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『本当は、他の誰かに汚されちゃったら、もう要らないって思ってたんだ』
ふいに、再生される唯人の言葉。
そう言われた当時はまだ、彼の言葉を肯定しようと頭が勝手に動いていた。
―― でも……これは。
離れていく射矢の体は震えていて、まるで泣いているように見える。
―― こんなのは。
射矢と唯人の関係性を知っている訳じゃないけれど、これは違うと強く思った。
―― だって、彼は……。
唯人が『犬』だと言った彼は、どういう訳か、叶多を助ける手助けをした。だけど今は、唯人に従い叶多を再び攫おうとしている。
―― 物じゃない……から。
「っ!」
その瞬間、長い間堰止めていた心の底に溜まった想いが、まるで決壊したかのように叶多の頭へ流れ込んだ。
―― 諦めたら……駄目だ。
ここで抵抗を止めてしまったら、自分が唯人の行動を……自ら受け入れた事になる。だから、残る力を振り絞って唯人の背中を拳で叩くと、叶多は必死に体を捻って彼の腕から逃げようとした。
「なっ!」
結果、きっと慢心していたのだろう唯人は僅かにバランスを崩し、その肩から落ちた叶多は床に体を叩きつけられる。
「うぅっ……」
衝撃に息が一瞬止まり、体を丸めた叶多が呻くと、屈んだ唯人が腕を伸ばして叶多の背中へ軽く触れた。
「無駄だって言ったろ」
呆れたような声が響く。いつもならそこで抵抗は終わるが、叶多はそれでも諦めなかった。
「……ッ!」
這いずるように少しでも彼から距離を取ろうと床を引っ掻く。
「……叶多が言うこと聞けないなら、父さんに渡すよ」
そんな叶多の抵抗に、苛立ちを含ませ低く告げると、唯人は背中を踏み潰すように脚を使って動きを封じた。
「……っ!」
―― 嫌だっ……それだけはっ。
全ての人を道具としてしか見られない唯人だから、これはきっと脅しではなく本当に彼はやるだろう。
痛みと苦痛ばかりが襲う地獄のような日々を思い出し、叶多がカタカタ震え出すと、愉しそうに笑った唯人に肩を掴まれ引き起こされた。
「っぅ!」
「時間がないんだから、手間を取らせるな」
そのまま体を持ち上げられ、今度は姫抱きにされてしまう。
チラリと見えた射矢と視線が絡んだような気がするけれど、目を逸らすように下を向かれて胸の奥がグッと詰まった。
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