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 *** 「……れは……ゆい…ちが……」  打たれた頬がジンジンと痛む。瞳を眇めて見下ろしてくる唯人の鋭い視線を受け、叶多の心臓は早鐘のように心拍数を上げるけれど、それでも必死に息を吸い込んで言葉を紡ぎ出そうと喘ぐ。 「どう……して……」  優しかった唯人の全てが嘘だったなんて思いたくないし、ここまでの事をされて尚、嫌いになんてなれやしなかった。 「ご……めん。僕……は……犬じゃな…い、だから……」 「もういい」  尚も話そうと口を開くが、悠哉の声に遮られ……そのまま近付く彼を見遣った唯人が数歩後退(あとずさ)る。 「ゲームは終わりだ。分かるだろ?」  直接ここでやり合ったところで既に勝敗は決しているから、このまま退()けと続けた悠哉に、「しょうがないな」と答えた唯人は、窓際に置かれた藤の椅子へと優雅な動作で腰を下ろした。 「……ッ!」 「ちょっと我慢しろ」  手早く脱がれた悠哉のシャツに、身体をフワリと包まれて、そのまま彼の逞しい腕に抱き寄せられて身体が浮く。  その時布地が傷に擦れて叶多が小さく息を詰めると、眉間に皺を刻んだ悠哉は、低いけれども威圧感の無い不思議な声音で囁いた。  そこから部屋を出るまでの間、唯人が声を出す事はなく、それが彼なりの矜持(きょうじ)と思えば胸が締め付けられそうになるが、それも長くは続かなくて。 「……酷い熱だ」 「大丈夫なの?」 「疲労もあると思うが、傷のせいだと思うから」  瞬の声が聞こえたけれど、姿は視界に入らなかった。だけど、ようやく安堵に包まれたせいか、途端に瞼が重たくなって、意識が徐々に遠のいていく。 「俺……許せない、こんなの酷すぎる。会長は……」  続けて瞬が言い放った、『報復はしないのか?』という問いに、叶多は『待って』と言おうとするが、身体がまるで言うことを聞かず、声はただの呻きに変わった。 「コイツが……それを望むなら」  それに対する悠哉の答えは短いけれど、それを聞いた叶多はホッと息を吐き出して、すぐ側にある深淵へと心と身体を委ねていく。  ――よかっ……た。  少なくとも、今の時点では悠哉が自分の意志を尊重してくれようしていると……その一言から伝わったから、胸がじんわりと暖かくなった。  ――あり……がとう。  自分のために怒ってくれる瞬に対しても、自然と感謝の念が湧く。  常ならば、『そんな言葉は信じられない』と、猜疑心(さいぎしん)が心の底から顔を覗かせる場面だが……不思議と今の叶多の胸は暖かいもので満ちていて。 「会長、変わったね」  そんな、独白のような瞬の声が鼓膜を揺らしたのを最後に、こらえきれなくなった叶多はとうとう深い眠りへと意識を落とした。

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