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第32話 泰山木

 「よぅ!」  陽に透ける茶色い髪が、心地よい南風になびいている。この国の者にしては大柄すぎる男が手を振って近付いてきた。 「お前か---」  直義の苦虫を噛み潰したような顔を余所に、大股で歩みよってくるのは、設楽輝信---南方、比治の国の領主である。正しくは比治山を中心とした島、七瀬の七か国の領主を束ねる頭領である。 「別嬪さんは達者かね?」 「頼隆なら行っても逢えんぞ。まだ怒っとる。」 「そりゃあ残念。---まぁ仕方ない。今日は九神どの、貴殿に用があるんだ。」  「なんだ?」  先の戦のあと、都周辺に残った尾上や他の反帝の勢力を一掃して、九神直義は、ここ師幾に城を構えた。師幾は、都から約五里、海に向かって大きな港の開けている土地である。元々は街道はあるが、ひなびた寒村だった。直義は、周辺諸国を従えたのち、都に近く利便性もいいこの土地に目をつけた。  街道を整備し、街を作り港を開いた。その港の整備を請け負ったのが、設楽輝信である。 『俺はあんたに付くぜ』  輝信がそう言って、ふらっと師幾の城に現れたのは、直義が次の戦---七瀬に兵を進める準備をしていた真っ最中だった。突如、沖合いに現れた大船団、最新鋭の装備を備えた艦船がずらりと並ぶさまに、師幾の城は恐々となった。 ー圧巻じゃのう---ー  唯一、頼隆は天守閣から眺めて、キラキラと眼を輝かせていた。舌なめずりでもしそうな勢いだった。  その大船団の頭領、設楽輝信は悠々と師幾の城に部下を従えて現れた。 『俺ぁ、あんたんとこの大将に話があって来たんだ。道を開けな。』  西海の赤鬼の迫力に圧倒された家臣が城の中に駆け込み、直義に報告に来た時、既に直義は頼隆と共に対面の支度をしていた。  ーあやつに戦う気は無い。ハッタリだ。ー  頼隆は、キッパリと言いきって対面に応じてやれ---と言った。 ー七瀬は大きくとも島だ。人にも物にも限りがある。この国の大半の武将を従えたそなたと事を構えるのは不利と見たのだろう。ー  頼隆の言葉に直義も深く頷いた。  対面の儀には、頼隆も同席した。柾木と---頼隆の説得に応じて家臣になった柚葉が同席した。 『あんたと組みたい。』 設楽輝信は、大きな身体を折り曲げて言った。薄茶色の瞳がギラリと光を放った。 『理由は?』 と問う直義に、輝信は頼隆をちらっと見た。そして、真顔で言い放った。 『俺は、そこの別嬪さんが怖い。』 『な---』 憮然とする頼隆を尻目に輝信は続けた。 『あんたにゃ天女だが、敵に回せば鬼だ。 それも、俺みてぇな、見てくれだけの鬼じゃねぇ、血に飢えた本物の鬼だ。俺ぁ、七瀬の衆を鬼の餌食にする訳にはいかねぇのよ。』  思わず、直義は苦笑した。 『惚れた---とか抜かしておらなんだか?』 『おうょ。』  輝信は豪快に笑った。  『俺は、別嬪さんの「鬼」に惚れた。その鬼を生娘みたいにぞっこんにさせちまうあんたにもな。』 『誰が生娘だ。我れは男ぞ!』 『みたいに---て言ったろ。ぞっこんなんだから、いいじゃねぇか。』 『だ、誰がぞっこんだとぉ---!』 頼隆が叫んだ。柚葉と柾木がふたりがかりで、なだめる。輝信は、顔を真っ赤にしている頼隆と戸惑い気味の直義を交互に眺めてニヤニヤしながら、続けた。 『ま、そういうわけだから、よろしく頼むぜ。あぁ、ここの港は貧弱過ぎるな、なんなら俺が作ってやるぜ。』  直義は輝信の申し出を受け入れ、盟約を結んだ。  頼隆は激怒していたが、直義がなだめた。酒が苦手な頼隆が酒宴を断り、足音も荒く自室に帰ったあと、輝信はこっそり直義に耳打ちした。  『懐中時計---』 『ン?』 『あんた、貰ったろ?』 『あ、あぁ。』  都の帰り、頼隆から渡された。ーお爺さまからじゃ、持っておけ。ーと押し付けた時の赤らめた頬が可愛らしかった---とふと思い出した。 『あれをな、買ってるとき、やっこさん嬉しそうだったぜ---』 『そう、なのか---?』 『大概、鈍いな。あんたも。』  輝信は、都で頼隆が南蛮品の店にいた時、奥の座敷から密かに覗き見していた。その店は輝信の商売相手で、上客だった。  女姿の頼隆は、全く男には見えず、漂う上品な色香は、どこをどう見てもー名家の奥方ーだった。 ー我れの---夫に買いたいのだが、如何程じゃ?ー  懐中時計に眼を輝かせ、照れ臭そうに頬を染めた様は、すこぶる愛らしかった。 ーあぁして見りゃあ「いい女」だよなぁ---。あれが「男」とはねぇ---ー  懐中時計の他にー兄弟にーと天鵞絨の外套を購入し、侍女に持たせて店を出た頼隆を、輝信はこっそりつけていた。何処に行くのか---という興味があった。よしんば拉致して---という下心がちらっと湧いていたのは事実だった。そして、あの事件に遭遇した。 ーこりゃあ---ー  物陰から窺っている輝信の目の前で、頼隆は次々と男達を血の海に沈めていった。嬉々として、舞いでも舞うように、優雅に白刃を振るって血飛沫を浴びる---その面にはうっすらと笑みが浮かんでいた。あまりに美しくあまりに凄惨な眺めだった。  ーとんでもねぇ化け物だ---。ー  輝信の下心は吹っ飛んで、衝撃が走った。全身が震えた。恐怖---ではなく、この世の他のものを見た驚き---に近かった。 ーあんなもん、良く飼い慣らしたな---ー  後日、その光景を忘れられなかった輝信は、畏敬を込めて「打ち掛け」を贈った。 『まぁ、よろしく伝えてくれ。』  輝信は再び悠々と自分の船に帰っていった。見送りに、頼隆は姿を見せなかった。    工事の段取りの詳細を打ち合わせたあと、直義と輝信は軽く酌み交わしていた。頼隆は酒を好まないし、まだ輝信を許していないため、その座にも姿は見せなかった。 『曼珠沙華ってなぁ食えるんだぜ。』  輝信は、唐突に言い出した。 『根っこは猛毒でな。鼠やら土竜を寄りつけないくらい凄いんだが、時間をかけて水に晒してやるとな、毒が抜けて食えるようになる。俺んとこでな、飢饉の時に知った。』 『そうなのか?』  輝信はニヤリと笑った。 『まぁ、俺には「毒抜き」してる余裕は無いから、眺めるだけにしておくがな。』  頼隆の購入した南蛮品の代金の肩代わりはー見料がわりー輝信は頼隆にも直義にも言わないよう、土御門の祖父に硬く口止めした。 ーご機嫌を損ねたくないんで---。ー  と頭を下げる輝信に祖父はにこにこと笑っていた。 『あんたは大した男だな。俺には到底、あの別嬪さんは口説けねぇ。』  輝信は、したたかに呑みながら呟いた。  『まぁ、可愛いやつだがな---』  直義は、頼隆の膨れっ面を思い浮かべて、くすり---と笑った。  二人の酌み交わす座敷の向こう、頼隆の屋敷にはほんのりと灯りが点っていた。小さな影がゆったりとこちらを見ていた。  酒宴の後、直義は城内に構えた頼隆の屋敷の閨にいた。  直義は用務を終えると、夜は大概、頼隆の屋敷に来て過ごした。事に及ばなくとも、策を練り、国造りの案を練った。 「まだ怒っているのか---」 「当たり前だ。あのような無礼なやつ。」  直義は頼隆の細い腰を抱き、あやすように髪を撫でた。  「何をそんなに根に持っているんだ。」 「我れに、生娘などと言いおった。」  ふふっ---と直義は小さく笑った。 「ほんにお前は可愛いのぅ---」 「なんじゃ?」 「---懐中時計、嬉しかったぞ。」  頼隆の頬が、ぽっ---と紅くなった。  「あ、あれは---」  反論しようとするのを軽く唇で塞ぐ。啄むように口付けて、じっと顔を覗き込む。  「お前は、まだ儂に隠すつもりか?---お前はまだ儂に惚れておらんと、言い張るのか?」  頼隆は、もぞもぞと直義の胸元に潜り込み、顔を隠した。そして、蚊の鳴くような、消え入りそうな声で囁いた。  「惚れてなくば---とっくにその首、ありはせぬわ。」  直義は、頼隆をしっかりと抱きすくめた。 ー泰山木がやっと咲いたか---ー  言葉にならない歓喜が胸から身体中に染み渡っていくようだった。  眼の裏に、空を仰いで真っ白な大きな花弁が、ほころんでゆくのが、見えた。  

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