す風音だけが聞こえてくる。 「……分かった。ちょっとここで待ってろ。買ってある昼飯を持ってくる」 「やった」  彰は幸人をその場に留めた上で、二年三組の教室へと入る。そして昼食の入った袋を手に取り、教室を出た所で――全力を持って幸人の方面とは逆方向に駆け抜ける。 「ああーっ! 先輩逃げた――ッ!!」  段々と遠ざかっていく幸人の嘆き。しかし彰は久しぶりに感じる優越感と共に校舎を駆け、中庭の庭園へと出た。 庭園は無人。庭園とは言っても長らく整備はされておらず、生徒達からの人気が低いためだ。なので彰は屋上の給水塔に次いでこの場所がお気に入りである。 ベンチの一つに腰かけて、ミックスサンドの封を開ける。レタスサンドを一口食べた上で、彰はホッと息をついた。 「先輩」  ビクリと体が震えた。恐る恐る振り返ると、ムスッと頬を膨らませている幸人の姿がそこにあった。ちなみにマスクは既に外している。 「……お前、何でここが」 「匂い、嗅いで来ました」 「ホントに犬かお前は!」 「それより! どうして逃げたんですか? ボクとお昼、そんなにイヤですか?」 「嫌だ。俺は一人が好きなんだ」 「寂しい人ですね」

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