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 ようやく口が解放されるが、上手く空気が吸い込めない。 「なぜ逃げた。お前は……」  須賀の声が聞こえるけれど、恐怖に駆られた叶多の頭は考える事を拒否してしまい、彼の放った言葉の意味を理解するには至らなかった。 「ったく……何だっていうんだ」 「……うぅっ」  目を覆っていた掌が外れ眩しさに目を細めると、次の瞬間灯りは消されてまた部屋の中が暗くなる。本能的に不安を感じた叶多は身体を強張らせるが、須賀はそれ以上触れる事なく部屋の外へと出ていった。  ―― よかった。  扉の閉まる音を聞きながら、叶多は安堵の息を吐く。  今また酷くされたりすれば、自分自身を保っていられる自信がない。その方が楽に生きられるのかもしれないけれど、せめて自分の心だけは誰にも支配されたくなかった。   *** 『叶多、その怪我、何かあったの?』  穏やかな優しい声はいつも自分を気遣って、その掌はいつも優しく頭や頬を撫でてくれた。 『ううん、何でもない。ちょっと転んで、擦りむいただけだから』  何度かあったやり取りで、『人にやられた』と言えていたら、何かが変わっていたのだろうか?  ―― でも……言えなかった。 『お前みたいに取り柄のない貧相なヤツが、どうして御園さんと一緒にいるんだよ』 『幼馴染みだからって、いい気になってんじゃねーよ』  調子になど乗っていないし、なるべく近くに居ないように気を使っていたのだけれど、そうすればそうするだけ唯人は叶多を気遣って――。 『叶多だけだ。俺が心を許せるのは』  そんな風に言われたら、弱音なんて吐けなかった。  男らしく逞しい体躯に、整い過ぎた綺麗な顔。クォーターの彼の瞳は色素が薄く澄んでいて、見詰められれば大抵の人は魅入られずにはいられなかった。 『ずっと俺の側にいろよ』  何度か言われたその言葉が、叶多にとっては宝物で。

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