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第36話 芭蕉葉

 さわさわ---と南風が木々の梢を鳴らしていた。南の地に生える木は佐喜とも名賀とも違う。真っ直ぐな毛羽立ったような幹に尖った幅広な葉が深い緑色に照り輝いていた。 「随分と変わった木じゃのぅ。」 「あぁ、芭蕉てぇんだ。ここいらじゃ、この木の繊維で布を織る。」 「ほぅ---。」  太い木の枝をぽんぽん---と叩きながら、輝信が、ふと思い出したように問うた。 「あんたは、直義のどこに惚れたんだ?」 「さぁ---解らぬ。」 「わからん?」 「解らぬ---が、いつの間にか傍におるのが当たり前になってしもうた---。」 「そうか---。俺ではダメか?。」  頼隆の手が、輝信の耳を引っ張った。 「ダメじゃ。」 「なぜ?」 「男はいらん。あれ一人で十分じゃ。」  正直、輝信に下心が全く無くなったわけではない。むしろ戦場で顔を合わせる度に、直義が妬ましく思えたのも事実だ。  殊に、散々敵を斬り倒して、血飛沫をたっぷりと浴びた満足気な頼隆の微笑みは、妖艶この上なかった。に---と笑いかける酷薄な笑みに背筋がぞくぞくした。 ー俺ぁ、鬼だからなぁ---。夜叉に惚れちまうのかもなぁ----ー  互いに血にまみれた姿のまま、交合ってみたい。ご大層な分厚い鎧を引き剥いで、血の匂いのする白い肌に吸い付いてみたい---と昂る気持ちは止まなかった。 ー我れを女扱いしたら、風穴が空くぞ。ー  キッ---と睨む目を蕩けさせてみたいという輝信の願望はいまだ叶えられないままだった。  柔らかな風に漆黒の髪をなびかせて佇むその肢体を押し倒して、捩じ伏せて啼かせたい----輝信は、密かにごくり---と喉を鳴らし、素知らぬ振りで続けた。  「直義のダンナとは仲良くしてるくせに、そう冷てぇこと言うなよ---。たまにはダンナ以外の男に優しくしても、いいんじゃねえか?。」  あっさりと言い切られ、半ば自棄で皮肉る輝信を、む----とした顔をして頼隆が睨んだ。 「我れは男好きなわけではない。直義は----出逢うてしもうたが、運のツキであっただけじゃ。そなた、鮫とやらの餌になりたくなければ、その口は閉じておけ。」 惚気られた挙げ句に、きっちり脅されて釘を刺され、輝信は、大きな溜め息をついた。 ーまったくよぉ---。ー  色事に呆ける性質ではないが、男ぶりには自信がある。口説こうと思えば、男女問わず口説き落とせる自信はあった。が、頼隆にはてんで相手にされない。相手にされないのはいいが--- ー直義に何かあったら、アイツはどうするんだ?ー  気にかかる。九神政権の屋台骨の半分は、あの細いが逞しい肩に掛かっている。殊に戦となれば、準備から後の始末まできっちりと無駄なく詰める。凄腕ではあるが、直義の影から出ようとはしない。 ー直義に何かあったら---ー  頼隆はおそらく中心には立たない。いや、立てない。今でさえ軍議や評定自体には顔を出さない。大概は別室で成り行きに耳を側立てている。顔を出さねばならない時には頭巾をつけ、直義の後ろに控えている。素顔を知っているのは政権の中枢にいる数人と白勢の古参の者だけだ。 『我れが顔を出せば、舐められる。』  頼隆は自分の屋敷と直義の居室からでも、国は動かせる---と断言していた。 ーならば---ー  直義に『何かあった』時には、頼隆はどうするのか---、その動向によって政権の主体が決まる。それは、誰もが考えていることだった。が、その『ご機嫌取り』も出来ない場所に頼隆は居る。 ー周到なこった---。ー  取り敢えずは、機嫌を損ねないようにしとくか---と思いながら、輝信は、ついちょっかいを出さずにはおれない。 ーたいがい未練だなぁ、俺も---。ー  輝信は人知れず頭を掻いた。 ー直義に何かあったら----ー  有無を言わさず頼隆を引っ拐って、七瀬のどこかの島に隠して、波の音でも聞きながらゆっくり口説こう---と密かに企んでいるのも事実だった。 ー共白髪で、のんびり釣りなんかするのも悪かねぇよな―   頼隆が、ふいにひとりごちする輝信を振り向いて、真剣な顔で言った。 「お前は死んでもらっては困るゆえ、おかしな気は起こすなよ。」 「ほぅ---、俺が必要と言うか?」 輝信が肩に手を掛けてくるのを頼隆は、ぴしり---と叩いた。 「我らの天下に、そなたは必要なのじゃ。その後のためにも---な。」 「あんたと直義の天下---か。」 「そうじゃ。」  輝信は、深く溜め息をついた。 「俺と組んでくれりゃ良かったのに---。」 「御免蒙る、---それに宿命(さだめ)が違う。」 「宿命(さだめ)---か。」  ふぅ---と輝信は、大きく息をついた。そして、ぐぃ---と頼隆の頭を引き寄せると、頼隆の唇に自分の唇を押し当てた。 「な、何をする!」  驚いて飛びすさる頼隆に、輝信はカラカラと笑って言った。 「いいじゃねぇか、減るもんじゃあるまいし---ダンナには黙ってるからよ。」 「当たり前だ!」  顔を真っ赤にして、頼隆は輝信を睨み付けた。伴の二人を憚って大声は出せない。輝信は、ニヤリと笑ってその背を赤銅色の掌に包むように抱いて言った。  「そろそろ戻るか---。」 「うむ。」  半ば怒りながら平静を保つふりで砂を蹴立てていく頼隆の背中に輝信は微かな声で呟いた。 ―まぁ、のんびり待たせてもらうとするか---―  戻ると、すぐに宴の膳が運ばれてきた。新鮮な魚介がふんだんに盛られた膳だった。 「さ、食いな。毒なんか入ってねぇよ。あんたを殺す気なんざ、さらさら無いからな。」  輝信は、南蛮の酒だという赤い酒をギヤマンの盃に注ぎながら言った。 「我れは酒は---」 と断ったが、 「一口くらい付き合え」 と輝信に迫られ、少しだけ口にした。 「甘いな---」  滑らかな口当たりでほのかな甘味と酸味が口の中に広がった。 「美味いだろ?ワイン、てぇんだぜ。果物の酒なんだとよ。」  もう一杯---と勧めるのを断り、膳に箸をつけた。美味だった。 「そなたの母御は、大柄な方だったのだな。」  頼隆の女物の着流し姿に目を細める輝信に頼隆は、若干、不機嫌そうな口調で言った。 「異国の女だったからな。」  輝信は、くいっ---と酒を干しながら言った。頼隆は、少し言葉に詰まった。噂は、本当だった。 「あんたなら、見せてもいいか---」  輝信は、懐から、小さな板を取り出して、頼隆に差し出した。  そこには、一人の婦人が描かれていた。金色の髪、緑色の瞳、彫りの深い顔立ち---日ノ本の婦人とは、全く異なるが、美しい人だ---と頼隆は思った。 「俺のお袋だ。俺が十才の時に亡くなったがな---」 「美しい人だったのだな。」  ふと顔をあげて見る輝信の面には、絵の婦人の面影があった。通った高い鼻や細面な顔立ちがよく似ている---と頼隆は思った。 「ある時、沖合いで南蛮船が難破してな---浜に打ち上げられていたのを親父が助けたそうだ。」  奴隷に売られるところだったらしい---と輝信は言った。輝信の父は、そのまま館に連れ帰り、共に暮らした---という。 「異国のもんだからな---さすがに正妻にはできなかったが、親父の正妻はもぅ亡くなってたから、仲良く暮らしてはいたらしい。」 「そうか---。」 「それでも、国には帰りたかったみたいだが---、海の向こうだからな--。」 「うむ---」  海の向こうどころか、婦人が船に乗せられたのは、故郷から何千里も離れた異国だった---という。それでも、故郷を忘れられず、輝信に一生懸命、異国の言葉を教えた---という。 「話せるのか、異国の言葉が。」 「少しな---」 「それは凄い---。」  頼隆は素直に感心した。そして、輝信の遠くを見るような眼差しに幽かに寂しさが漂っているのを見た。 「しんみりしちまったな--」  輝信は、戻された絵を懐にしまい、いまひと度、盃を干した。  そして、ぽんぽん---と手を叩いて近習を呼んだ。その手には、見慣れない楽器らしきものがあった。 「胡弓---てぇんだ。大陸の楽器でな。ま、余興だ。」  輝信は楽器を手に取ると、ゆったりと弓を動かし始めた。長い指が、しなやかに弦を鳴らす---いつもは無骨に見えたそれが、全く別物のように思えた。  頼隆は、同席の者達もしばし無言で聞き惚れた。美しい、どこか寂しような切ないよ皆うな音色だった。  漂う余韻の中で、輝信が、今一度、盃を干して言った。 「なぁ、頼隆---頼みがあるんだが---。」  頼隆は、一瞬、ドキリとして身構えた。解れていた心を急いで立て直して、輝信を見た。 「なんじゃ?」 「その---膝枕してくんねぇか?」 「膝枕ぁ?」  想定外の台詞に、頼隆も周囲も固まった。 「なんも悪さはしねぇからよ---。」  呆れたような、困ったような周囲を見回して、輝信は再び口を開いた。 「---いいだろ?」  頼隆は、ふぅ---と溜め息まじりで答えた。 「良かろう---」  静かに膳を寄せ、正座を整え、軽く膝を叩いた。直隆と柚葉は、瞬時、ぎょっとして顔を見合わせたが、主を信じて、他の者は座を外した。 「ありがとよ。」  輝信は、嬉々として頼隆の膝に頭を乗せると目蓋を閉じた。 「そなたも大概、困った男じゃの---。」  呟く頼隆に、輝信が目を閉じたまま、ふふん---と鼻を鳴らした。 「も---か。」 「そうじゃ。」  輝信は、そのまま、うとうとと眠りに落ちていった。静かな寝息を確かめて、頼隆は輝信の髪をす---と撫でた。 「後を---頼む---。」    見上げる頼隆の目に中天の南にひときわ明るい星が輝いていた。  --------  翌朝、遅れてきた直義は、頼隆と輝信の間に何も無かったことをよくよく確かめて、ようやく安堵の息をついた。が、膝枕の一件を後日、漏れ聞いて、予想通り不貞腐れた。 『儂はしてもろうたことが無い!』と怒るのをなんとかなだめながら、 ー唇を奪われたとは、絶対、こやつには言えぬな---。ー と改めて思った頼隆だった。

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