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第33話 藤袴

 「失礼つかまつります」  茶室の外から、声がした。低めの掠れた声だが、柾木よりはやや高い。 「柚葉か---」 頼隆が声をかけた。  「軍義の用意、整ってございます。」 「うむ。程なく参る。」 「は---」  一礼をして、足音が遠ざかっていった。  直義は足音のほうにチラ---と視線を走らせた。 「柾木とあれが兄弟であったとはのぅ---。何故わかった?」  頼隆は二服目の茶を直義に勧めながら、にっ---と笑った。 「よう似ておった故のぅ---。背格好どころか策の立て方も軍の運びも---。何より、吾桑攻めの時の柾木の策に躊躇いがあった。」 「躊躇い?」  頼隆は棗に描かれた二人の唐子を見た。  「邪魔な者は消す---あやつにはそれが当たり前だ。出来なんだのは、何かあろうと思ってな---。」  吾桑攻めの後、捕虜となった柚葉正親は、鷹垣城に送られ、囚われの身となった。 ーせっかく生け捕ったのじゃ、殺すでないぞ。ー  と、頼隆がきつく言い置いていたこともあり、斬首を免れ、鷹垣城の牢に留め置かれていた。 ー肩の具合はどうじゃ?ー  肩のあたりで緩く結んだ垂髪、二藍の小袖に更紗の帯---女のような着流し姿で牢の様子を窺いに来た頼隆に、柚葉は不愉快極まりないという顔をした。  こうして見れば、手弱女とまでは言わぬが、いたって優しげな容姿(なり)で、一見、男には見えない。  だが、その実はなんとも恐ろしい鬼であった。見掛けと実とは違うもの---その事に気づけなかった己れの甘さが悔やまれてならなかった。 ー何故、殺さぬ。ー  柚葉の食いつかんばかりの様に、なんということも無い---と涼しい顔で頼隆は応えた。  ー才が惜しい。ー  頼隆は、牢の前にしゃがみ込み、柚葉の目をじっ---と見た。  ー吾桑にそう深い恩義があるわけではあるまいに---。天下を見たいと願うなら、我らにつけ。ー   柚葉はピクリと頬をひきつらせた。 ー吾桑の殿では天下は取れなんだ---と言うか。ー ーわかっておったであろうに。---あの優男では、いつかは踏みにじられる。ー  我らでなくても、身内にな---ーと頼隆は冷ややかに付け加えた。  にべもない頼隆の言葉に、柚葉は唇を噛んだ。 ー直義になら、獲れると言われるのか?ー ー獲れる。ー  頼隆の眼が、きらり---と光り、形の良い唇が、にぃ---と笑った。 ー我れが獲らせる。それに---ー  頼隆は言いきって、少し離れた場所でこちらを見張っている柾木をちら---と見た。 ーお前の兄が心血注いで鍛え上げた代物じゃぞ、直義は。ー  瞬時に柚葉の目が見開かれた。視線の端で、柾木が凍りついているのがわかった。 ーせっかく兄弟が再び会いまみえたのだ。仲良う手を取って我らに仕えよ。ー  頼隆は立ち上がり、すたすたと柾木の方に歩み寄り、ぽん---と肩を叩いた。 ー肩を壊さぬように撃つのは難儀したぞ。後は任せる。よく話し合え。ー  柾木は頼隆に深々と頭を下げた。  柾木と柚葉は、帝の腹心の武士の家に生まれた。嫡子でなかった二人はそれぞれ幼い頃に養子に出され、先の帝の元で再会して共に働いていた。帝が討たれた時、使いで都を離れていた柚葉はそのまま逃れ、柾木は襲撃からからくも生き延びた。  その後は互いに行方が知れず、死んだかとも思ったし、それぞれに主君を得て奉公に勤しむ身ゆえ、会うことも出来なかった---という。 「やっと会えたら、敵同士ではな---」  事情を知った直義は柚葉の帰順を認めた。柾木が初めて泣いた。 ー幸隆と、兄と頼隆を引き裂いた自分を許してくれるのか---。ー  柄にもなく涙を浮かべ、頼隆に幾度も頭を下げて礼を言う柾木に、頼隆は閉口しつつ、呟いた。 ー我れと兄上は、いつも共にある、敵になどなったことはない。ー   「しかし、柚葉がお前の直臣を願い出るとはな---。」  直義は、深緑の天目茶碗を静かに置いた。耀変が、春の浅い光を受けて煌めいていた。 「あれには。我れも驚いた。」  頼隆の白い指が、苦笑とともに茶碗に触れた。柚葉は、帰順を誓い牢を出された後、しばらくの間、柾木の屋敷に『お預け』になっていた。直義の筆頭家臣、側近中の側近が、身元引き受け人となれば、異議を唱える者もいない。  絢姫の後押しもありー無論、頼隆が根回しをしたのだがー直義との対面も比較的早く実現した。だが、その席で、柚葉は頭を床に擦り付け、這いつくばって、申し出たのだ。 ー白勢頼隆さまの、直臣になりとうございます。ー  評定の場にいた誰もが驚いた。当時、頼隆は、鷹垣城のあの『籠』の中にいた。名目上は『人質』の扱いである。しかも、厳重に囲われていて、ほとんどの者は間近に姿を見ることも出来ない。  柾木も直義もこれには困惑した。 ーそれは出来ぬ。頼隆は『質』じゃ。『質』に臣下は付けられぬ。ー  苦り切った顔で直義はキッパリと言ったが、柚葉は引き下がらなかった。 ー『質』なれど、一国一城の主にておわします。ご立派なるお働きあらば、お国元にまたお戻りあそばされましょう。その折りにはお供をお許し願いたい。ー  柾木もこれには頭を抱えた。生命を助けてもらった恩義はわかる。頼隆の才覚を目の当たりにすれば、それに仕えたいという気持ちもわかる。しかし------ ー頼隆様は、お国元には帰らぬ。生涯、殿のお傍にてお仕えあそばす。既に確約はいただいた。ー ーなれば------ー ー頼隆様は、此方におかれては殿の輔弼がお役目。新しき城にては、御城内に屋敷を構えられるお立場ぞ。ー  つまり、あくまでも頼隆自身が直義の直臣。城中に家臣は持たぬし、白勢の家臣の束ねは、幸隆が代行する。  音を上げた柾木に相談された頼隆は、あっさりと言った。 ー良かろう。我れの直臣としよう。ただし---ー  唇にひそ---と手を当てて言った。 ー主君たる我れの命令として、柾木の補佐として、直義に仕えることを命じる。ー  ぽん-----と、傍らにいた直義が膝を打った。 ー成る程のぅ。ー 「むしろ、恨まれて憎まれておったかと思うたが---」  頼隆は、流麗な指使いで、茶碗を拭い、棚に戻した。その指の爪が、桜の花弁のようにそよぐのを直義は溜め息混じりに見詰めていた。 「さすがに、儂とて、お前が儂の妾(おんな)であるとは言えなんだゆえな---。」 「衆人の前で、それは止めてくれ。」  頼隆は、苦笑いして言った。少なくとも閨の睦事など、衆人に晒されたくはない。 「さて、軍義の刻限じゃ。行って参られよ、殿。我れは此方に控えておるゆえ---」 「うむ。」  床の間の藤袴が、頼隆と共にその背を見送った。どこまでも優しい紫だった。  

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