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第三話

昼休みが終わる予鈴の音が鳴った。そこで「戻りましょうか」と幸人が言ったので「サボる」答えた彰は、胸の内ポケットから文庫本を取り出した。  授業中に読んでいたハードカバーとは違った日本の純文学は、ページ数こそ少ないが内容で見劣りするものでは無く、この五時限目で一気に読み進めたかった。 「先輩って」 「ああ」 「不良ですか?」 「断じて違う。勉強自体は嫌いだが、学年順位は一位と言っただろう」 「勉強できる不良ですか、カッコいいです」 「違うと何度言えば」 「では戻りますね」  マスクを付けて、校舎に戻っていく幸人を見届けると、ようやく訪れた一人だけの時間。  彰は五時限目の始まるチャイムと終わるチャイムな鳴るまでの間、本に集中していた。 そしていざ、六時限目が始まった時、ようやく太陽の日差しが鬱陶しく感じたので、教室に戻る。 教室の扉を静かに開き、授業の邪魔をしないように着席。授業は数学だった。教師は板野という女性で、彰はこの人物が苦手だった。 「瀬上君、ちょっといいかしら」 「はい」  呼ばれたので、応じる。別に彰は授業こそ受ける気は無いものの、教師に指名されて答えぬ程横暴でも無いつもりだ。 「この問題、他の子達が分からないみたいなの。答えられる?」 「√3です」  黒板に板所されていた部分に一瞬だけ目を送り、即座に答えて再び文庫本を開いた。式は答えない。そこから先は教師の仕事である筈だ。 「はい正解です。今のはこの部分にある√を」  板野は教える事が得意では無い。本人は納得のいく教え方をしていると思っているのだろうが、生徒達が理解をする前に、結論を自分の中で導き出し、次へ進んでしまうので、自然と生徒達の学力は落ちていく。 そして彼女は、自身が満足のいく答えを出してくれる彰を気に入っており、良く指名で答えさせてくる。他の生徒たちの気持ちを知らぬまま。 (アイツみたいに、人の気持ちを理解できる奴が教師やらなきゃダメだよな)  一人の少年を思い浮かべて、しかし首を振る。 (いや、無理か)  そもそも人間は五感で判断し、思考して、結論を導き出す生き物だ。しかし嗅覚だけで人の感情を調べ上げ、誰かの気持ちをくみ取る事など出来る筈ない。 「でもアイツは、そうでありたいと考えているのかな」  ふと呟いた言葉。隣席の宮田が首を傾げたが、けれども板野の言葉へと再び耳を傾ける。 (アイツは、人の感情を理解できる嗅覚を持つ。けれどそれは『出来る』というだけで『したい』に繋がるわけじゃない)  その時、彰は理解した。 (俺は……アイツの事が、気になっている)  その事実だけを、しっかりと認識した上で、再び思考を文庫本に向ける。 妙な考え事をして読んでいても、彼は文庫本の内容をしっかりと覚えていた。 ** 一年二組の教室で、密閉型のマスクを付けたまま授業を受ける少年がいる。 身長は小さく身体はひょろっとした痩せ型。銀色に輝く頭髪と柔らかな目付きで女性と見紛われる事もあり、特に私服姿の場合は中性的な格好をするものだから余計に間違われる事も多くなる。 「ボクはそれを決して望んでいるわけではないのです」 「抱き付くな暑い」 「先輩はイジワルですね。可愛い後輩による肉体的接触を暑いの一言で終わらせるなんて」 「残念な事に俺もお前も男だからな。まず肉体的接触における性的優位を強く強調すべき間柄では無い」 「誰も性的優位をメリットとして語ってはいませんよ。でも先輩、考えて下さい」 「何を」 「先輩は身長百八十センチ体重九十キロ台の屈強な男性と、身長百六十二センチ体重五十一キロの可愛い後輩だったらどっちに抱き付かれたいですか?」 「それなら後者だ」 「でしょう」 「しかしこの一分で矛盾が発生したぞ。お前は女性と見紛うという他人から見た自分の評価を望んでいるわけでは無いと言った。しかし俺へ抱き付くと『屈強の男に抱き付かれるよりはいいだろう』と言う言い分で正当性を主張すると?」 「ぶっちゃけると他人にどう思われるかは望む事ではありませんが、先輩に可愛いと認識して頂く分には十分嬉しいという正当性は主張できます!」 「よし分かったお前は可愛い。けれど抱き付くな暑い」 「やれやれ、先輩はワガママですね」  そんな問答の後、折笠幸人はようやく瀬上彰の身体から自身の腕を放した。 場所は校舎屋上にある給水塔の天辺。彰は授業を抜け出して放課後まで眠りこけるつもりであったが、三十分としない内に幸人が隣に寝転がり、そして抱き付いてきた上で世間話を始めたのだ。 「それで、先輩はどう思いますか?」 「お前は突然だな。何がどう思うかを問え」 「仮に先輩が女性と見紛われた場合、それを喜ばしいと考えるか、嫌悪の対象とするかです」 「そもそも他人の評価を気にしない。例えばお前は先日から『先輩は不良だ』という誤った認識をしているが、俺は俺自身が不良であると認識していないので、お前にそう認識されていても、否定はするが改善させようとは思わない」 「ですが人の評価と言うものは今後も付いて回って来る問題です。例えば就職ですが『アイツは不良だ』と面接官に認識されてしまえば、第一印象は最悪でしょう?」 「その場合は履歴書と自己PRで巻き返せるように努力をしよう」 「へぇ、先輩はどのように履歴書を偽るのでしょう。気になりますね」 「自己PRを偽っても履歴書は偽らねぇよ」 「ではどう自己PRを偽ります?」 「『私は協調性があり常にリーダーシップを発揮して、人材を最適な役職に割り振る事の出来る人間です』とでも言っておこう」 「嘘ですね」 「匂いを嗅いだか」 「嗅がなくても解ります」 「だろうな」  生粋の人嫌いである彰が人の得手不得手を認識できる程、他人に興味を抱けるとは当人ですら思えない。

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