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フェリーが港についた。
さてどうしようかと話していると、背後から、小さな女の子の声が聞こえた。
「あ!」
皆が一斉に振り返ると、大きなクマのぬいぐるみが海の上に浮いている。
泣き出しそうな女の子に母親は、「落ちたものは取れないよ、しょうがないじゃない」と説得している。
先生はかばんを地面に置き、靴をぽいぽいっと脱ぐと、何も言わずにふらふらーっとアスファルトの縁に寄る。
そして、表情を変えることもなく、ぴょんと海に向かって飛んだ。
「は!? え、先生!?」
慌てて駆け寄ると、1回頭まですっぽり海に沈んだ先生は、ちょんちょんとぬいぐるみをたぐりよせ、立ち泳ぎのままこっちに向かって声を上げた。
「成瀬くーん。ごめん、受け取ってくれるー?」
「え、あ、はい!」
俺が両手を前に出すと、先生はバスケのように狙いを定めてぽいっと投げた。
俺の真正面に飛んできたクマを、しっかりキャッチする。
慌てて水面に声をかける母親と、一目散にこちらへ走ってくる女の子。
「ミミちゃん!」
ぼたぼたと海水を垂らすクマを、ぎゅっと抱きしめる。
振り返ると、ザバッという音とともに、先生が岸に上がってきた。
母親が平謝りするのを、「いえいえ」と言って、やんわり止める。
俺は先生のところへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「あはは、大丈夫大丈夫」
思ったより厚手のパーカーは重たそうに水を吸っていて、髪はびっちゃびちゃでおでこや頬に貼り付いている。
うっとうしそうに適当に後ろに毛を流してから、「行こう」と言って、平然と車の方に向かって歩き出した。
駐車場に着き、車のトランクを開けた先生は、苦笑いをした。
「あれれ」
「どうしました?」
「着替えを積んでたつもりが、忘れちゃったみたい」
指さしたダンボールの中には、毛布が1枚。
「いつも何かの時のために積んでるんだけどね」
なるほど、だからあんなに迷いなくダイブしたのか。
「うーん、どこかに安いお店ないかなあ」
検索してみると、ここから10分くらいのところに、安いファストファッションの店があることが分かった。
「とりあえず行ってみようか。ごめんね遠回りになっちゃうけど」
「いえいえ。あ、運転席に毛布敷きます?」
「そうだね」
たんまり水を吸い込んだ服をもたつかせながら歩く先生を見て、笑ってはいけないと思いつつ、笑ってしまった。
「ぶは!」
「あ、成瀬くんが笑った」
毛布を小脇に抱えて、ニコニコしている。
「俺、そんなに笑わないですか?」
「というわけでもないんだけど。なんかうれしくなっちゃうんだよね。成瀬くんが笑うと」
俺は面食らった。
そして、もう何をどう言い訳してもダメだと思った。
ごまかしごまかしここまで来たけれど、本当はうっすら、自分の気持ちに気づいている。
ただ変な夢を見て妙な気持ちになっているわけじゃなくて、本当に先生が好きなのだということ。
でも俺はそれを分かりたくなくて、性的なものにすり替えて、認めようとしなかったこと。
だけど性的な衝動も欲求も願望も、決して全部が嘘だというわけではなかったこと。
「おまたせ、どうぞ」
車に乗ると、さっきのいい香りではなく、磯のにおいが漂っていた。
「なんか、海藻になった気分」
毛布で雑に拭いたらしい髪の毛を、邪魔にならないようにオールバックにしている。
「新鮮」
「とれたてだから?」
「違います」
少し冗談めかして笑ったところで、先生がゆっくりアクセルを踏んだ。
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